威徳山金剛寺 密教の真髄

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「金剛頂経を読み解く」現代語訳(前編)

金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経

大広智大興善寺三蔵沙門不空奉詔訳

金剛界大曼陀羅広大儀軌品之一

<序分 (通序)>

このように私は聞いています。

この時です。

世尊ーーすなわちそれはーーすべての如来たちのダイアモンドのような堅固で永遠に光り輝く(金剛)智慧のエネルギーを注入されて(加持)、とりわけ勝れた様々な悟りの境地をみなことごとく満たし、すべての如来たちに智水を灌がれて(灌頂)、宝冠を被せられ、欲界、色界、無色界というすべての世界の法王の位に立ち、すでにすべての如来たちのあらゆる智慧を持つもの(一切智智)であるために、悟りの世界を思いのままに操る偉大な創造者(瑜伽自在者)であり、すべての如来たちと、その如来のそれぞれを象徴する形(印契)のエネルギーを得て、すべてが平等である状態に到達していることによって、あらゆる生きとし生けるものに恵みを与える働きを成し、それらすべてを安楽にするお力を持つーー大いなる慈悲のブッダ・毘盧舎那仏、それは永遠に全宇宙の悟りの境地に君臨して、そのすべての身体活動、言語活動、精神活動がダイアモンドのように堅固不滅に光り輝く如来(一切身語心金剛如来)は、あらゆる如来が住いするところの、その如来たちによって称讃され賛嘆されている、摩尼宝珠がところ狭しと散りばめられ、架け渡された鈴鐸は風にさやかにそよぎ、色とりどりの幡や花飾り、黄金の装飾垂れ、月を模った飾り物などによって豪華絢爛に飾りつけられた色究竟天(物質界の最上天)王の宮殿におられました。

その毘盧舎那如来に付き従う方々は、金剛手菩薩、観自在菩薩、虚空蔵菩薩、金剛拳菩薩、文殊菩薩、纔発心転法輪菩薩、虚空庫菩薩、摧大力魔菩薩(摧一切魔菩薩)という八大菩薩を中心にした九十九俱胝(九億九千万)という数の菩薩衆、さらにガンジス河の砂の数ほどの数え切れない如来たちでした。

やがて時が熟すと、世尊であられる毘盧舎那如来は、それら諸菩薩諸如来を伴い、贍部洲(せんぶしゅう:人間が住む大陸)に姿を現されました。そのために贍部洲は、それら多くの如来たちによって溢れ返り、まるで一面に胡麻が散りばめられたようになりました。そしてそれぞれの如来がそれぞれにエネルギー領域を広げて仏閣を形成し、その中で各々が人々に対して同じ悟りへの道の教え(理趣)を説かれたのでした。

<序分 (別序)>

世尊であられる毘盧舎那如来が色究竟天王の宮殿にお住まいになられていた時のことです。世尊のその心中(フリダヤ)には四波羅蜜菩薩、すなわち金剛波羅蜜菩薩(すべての如来の完全なる集合エネルギー体であると同時に金剛界の全体であり、すべての生きとし生けるものに悟りを開かせる女菩薩)、宝波羅蜜菩薩(すべてを包み込む虚空界から出現する広大無辺の智慧を生み出す蔵のエネルギー体であり、すべての如来から金剛不壊の智慧を授けられた宝の如き女菩薩)、法波羅蜜菩薩(虚空に遍満するすべての如来の悟りのエネルギー体であり、すべての如来の体が清らかであることからして清らかさを真理とする女菩薩)、業波羅蜜菩薩(虚空のすべてを包み込んで現象世界を生み出す働きのエネルギー体であり、従わぬ者を強引に悟らしめるという如来の力を実行する女菩薩)を内在していました。

さらに、ブッダの悟りのエネルギーを一文字で表現した(種字)悟りの宇宙(法曼陀羅)において十六大菩薩、すなわちすべての如来の至高の悟りのエネルギー体である金剛薩埵、すべての如来の生けるものを悟りに引き込む鉤のエネルギー体である金剛王菩薩、すべての如来の愛欲のエネルギー体である金剛愛菩薩、すべての如来の喜びのエネルギー体である金剛喜菩薩、すべての如来の偉大な宝のエネルギー体である金剛宝菩薩、すべての如来の神聖な光のエネルギー体である金剛光菩薩、すべての如来の自在に富を生む如意宝珠の旗のエネルギー体である金剛幢菩薩、すべての如来の満ち足りた笑いのエネルギー体である金剛笑菩薩、すべての如来の清らかさのエネルギー体である金剛法菩薩、すべての如来の智慧の利剣のエネルギー体である金剛利菩薩、すべての如来の真実の言葉のエネルギー体である金剛語菩薩、すべての如来の菩提心を導く悟りの輪のエネルギー体である金剛因菩薩、すべての如来のすべてに行き渡る働きのエネルギー体である金剛業菩薩、すべての如来の衆生を済度する夜叉の牙のエネルギー体である金剛牙菩薩、すべての如来の防護の鎧のエネルギー体である金剛護菩薩、すべての如来の衆生の身口意の活動を拘束し悟りに導く印契のエネルギー体である金剛拳菩薩を内在していました。

これらはまた、ブッダの悟りのエネルギーを姿によって表現した悟りの宇宙(大曼陀羅)においては、それぞれ普賢菩薩、極喜王菩薩、魔羅菩薩、妙不空菩薩、虚空蔵菩薩、大妙光菩薩、宝幢菩薩、大微笑菩薩、観大自在菩薩、文殊師利菩薩、一切曼陀羅菩薩、無言菩薩、一切業者菩薩、暴悪菩薩、堅持菩薩、精進菩薩の十六大菩薩として内在し、一方、ブッダの悟りのエネルギーを象徴によって表現した悟りの宇宙(三昧耶曼陀羅)においては、金剛薩埵、金剛鉤菩薩、金剛箭菩薩、金剛喜菩薩、金剛宝菩薩、金剛日菩薩、金剛幢菩薩、金剛笑菩薩、金剛蓮華菩薩、金剛剣菩薩、金剛妙輪菩薩、金剛語菩薩、金剛業菩薩、金剛怖菩薩、金剛鎧菩薩、金剛持菩薩の十六大菩薩としてそれぞれに内在していたのでした。

