「金剛頂経を読み解く」解説(