このように宇宙そのものの総体(法身)であられる毘盧舎那如来は、無終無始であり、静寂であり、残忍な怒りの主であり、大いなる忍耐の主であり、恐ろしき夜叉王であり羅刹王であり、堅固にして稀にみる勇者であり、大いなる支配者であり、ウマーの夫であって生類の主であるビシュヌ神を征服するものであり、偉大な聖者であり、世界の守護者であり、天空であって大地であり、過去と現在と未来(三世)であり、欲界と色界と無色界(三界)の全世界そのものであり、大いなる種であり、善く人に利益を与えるものであり、あられるものすべてであり、箭(矢)で射殺す神であり、父方の祖父(?)であり、輪廻における寂滅と常恒を正しく転じるものであり、極めて強力なものであり、ブッダであり、清浄なるものであり、すべての衆生を済度する乗り物(大乗)であり、欲界と色界と無色界の三界に生きるものであり、過去と現在と未来の三世に渡って魔を降伏するものであり、恩恵を齎らすものであり、恩恵を齎らす主を征服するものであり、金剛主(堅固不滅に光り輝く法王)であり、浄土(悟りの世界)のうちの最上のものであり、智慧そのものであり、悟りの道であり、解脱であり、菩薩であり、行であり、一切如来(すべての如来たち)そのものであり、ブッダの意義であり、ブッダの真髄であり、一切菩薩(すべての菩薩)そのものであり、無上なるものであり、光り輝くものであり、勝者であり、主であり、自らを生み出すものであり、陀羅尼であり、記憶するものであり、大薩埵(偉大なる存在者)であり、大印(ムドラー・タントラにおける女性パートナー)であり、瞑想世界(三摩地)であり、ブッダの働きをなすものであり、すべてのブッダからなるものであり、存在者であり、人であり、永遠に恵みを与えるものであり、極めて堅固なるものであり、大黒(大いなる暗黒の王)であり、大貪欲であり、大楽であり、大方便(偉大な作用者)であり、最も勝れた者の中の最も勝れた者であり、一切の最勝者であり、世界の主催者であられる世尊・毘盧舎那如来は、大菩提心(偉大な悟りに至る心)のエネルギー体である普賢大菩薩として、すべての如来たちのその心の中心(フリダヤ)に住んでおられたのです。

<正宗分>


 [五相成身観]

さて、毘盧舎那如来に随行し、人間の大陸すなわち贍部洲(せんぶしゅう)に移動したすべての如来たちは、そこで大集結して、ひとつの集合エネルギーとなり、悟りを開くために生死を彷徨うほどの苦行をしていた一切義成就菩薩(悟りを開く前の苦行中の釈迦如来・以降、その成道を金剛頂経は密教的視点から、あなた自身であると説いている)のところに近きました。

そして各々が法を施すためにその姿を顕現(受用身)し、苦行中の一切義成就菩薩にこうお告げになりました。

「善き男子よ、汝がそのように難行に耐えたからといって、どうして無上の悟りを得ることができるであろうか。汝はすべての如来の真実を知ってはいないのだから」

その言葉を聞いた一切義成就菩薩は、驚いてハッと我に返り、無動三昧(身体のすべての活動を静止する行)から立ち上がってすべての如来たちに恭しく礼拝し、こう問いかけました。

「尊き如来様たちよ、教えてください。私はどのようにすれば、真理に到達することができるのでしょうか」

その問いに対して、すべての如来たちは、口を揃えてこうおっしゃいました。

「深く心の奧にある真の姿を捉えなさい、善き男子よ。自己の心の在り方を観察する瞑想によって。そしてその心の本性から、すでに真理に到達していることを表す真言(マントラ)を好きなだけ唱えることによって・・」

オン シッタ ハラチベイトウ キャロミ(オーム チッタ プラチヴェーダム カローミ)*オーム、我は自己の心の真の姿を捉えん* 『五相成身観の一・通達菩提心』

そこで、一切義成就菩薩は、すべての如来たちにこう述べられました。

「私は皆さんに教えられた通りにいたしました、尊き如来様たちよ。そのことによって、私には自分の心中(フリダヤ)の上に満月(月輪=発光エネルギー球体)の姿が見えてまいりました」

すると、すべての如来たちはこう仰せになリました。

「善き男子よ。汝の心中の上に現れた満月(月輪=発光エネルギー球体)は、本来、清らかなものである。それはちょうど、汚れた布がきれいに洗われて、本来の清らかさを取り戻すように、そのように白い布を染料で染めた如く、本来は白く清らかなのである」

そして、すべての如来たちは、『心は本来、清らかなものである』ということを更に気づかせるために、重ねて一切義成就菩薩に、

オン ボージシッタ ボダハダヤミ(オーム ボーディチッタム ウトパーダヤーミ)*オーム 我は菩提心を起こさん*

という、すでに真理に到達していることを表す真言(マントラ)によって、彼の菩提心(悟りに至る心)を引き起こされました。この教えによって菩提心を引き起こした一切義成就菩薩は、その心境をすべての如来たちに告げました。

「私の心中(フリダヤ)の上に現れた満月の形をしたものが、今や本物の満月に見えてまいりました」『五相成身観のニ・修菩提心』

そこで、すべての如来たちはこう申されました。

「汝の菩提心は、すべての如来たちの心の中(フリダヤ)そのものなのである。汝は今や、悟りに至る心(菩提心)を引き起こす普賢菩薩の心に至ったのであり、それによってすべての如来たちに敬われるべき存在になったのである。その偉大なる菩提心は、完成されなければならない。そこでまずそのすべての如来たちの普賢の心を堅固にするために、汝はこの真言(マントラ)を唱えることによって、自らの満月(月輪=発光エネルギー球体)の中に金剛(杵)の姿を思い浮かべよ。

オン チシュタ バザラ(オーム ティシュタ ヴァジュラ)*オーム 立て金剛(杵)よ*

この教えに従い行をした一切義成就菩薩は、すべての如来たちにこう告げられました。

「尊き如来様たちよ、私は満月の中に金剛(杵)を見ます」 『五相成身観の三・修金剛心』

次いですべての如来たちは、こう仰せになりました。

「汝はこの真言(マントラ)を唱えることによって、すべての如来の普賢の心であるその金剛(杵)を堅固にせよ」

オン バザラ タマクカン(オーム ヴァジュラアートマコー アハム)*オーム 我の本質はこの金剛(杵)に他ならず*

一切義成就菩薩はすべての如来たちから教えられたこの真言(マントラ)を唱えました。すると、宇宙のすべてを満たすほど多くの、すべての如来の体と言葉と心が金剛不滅に輝き渡る悟りの世界(一切如来身語意金剛界)が、すべての如来たちの霊エネルギーを注入(加持)されて、一切義成就菩薩の心中(フリダヤ)にある、彼の本質そのものである金剛(杵)の中に入って行きました。

そして、いとも尊き一切義成就菩薩は、すべての如来たちによって、

「(汝は)金剛界なり、(汝は)金剛界なり」

と、堅固に光リ輝く永遠不滅の悟りの世界そのものを名とする灌頂(金剛名灌頂)を授けられました。そこで、今や『金剛界』という灌頂名を賜わった一切義成就大菩薩は、すべての如来たちにこう申し上げました。

「尊き如来様たちよ、私は今、私自身の体が、すべての如来が集合したエネルギー体となったように感じられます」『五相成身観の四・証金剛身』

すると、すべての如来たちは、こう申されました。

「金剛界大菩薩よ、その瞑想を更に進め、自らをブッダたらしめる次のような真言(マントラ)を好きな数だけ唱え、それによってすべてにおいて最も勝れた姿形を備え、ブッダの姿そのものである心中の金剛(杵)が汝自身であると思え」

オン サラバタタギャタ サタタ カン(オーム ヤター サルバタターガタース タター アハム)*オーム 一切如来があるが如く、その如くに我はあり*

このように教えを受けた金剛界大菩薩(一切義成就菩薩の灌頂名)は、この真言(マントラ)こそ、すべての如来たちの真実であり、今この瞬間に直ちにブッダと成る(即身成仏)ことの出来る秘儀であると気づき、この仏身円満の真言をひたすらお唱えになりました。

するとその場で、自分がもはや如来と同等である(現等覚)と悟り、金剛界如来となった彼はすべての如来たちに恭しく礼拝して、次のように申し上げました。

「私に如来のエネルギーを注入(加持)してください、尊き如来様たちよ。そしてこの私の悟りを堅固なものにしてください」

すると、すべての如来たちは、悟りを開いて金剛界如来となった彼の体そのものである金剛(杵)の中に入ったのでした。『五相成身観の五・仏身円満』

そのことによって、いとも尊き金剛界如来は、この瞬間に、すべての如来たちと自分はまったく等しいものであるという智慧による悟り(現等覚)を得て、すべての如来たちとまったく同じ堅固不滅の智慧を持ったことによって印契の秘密のエネルギーを保持して悟りの境地に入り、すべての如来たちとまったく同じ真理を知る智慧によってあらゆるものを平等にその本質において清らかにし、すべての如来たちとまったく同じであるという智慧によってあらゆるものがその本質において清らかであるという智慧の源となり、かくて如来であり阿羅漢(最高の悟りを得た聖者)であり正等覚者(正当な如来の一員)となったのでした。

[毘盧舎那如来の誕生]

そしてすべての如来たちは、正当な如来の一員となられた金剛界如来の身体そのものである金剛(杵)より出られて、どのような願いでも叶える無限の宝蔵である虚空蔵菩薩のエネルギーを頭上に灌いで(灌頂)宇宙の法王の資格を授け、次いで観自在菩薩の智慧である無上の真理を生起せしめて、すべての如来たちのその上に立つ宇宙の創造者(一切業者)たる資格を持つ者としたのでした。

かくて宇宙の創造者たる資格を得た金剛界如来を伴い、すべての如来たちは、須弥山(宇宙の中央にある山)の頂きの金剛摩尼宝頂楼閣に移動しました。そこで改めて金剛界如来にエネルギーを注入(加持)して法王の地位を盤石にすると、彼を宇宙の中心である獅子座にすべての方向を向くように座らせたのでした。こうして彼は釈迦牟尼如来、すなわち毘盧舎那如来となられたのでした。

一方、阿閦如来と宝生如来と観自在王如来と不空成就如来の四仏は、すべての如来たちと同等であるという資格を得るために自らにそのすべての如来たちのエネルギーを注入してすべての如来たちそのもの(集合エネルギー体)となり、宇宙の中心に鎮座する釈迦牟尼如来(毘盧舎那如来)があらゆる方向に意識を向けすべては平等であるという境地に至っていることを知ることで、その四方、すなわち阿閦如来は東方に、宝生如来は南方に、観自在王如来は西方に、不空成就如来は北方にそれぞれ座したのでした。

『十六大菩薩生』

[金剛薩埵の顕現]

こうして今、すべての如来たちの悟りをすべて得られた世尊・毘盧舎那如来、すなわちすべての如来の大菩提心という真髄のエネルギー体である普賢菩薩を金剛(杵)という形で心中(フリダヤ)に保持し、すべての如来たちの広大無辺の空間より現出したすべての願いを叶える宝冠を、その頭上に戴く灌頂を授けられ、すでにすべての如来たちの真理の集合エネルギー体である観自在菩薩の、最も勝れた法の智慧を獲得しており、すでにすべての如来たちそのものの宇宙の創造者たる地位を得ているが故に、その教えは嘘偽りなく完璧であって疎外されることはなく、為すべきことは完全に成し遂げて、心に願うことは完全に実現して、その宇宙創造者としての全責任を自らに引き受けられた世尊・毘盧舎那如来は、その心中(フリダヤ)にある普賢大菩薩の菩提心のエネルギーに同化することによって現れた、全宇宙そのものである絶対的存在者・金剛薩埵をその心中(フリダヤ)より言葉によって顕現させました。

「金剛薩埵よ」

こうして毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)である金剛薩埵が現出したとみるや、すべての如来たちの大菩提心のエネルギー体である尊き普賢大菩薩は、発光エネルギー球体(月輪)となってそれぞれの如来たちの心中(フリダヤ)より出られ、すべての生きとし生けるものの悟りに至る心(菩提心)を清められた後、すべての如来たちの傍らに付きました。

すると、その発光エネルギー球体(月輪)から、すべての如来たちの智慧の金剛(杵)が現れ出て、世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に一斉に入ったのでした。それらの金剛(杵)は、金剛薩埵の悟りの境地があまりにも堅固であることを知ったすべての如来たちによってエネルギーを加えられてひとつになり、全宇宙を凌駕するほどの大きさになって全宇宙に光り輝きました。その金剛(杵)は、両方の先端が如来の五つの智慧(五智)を顕わす五つの尖りを持ち、すべての如来たちの金剛のように堅固な身体活動、言語活動、精神活動を顕わす形を取って現出し、毘盧舎那如来の手の上に納まりました。

その金剛(杵)から、金剛(杵)の形をした光線が放たれました。その光線は様々な色や形になって拡散し、全宇宙の隅々まで輝き渡りました。

さらにその金剛光線の先端から、全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)の数に等しい如来の体が出現しました。それらの如来たちは、宇宙の全体に蔓延し、広大無辺の空間を包含し、雲の如く海の如く広がっていったのでした。

彼ら無数の如来たちは、すべての如来たちと同等の智慧を得ている故、すべての生きとし生けるものの世界に姿を現し、すべての生きとし生けるものに悟りに至る心(菩提心)を引き起こさせるという普賢菩薩の働きを円満にし、すべての如来たちの眷族にそれぞれ奉仕しながら大いなる悟りの階梯を登り、すべての魔を粉砕しながら最高の悟りに達成し、真理の輪を回して、余すところなく生きとし生けるものの世界を救済し、生きとし生けるものに利益と安楽を齎らすなど、すべての如来たちの神通力(あらゆることを可能にする能力)を駆使し、こうして無上の悟りの境地に至ったのでした。

そしてその後、如来たちは、金剛薩埵の悟りの境地が普く賢いもの(普賢)であること、さらにそれが極めて堅固であることによって、集合エネルギー体としてひとつに固まり、普賢大菩薩の体となり、世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入って、次のような頌(詩)によってその心の内からの喜びを表明したのでした。

「ああ、我は普賢である。自らのエネルギーによって自らを生み出すもの、すなわちすべての如来たちの大菩提心の顕現である存在者(薩埵)なのだ。なぜなら、その菩提心は堅固不滅(金剛)である故に、本来は見えないもの(エネルギー)であるにもかかわらず、こうして身体を持つもの(薩埵)となったからである」

そう謳い終わると、普賢大菩薩は世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、東方に位置する阿閦如来の前方の発光エネルギー球体(月輪)の中に座り、そして毘盧舎那如来に教えを賜らんことを希ったのでした。

そこでいとも尊き毘盧舎那如来は、すべての如来たちの智慧は金剛のように堅固であるという瞑想(一切如来智慧三昧耶金剛)に入って、すべての如来たちの五つの功徳的身体(五部法身)である戒(戒めの相)、定(瞑想の相)、慧(智慧の相)、解脱(煩悩の衣を脱ぎ捨てた相)、解脱知見(煩悩の衣を脱ぎ捨てたことを客観視する相)であり、転法輪(生きとし生けるものを済度する為に回す法の輪)であり、生きとし生けるものを幸福にする偉大なる作用(大方便)であり、力であり、励み(精進)であり、偉大なる智慧そのものの金剛(杵)、すなわちそれは、余すところなくすべての生きとし生けるものの世界を救済し、生きとし生けるものを残らず完全なる自由と完全なる安楽と満足とを与えるため、さらにすべての如来たちと生きとし生けるものは完全に平等であるという智慧と、それに基づいてすべての如来たちが持つ神通力(何ごとも自由にする力)が生きとし生けるものにも備わっていることを知らしめ、この上ない大乗(すべての生きとし生けるものを残らず悟らしめる教え)を顕わす最上の悟りの境地を得るという良い結果を与えるために、そのすべての如来たちの悟りの境地そのものであるその金剛(杵)を、普賢大菩薩の頭にブッダの身体そのものである宝冠と繒綵(美しく装飾した絹織物)を被せて灌頂し、転輪王(世界を普く支配する王)の位を授けた上で、彼の両手に持たせたのでした。

するとすべての如来たちは、口を揃えて

「(汝は)金剛手である。(汝は)金剛手である」

と賛美し、彼に金剛手菩薩という灌頂名を授けました。

そこで金剛手菩薩摩訶薩(堅固不滅の光り輝く金剛を手にした悟れる人)は、左手に金剛慢印を作り、右手にその金剛(杵)を握って胸(フリダヤ)の前で振りながら、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「まさにこれこそは、あらゆるブッダのこの上ない悟りの境地を顕わす金剛に他なりません。これは金剛(杵)として、今、我が手に与えられ、金剛のように堅固に収まっております。まさに私こそ、この金剛(杵)そのものなのです!」

[金剛王菩薩の顕現]

世尊・毘盧舎那如来は、続いて不空王大菩薩(まさに王である偉大な菩薩)のエネルギーから出現した薩埵加持金剛(全宇宙はそのまま金剛薩埵であるというエネルギーの注入)という名の瞑想に入ることによって、そのすべての如来たちが持つすべての生きとし生けるものを鉤に引っ掛けて悟りの世界に引き込む(鉤召)エネルギーを自らの心中(フリダヤ)より引き出し、心呪(フリダヤ)と共に顕現化しました。

「金剛王よ」

この心呪(フリダヤ)が顕現化したとみるや、かの尊き金剛手菩薩は、すべての如来たちの偉大なる鉤となってすべての如来たちそれぞれの心中(フリダヤ)から出て、世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、集合エネルギー体としてひとつに固まり、巨大な金剛鉤として再び毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出ました。そして世尊・毘盧舎那如来の手の上に収まったのでした。

するとその巨大な金剛鉤から、全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)に等しい無数の如来の身体が出現して、すべての如来たちが持つあらゆるものを悟りに引き込む鉤召の能力(神通力)によってその姿を顕しました。そしてそれらの如来たちは、金剛薩埵のエネルギーが極めてまさに王そのものであり、それが極めて堅固であることにより、ひとつに固まって集合エネルギー体となり、不空王大菩薩となって世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入ると、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「ああ、実に私は不空王である。金剛より出現した鉤である。なぜならそれは、あらゆる宇宙に遍満するブッダは、すべての生きとし生けるものを悟りに導くために鉤召(鉤で引き込む)するからである」

そして不空王大菩薩は世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、すべての如来たちの集合エネルギー体のひとつである、東方に住する阿閦如来の右側の発光エネルギー球体(月輪)の中に座り、毘盧舎那如来に教えを賜らんことを希ったのでした。

そこで世尊・毘盧舎那如来は、すべての如来たちの堅固不滅の鉤召という悟りの境地(一切如来鉤召三昧耶金剛)という瞑想に入って、すべての如来たちの鉤召のエネルギーである金剛鉤、それはすなわち余すところなくすべての生きとし生けるものを鉤に掛けて悟りに導き、完全な安楽と満足とを与え、さらにすべての如来たちの集合エネルギーに同化させるというこの上ない悟りの境地に誘うその金剛鉤を、不空王菩薩の両手に授けました。

するとすべての如来たちは、

「(汝は)金剛鉤召である。(汝は)金剛鉤召である」

と言って不空王菩薩に金剛鉤召菩薩という金剛名灌頂を授けました。

そこで金剛鉤召菩薩は、その金剛鉤を持ってすべての如来たちを引き寄せながら、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「まさにこれこそは、あらゆるブッダのこの上ない金剛不壊の智慧に他なりません。なぜならこれは、あらゆるブッダがすべての生きとし生けるものを悟りに導くというその目的を達成するための、最も勝れた鉤だからです!」

[金剛愛菩薩の顕現]

次に世尊・毘盧舎那如来は、大いなる愛欲の菩薩(摩羅大菩薩)のエネルギーから出現した薩埵加持金剛(全宇宙はそのまま金剛薩埵であるというエネルギーの注入)という瞑想に入って、このすべての如来たちを喜ばせる愛欲のエネルギーを自らの心中(フリダヤ)から引き出し、心呪(フリダヤ)と共に顕現化しました。

「金剛貪愛よ」

この心呪(フリダヤ)が顕現化したとみるや、かの尊き持金剛は、すべての如来たちの花箭(花の矢・キューピットの矢のように人の心に刺さって愛欲を齎らす矢)となってすべての如来たちの心中(フリダヤ)より出て、世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、集合エネルギー体となってひとつに固まり、堅固不滅に光り輝く巨大な矢(金剛箭)となり、再び毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、毘盧舎那如来の手の上に収まったのでした。

するとその巨大な金剛箭から、全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)の数に等しい無数の如来が出現して、すべての如来たちを喜ばせる愛欲の能力(神通力)によってその姿を顕しました。そしてその如来たちは、金剛薩埵のエネルギーがよく殺すものであり、それが極めて堅固であることにより、ひとつに固まって集合エネルギー体となり、摩羅大菩薩となって毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入ると、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「ああ、実に私の本質は清らかである。しかも私は自らを生み出すあらゆる存在(自性者・ブッダを指す。ただし、密教的解釈では、あらゆる存在は大日如来なのであるから、つまり私たちを含めたあらゆる存在を意味している)を愛欲に染めるものである。なぜなら、すでに愛欲から離れたものをさらに清らかにするため、それらを貪愛のエネルギーによってこらしめる(調伏)からである」

そして摩羅大菩薩は世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、すべての如来たちの集合エネルギー体のひとつである、東方に住する阿閦如来の左側の光の玉(月輪=発光エネルギー球体)に座り、毘盧舎那如来に教えを賜らんことを希ったのでした。

そこで世尊・毘盧舎那如来は、一切如来愛染加持金剛(すべての如来たちの堅固不滅の愛欲に染める悟りの境地)という瞑想に入って、すべての如来たちの能殺のエネルギーである金剛箭、すなわちそれは、余すところなくすべての生きとし生けるものを愛欲に染めて、あらゆる快楽と満足を得させ、さらにすべて如来たちの魔の業(魔王マーラーの欲望のエネルギー)というこの上ない悟りの世界に導くために、この金剛箭を摩羅大菩薩の両手に授けました。

するとすべての如来たちは、

「(汝は)金剛弓である。(汝は)金剛弓である」

と言って摩羅大菩薩に金剛弓菩薩という金剛名灌頂を授けました。

そこで金剛弓菩薩摩訶薩は、その金剛の弓矢ですべての如来たちを射殺しながら、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「まさにこれこそは、あらゆるブッダの濁りなき貪愛の智慧に他なりません。なぜならこれは、貪愛によってすべての如来たちの欲望から離れた心を殺して、あらゆる生きとし生けるものに完全なる安楽を与えるための、最も勝れた弓矢だからです!」

[金剛喜菩薩の顕現]

次に世尊・毘盧舎那如来は、大いなる歓喜の菩薩(歓喜大菩薩)のエネルギーから出現した薩埵加持金剛(全宇宙はそのまま金剛薩埵であるというエネルギーの注入)という名の瞑想に入って、このすべての如来たちを歓喜させるエネルギーを自らの心中(フリダヤ)から引き出し、心呪(フリダヤ)と共に顕現化しました。

「金剛善哉(素晴らしいという叫び)よ」

この心呪(フリダヤ)が顕現化したとみるや、かの尊き持金剛は、すべての如来たちの善哉(素晴らしい)という喜びのエネルギーとなってすべての如来たちの心中(フリダヤ)から出て、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、集合エネルギー体としてひとつに固まり、巨大な金剛喜として再び毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、毘盧舎那如来の手の上に収まったのでした。

するとその巨大な金剛喜から、全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)の数に等しい無数の如来が出現して、すべての如来たちの善哉(素晴らしい)という叫びのエネルギーによってその姿を顕しました。そしてその如来たちは、金剛薩埵のエネルギーが極めて歓喜であり、それが極めて堅固であることにより、集合エネルギー体としてひとつに固まり、歓喜王大菩薩として毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入ると、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「ああ、実に私は善哉(素晴らしいという叫び)そのものであって、あらゆる智慧を持つすべてのものの中でも最も勝れた智慧者である。なぜなら、愚かな考えを切り捨てるものたちに堅固不滅の歓喜を齎らす者であるからである」

そして歓喜王大菩薩は、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、すべての如来たちのエネルギー体のひとつである、東方に住する阿閦如来の後方の発光エネルギー球体(月輪)の中に座り、毘盧舎那如来に教えを賜らんことを希ったのでした。

そこで世尊・毘盧舎那如来は、すべての如来たちの金剛不滅の喜びを与える境地(一切如来令喜金剛)という名の瞑想に入り、すべての如来たちのこの上ない喜びのエネルギーによってあらゆる生きとし生けるものに余すところなく大いなる快楽と満足を得させ、さらにすべての如来たちのこの上ない歓喜の味という悟りの境地に導くために、この金剛喜を歓喜王大菩薩の両手に授けました。

するとすべての如来たちは、

「(汝は)金剛喜である。(汝は)金剛喜である」

と言って歓喜大王菩薩に金剛名灌頂を授けました。

そこで金剛喜菩薩摩訶薩は、その金剛喜によってすべての如来たちを善哉(素晴らしい)という叫びと共に喜ばせながら、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「まさにこれこそは、すべての如来たちに善哉(素晴らしい)という叫びを上げさせるものに他なりません。なぜならこれは、すべての如来たちに歓喜を齎らす極めて優れた金剛であり、すべての如来たちの歓喜を増幅するからです!」

以上が、東方・阿閦如来の四親近菩薩です。つまりすべての如来たちの偉大な菩提心である金剛薩埵(阿閦如来の前方)、すべての如来たちの鉤召の境地である金剛王菩薩(阿閦如来の左側)、すべての如来たちの愛染の智慧である金剛愛菩薩(阿閦如来の右側)、すべての如来たちの大いなる歓喜である金剛喜菩薩(阿閦如来の後方)です。彼らはみな、すべての如来たちの偉大なエネルギーから生まれた存在(大三昧耶薩埵)であります。

[金剛宝菩薩の顕現]

次に世尊・毘盧舎那如来は、虚空蔵菩薩のエネルギーから出現した、堅固不滅の宝の力(宝加持金剛)という名の瞑想に入って、このすべての如来たちが行う灌頂の儀式に伴うエネルギーを自らの心中(フリダヤ)から引き出し、心呪(フリダヤ)と共に顕現化しました。

「金剛宝よ」

この心呪(フリダヤ)が顕現化したとみるや、金剛薩埵のエネルギーが広大無辺の空間はすべて平等であるという智慧に通じていることから、かの尊き持金剛は、すべての空間に行き渡る光明となってすべての如来たちの心中(フリダヤ)から出現しました。そしてその無数の光明はすべての世界を輝かし、宇宙空間全体に行き渡ったのでした。

さらにその光り輝く空間全体は、すべての如来たちのエネルギーを注がれて、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、金剛薩埵のエネルギーがすべての空間を包み込むものであることから、そのエネルギーは全宇宙を包み込む胎蔵として、広大な堅固不滅の宝(大金剛宝)となり、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、毘盧舎那如来の手の上に収まりました。

するとその金剛宝から、全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)の数ほどの如来が出現して、すべての如来たちの灌頂を行うなどのすべてを自由に出来る能力を現しました。そしてその如来たちは、金剛薩埵のエネルギーが全宇宙空間を包み込む胎蔵から生まれたものであり、またそれが極めて堅固であることから、集合エネルギー体としてひとつに固まり、虚空蔵大菩薩となり、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「ああ、実に私は素晴らしい灌頂の儀式によって宝冠を授けられたもの、この上ない金剛宝である。なぜなら、あらゆるものの中で最も勝れたものは、すでに何の執着がないにもかかわらず、全世界(三界)の法王として認識されるからである」

そして虚空蔵菩薩は世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、南方・宝生如来の前方の光の玉(月輪=発光エネルギー球体)に座り、毘盧舎那如来に教えを賜らんことを希ったのでした。

そこで世尊・毘盧舎那如来は、すべての如来たちのあらゆる願いを叶える堅固不滅の宝(一切如来摩尼宝金剛)という瞑想に入り、すべての如来たちの、あらゆる生きとし生けるものの心を豊かにする堅固不滅のエネルギー(金剛摩尼)を、余すところなく生きとし生けるものの世界に注ぎ込むという目的を達成させて安楽と満足を得させるため、さらにすべての如来たちの目的であるこの上ない悟りの境地に導くため、その金剛摩尼(あらゆる願いを叶える堅固不滅の宝のエネルギー)を虚空蔵大菩薩の両手に授けました。

するとすべての如来たちは、

「(汝は)金剛蔵菩薩である、(汝は)金剛蔵菩薩である」

と言って虚空蔵菩薩に金剛名灌頂を授けました。そこで金剛蔵大菩薩は、その金剛摩尼のエネルギーを吸収しながら、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「まさに私こそが、すべての如来たちのあらゆるものを豊かにする灌頂のエネルギーそのものに他なりません。宇宙中に散りばめられていた宝は、今やひとつとなって私の手に与えられたのです!」

[金剛光菩薩の顕現]

次に世尊・毘盧舎那如来は、大威光大菩薩のエネルギーから出現した、堅固不滅の宝の力(宝加持金剛)という名の瞑想に入り、このすべての如来たちの光明のエネルギーを自らの心中(フリダヤ)から引き出し、心呪(フリダヤ)と共に顕現化しました。

「金剛威光よ」

この心呪(フリダヤ)が顕現化したとみるや、かの尊き金剛手菩薩は様々な大いなる日輪となってすべての如来たちの心中(フリダヤ)から出て、世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、集合エネルギーとしてひとつに固まり、堅固不滅の太陽(金剛日)となって毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出現し、毘盧舎那如来の手の上に納まりました。

するとその金剛日輪から、全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)の数ほどの如来が出現してすべての如来たちの光明を放つエネルギーによってその姿を現しました。そしてその如来たちは、金剛薩埵のエネルギーが極めて大いなる光であることで、さらにそれが極めて堅固であることによって集合エネルギーとしてひとつに固まり、大威光大菩薩となって世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明しました。

「ああ、実に私は生きとし生けるものの世界を照らす比類なき光である。その私の光は、すでに清らかな諸々のブッダや救世者(菩薩)すらも、さらに清らかにするのだ」

そしてそのすべての垢を落として清らかにする光の菩薩(離垢光菩薩)は、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、南方・宝生如来の右側の月の珠(月輪=発光エネルギー球体)に座り、毘盧舎那如来に教えを賜らんことを希ったのでした。

そこで毘盧舎那如来は、すべての如来たちの堅固不滅の光輪(一切如来光輪加持金剛)という名の瞑想に入り、すべての如来たちの光明のエネルギーである金剛日、すなわちそれは、すべての生きとし生けるものの世界を余すところなく照らし、すべての安楽と満足を得させ、さらにすべての如来たちが光明を獲得するというこの上ない悟りの境地に到達させるために、その金剛日を大威光大菩薩の両手に授けたのでした。

するとすべての如来たちは、

「(汝は)金剛光である。(汝は)金剛光である」

と言って、大威光菩薩に金剛名灌頂を授けました。そこで金剛光菩薩は、手にした金剛日ですべての如来たちを照らしながら、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明しました。

「まさにこれこそ、あらゆるブッダが生きとし生けるものの無知の暗闇を消し去るものに他なりません。その光明は、砂の数ほどの太陽を遥かに凌いでおります!」

[金剛幢菩薩の顕現]

次に、世尊・毘盧舎那如来は、宝幢大菩薩のエネルギーから出現した、堅固不滅の宝の力(宝加持金剛)という名の瞑想に入り、このすべての如来たちの心の願いを完全に満足させるエネルギーを自らの心中(フリダヤ)から引き出し、心呪(フリダヤ)と共に顕現化しました。

「金剛幢よ」

この心呪(フリダヤ)が顕現化したとみるや、かの尊き持金剛は、様々な色や形をした美しい多くの幢(旗)となってすべての如来たちの心中(フリダヤ)から出て、世尊・毘盧舎那如来の(フリダヤ)に入り、集合エネルギーとしてひとつに固まり、金剛幢となって毘盧舎那如来の手の上に納まりました。

するとその金剛幢から、全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)の数ほどの如来が出現し、金剛薩埵のエネルギーが大いなる宝の旗のように高く聳えるものであること、またそれらが極めて堅固であることにより、集合エネルギーとしてひとつに固まり、宝幢大菩薩となって毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「ああ、実に私は、すべての悟りの達成者にとっての最高の幢である。それはすでにすべての願いを叶えた人々に対しても、さらにすべての目的を達成させるのである」

そして宝幢大菩薩は毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、南方・宝生如来の左側の発光エネルギー球体(月輪)の中に座り、毘盧舎那如来に教えを賜らんことを希ったのでした。そこで毘盧舎那如来は、すべての如来たちの堅固不滅の高揚(一切如来高揚加持金剛)という瞑想に入り、すべての如来たちの如意王摩尼幢(あらゆる願いを叶える偉大な王のような幢)を高く掲げるエネルギー、すなわちあらゆる世界の生きとし生けるものの願いを余すところなく叶えて、すべてに満足と安楽を与え、さらにすべての如来たちに大いなる恵みという最上の悟りの境地に到達させるため、その金剛幢を金剛幢大菩薩の両手に授けたのでした。

するとすべての如来たちは、

「(汝は)金剛幢である。(汝は)金剛幢である」

と言って金剛幢菩薩に金剛名灌頂を授けました。そこで金剛幢菩薩摩訶薩は、その金剛幢を振ってすべての如来たちに恵みを与える行為を奨励しながら、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明しました。

「まさにこれこそは、すべてのブッダが生きとし生けるものの願いを完全に叶えるものに他なりません。この如意宝幢は、まさに悟りへの道なのです!」

[金剛笑菩薩の顕現]

次に世尊・毘盧舎那如来は、常に喜びに溢れた感覚器官を司る菩薩(常悦喜根菩薩)のエネルギーから出現した堅固不滅の宝の力(宝加持金剛)という瞑想に入り、このすべての如来たちの喜びのエネルギーを自らの心中(フリダヤ)から心呪(フリダヤ)と共に顕現化しました。

「金剛笑よ」

するとその心呪(フリダヤ)が顕現したのをみるや、かの尊き持金剛は、すべての如来たちの微笑となってすべての如来たちの心中(フリダヤ)から出て、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、集合エネルギーとしてひとつに固まり、金剛微笑となって毘盧舎那如来の手の上に納まりました。

そしてその金剛微笑から全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)の数ほどの無数の如来が出現し、すべての如来たちの奇跡を起こす能力(神通力)となり、また金剛薩埵のエネルギーが常に喜びに満ちた機根を持つこと、さらにそれが極めて堅固であることで、集合エネルギーとしてひとつに固まり、常悦喜根大菩薩となって世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明しました。

「ああ、実に私は大いなる笑いである。すべての高みにいる者にとっての大いなる奇跡である。なぜなら正しい悟りに至る者は、常にブッダの目的を実現しようとして努力するからである」

そして常悦喜根大菩薩は、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、すべての如来たちの集合エネルギー体のひとつである南方・宝生如来の後方の月の珠(月輪=発光エネルギー球体)に座り、あらためて毘盧舎那如来に教えを賜らんことを希いました。

そこで毘盧舎那如来は、すべての如来たちの堅固不滅の奇跡の力(一切如来奇跡加持金剛)という名の瞑想に入り、すべての如来たちの奇跡を起こすエネルギー、すなわちそれは、あらゆる世界の生きとし生けるものの感覚器官に余すところなくこの上ない安楽と幸福を齎らすため、さらにすべての如来たちの感覚器官を完全に清らかにする智慧の能力(神通力)を獲得させるために、その金剛微笑を常悦喜根大菩薩の両手に授けたのでした。

するとすべての如来たちは、

「(汝は)金剛笑である。(汝は)金剛笑である」

と言って常悦喜根大菩薩に金剛名灌頂を授けたのでした。

すると金剛笑菩薩摩訶薩は、金剛微笑を持ってすべての如来たちを喜びに包みながら、次のような頌(詩)如来よって心の内の喜びを表明しました。

「まさにこれこそは、すべてのブッダの奇跡を起こすものです。大いなる喜びを齎らすこの智慧は、他の教主たちには知る由もないでしょう!」

以上が南方・宝生如来の四親近菩薩です。つまりすべての如来たちの大いなる灌頂である金剛宝菩薩(宝生如来の前方)、すべての如来たちの広大な光の輪である金剛光菩薩(宝生如来の後方)、すべての如来たちの生きとし生けるものに恵みを与える智慧である金剛幢菩薩(宝生如来の左側)、すべての如来たちの大いなる笑いである金剛笑菩薩(宝生如来の右側)です。彼らはみな、すべての如来たちの偉大なエネルギーから生まれた存在(大三昧耶薩埵)です。

[金剛法菩薩の顕現]

次に世尊・毘盧舎那如来は、すべてを見通す力を持つ観自在大菩薩のエネルギーから出現した、すべては平等であるという堅固不滅の宇宙の真理(法加持金剛)という名の瞑想に入り、このすべての如来たちのすべては平等であるという宇宙の真理のエネルギーを自らの心中(フリダヤ)から心呪(フリダヤ)と共に顕現化しました。

「金剛法よ」

この心呪(フリダヤ)が顕現化したとみるや、かの尊き持金剛は、金剛薩埵のエネルギーが、本来、すべてのものは平等にみな清らかであるという智慧(自性清浄法平等性智)を持つものであることから、妙なる真理の光となって、すべての如来たちの心中(フリダヤ)から出現しました。するとあらゆる世界は、その光によって輝かされ、まさにその本質において悟りの世界そのものに変わったのでした。

そしてその悟りの世界の全体は、世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、集合エネルギー体としてひとつに固まり、すべての宇宙空間を包み込むほどの巨大な蓮華となって、再び毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、毘盧舎那如来の手の上に収まりました。そしてその大蓮華から、全宇宙を構成する極微細の塵(素粒子)の数ほどの如来が出現して、すべての如来たちの悟りの境地と智慧とすべてを思い通りにする能力(神通力)などのエネルギーとして姿を現し、金剛薩埵のエネルギーがすべてを見通せること、さらにそれが極めて堅固であることによって、集合エネルギー体としてひとつに固まり、観自在大菩薩となり、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明しました。

「ああ、実に私は勝れた真理そのものである。なぜなら、私によって初めて、普段は隠されている本来の姿、すべては清らかであるという姿をあらゆるものに知らしめることで、ただ悟りに導くだけではない宇宙の本質が開示されるからである」

そして観自在菩薩は毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、すべての如来たちのエネルギー体のひとつである西方・世自在王如来(観自在王如来と同じ)の前方の月の珠(月輪=発光エネルギー球体)に座り、毘盧舎那如来に改めて教えを賜らんことを希いました。

そこで毘盧舎那如来は、すべての如来たちの堅固不滅の智慧のエネルギー(三昧耶金剛)という名の瞑想に入り、すべての如来たちの生きとし生けるものを完全に清らかにするエネルギー、すなわちあらゆる生きとし生けるものの魂を余すところなく清らかにし、なおかつすべてに安楽と満足を与えるため、さらにすべての如来たちのすべては平等であるという智慧とあらゆるものを自由にできる能力を獲得させるため、手の上にある金剛蓮華を観自在大菩薩の両手に授けました。

するとすべての如来たちは、

「(汝は)金剛眼である。(汝は)金剛眼である」

といって観自在菩薩に金剛名灌頂を授けました。

すると金剛眼菩薩摩訶薩は、その金剛蓮華の花弁が開こうとするのを眺めながら、生きとし生けるものの貪欲も清らかであり、その本質は汚れなきものであることを心に思い描きつつ、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「まさにこれこそは、すべてのブッダが生きとし生けるものに貪欲も本来清らかであるという真実の姿を知らせるものであります。あらゆる真理の、そのさらに上にある真理が、まさにこの私の手に与えられたのです!」

[金剛利菩薩の顕現]

次に世尊・毘盧舎那如来は、文殊師利菩薩のエネルギーから出現したすべては平等であるという堅固不滅の真理(法加持金剛)という瞑想に入り、このすべての如来たちの大いなる悟りの智慧(直観智)というエネルギーを自らの心中(フリダヤ)から心呪(フリダヤ)と共に出しました。

「金剛利よ」

するとその心呪(フリダヤ)が出現したとみるや、かの尊き持金剛は、無数の悟りの智慧の剣となってすべての如来たちの心中(フリダヤ)から出て、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、集合エネルギー体となってひとつに固まり、金剛剣となって再び毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、毘盧舎那如来の手の上に収まりました。

そしてその金剛剣から、全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)の数ほどの如来たちが出現して、すべての如来たちの悟りの智慧(直観智)のエネルギーとして姿を現し、金剛薩埵のエネルギーが言いようもなく勝れて幸せを齎らすもの(妙吉祥)であり、それが極めて堅固であることから、集合エネルギー体としてひとつに固まり、文殊師利大菩薩となって世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「ああ、実に私はすべてのブッダの不可思議なほど美しい音そのものである。なぜなら智慧はエネルギーであるから見えないけれども、音声として知覚されるからである」

そして文殊師利菩薩は、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、すべての如来たちの集合エネルギー体のひとつである西方・観自在王如来の右側の月の珠(月輪=発光エネルギー球体)に座り、改めて毘盧舎那如来に教えを賜らんと希ったのでした。

そこで毘盧舎那如来は、すべての如来たちの堅固不滅の智慧のエネルギー(般若智金剛)という名の瞑想に入り、すべての如来たちの生きとし生けるものの煩悩を断ち切るエネルギー、それはすなわち、あらゆる生きとし生けるものの世界の苦しみを余すところなく断ち切って排除し、すべてに安楽と満足を与えるため、さらにあらゆる生きとし生けるものがすべての如来たちの智慧を教えるその声(直観智)によって、完全な悟りの境地を獲得するために、手の上にある金剛剣を、文殊師利菩薩の両手に授けました。

するとすべての如来たちは、
「(汝は)金剛慧である。(汝は)金剛慧である」

と言って、文殊師利菩薩に金剛慧という金剛名灌頂を授けました。

すると金剛慧菩薩摩訶薩は、その金剛剣ですべての如来たちをめった斬りにしながら、次のような頌(詩)によって、心の内の喜びを表明したのでした。

「まさに私こそは、すべての如来たちの悟りに到達する智慧の道(般若波羅蜜多理趣)そのものです。仏法に敵対するすべてのものを断ち切るもの、すべての悪の最も勝れた破壊者なのです!」

[金剛因菩薩の顕現]

次に世尊・毘盧舎那如来は、纔発心転法輪大菩薩のエネルギーから出現したすべては平等であるという堅固不滅の真理(法加持金剛)という名の瞑想に入り、このすべての如来たちの真理の輪というエネルギーを自らの心中(フリダヤ)から心呪(フリダヤ)と共に出しました。

「金剛因よ」

その金剛因が出現したとみるや、かの尊き持金剛は、すべての如来たちのそれぞれの金剛界大曼陀羅となってすべての如来たちの心中(フリダヤ)から出て、世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、集合エネルギー体としてひとつに固まり、金剛輪となって再び毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出現して、毘盧舎那如来の手の上に収まりました。

するとその金剛輪から、全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)の数ほどの如来が出現し、すべての如来たちの、ほんの少しでも悟りの心を起こせば直ちに真理の輪を回して悟りに導くエネルギーとして姿を現し、また金剛薩埵のエネルギーがほんの少しでも悟りの心を起こせば直ちに真理の輪を回して悟りに導くもの、そしてそれが堅固不滅であることから、集合エネルギー体としてひとつに固まり、纔発心転法輪大菩薩となって毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「ああ、私は堅固不滅の最上の真理を持つものたちのエネルギーから生み出された法輪そのものである。なぜなら法輪は悟りの心を起こせば直ちに回り始めるからである」

すると纔発心転法輪菩薩は毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、すべての如来たちの集合エネルギー体のひとつである西方・観自在王如来の左側の月の珠(月輪=発光エネルギー球体)に座り、毘盧舎那如来に改めて教えを賜らんことを希ったのでした。

そこで毘盧舎那如来は、すべての如来たちの堅固不滅の法輪(一切如来輪金剛)という名の瞑想に入り、すべての如来たちの大曼陀羅のエネルギー、すなわちそれがすべての生きとし生けるものの世界に余すところなく行き渡り、すべてに安楽と満足を与え、さらにすべての如来たちの悟りの輪を回すという最上の境地を得させるために、その手にある金剛輪を纔発心転法輪菩薩の両手に授けました。

するとすべての如来たちは、

「(汝は)金剛場である。(汝は)金剛場である」

と言って纔発心転法輪菩薩に金剛場という金剛名灌頂を授けました。そこで金剛場菩薩摩訶薩は、その金剛輪によってすべての如来たちに何ごとにも屈しない強固な悟りの境地を獲得させつつ、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「これこそは、すべてのブッダがあらゆる真理を清らかにさせるものです。この何ごとにも屈しない強固な悟りの輪こそが、悟りに向かう道場に他なりません!」

「金剛語菩薩の顕現]

次に世尊・毘盧舎那如来は、無言大菩薩(すべてを語り尽くした菩薩)のエネルギーから出現した、すべては平等であるという堅固不滅の真理(法加持金剛)という名の瞑想に入り、このすべての如来たちの言葉のエネルギーを自らの心中(フリダヤ)から心呪(フリダヤ)と共に出しました。

「金剛語よ」

この心呪(フリダヤ)が出現したとみるや、かの尊き金剛手はすべての如来たちの真理の文字となってすべての如来たちの心中(フリダヤ)より出て、毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、集合エネルギーとしてひとつに固まり、金剛念誦となって再び毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、毘盧舎那如来の手の上に収まりました。

するとその金剛念誦から、全宇宙を構成する極微細な塵(素粒子)の数ほどの如来が出現して、すべての如来たちの本質のエネルギーとして姿を現し、また金剛薩埵のエネルギーが見事にすべてを語り尽くしていて、それが極めて堅固であることから、集合エネルギーとしてひとつに固まり、無言大菩薩となって世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)に入り、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「ああ、私はあらゆる自らを生み出す者たちの秘密の言葉である。なぜならそれは、言葉による誤った解釈を離れて真理そのものを教えるからである」

そして無言大菩薩は、世尊・毘盧舎那如来の心中(フリダヤ)から出て、すべての如来たちの集合エネルギー体のひとつである西方・観自在王如来の後方の月の珠(月輪=発光エネルギー球体)に座り、毘盧舎那如来に教えを賜らんことを希ったのでした。

そこで毘盧舎那如来は、すべての如来たちの堅固不滅の言葉(語金剛)という名の瞑想に入り、すべての如来たちの言葉の智慧、すなわちあらゆる生きとし生けるものの世界を余すところなく言葉によって悟りに導き、すべてに安楽と満足を与えるため、さらにすべての如来たちの秘密の言葉の意味を直観させ無上の境地を獲得させるために、その手にある金剛念誦を無言大菩薩の両手に授けました。

するとすべての如来たちは、

(汝は)金剛語である。(汝は)金剛語である」

と言って無言大菩薩に金剛語という金剛名灌頂を授けました。

そこで金剛語菩薩摩訶薩は、その金剛念誦によってすべての如来たちを論談させつつ、次のような頌(詩)によって心の内の喜びを表明したのでした。

「まさにこれこそは、すべてのブッダの堅固不滅の秘密の言葉の発露です。それはすべての如来たちの真の言葉(真言)によってすぐさま悟りを得る力を持つものです!」

以上が西方・観自在王如来の四親近菩薩です。つまり堅固不滅の本質を知る智慧である金剛法菩薩(観自在王如来の前方)、すべての如来たちの悟りに至る智慧である金剛利菩薩(観自在王如来の右側)、偉大な真理の輪の智慧である金剛因菩薩(観自在王如来の左側)、すべての如来たちの言葉の無意味さを知る智慧である金剛語菩薩(観自在王如来の後方)です。彼らはみな、すべての如来たちの偉大な智慧から生まれた存在(薩埵)です。

金剛界大曼荼羅広大儀軌品之一

【完】

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威徳山金剛寺 密教の真髄

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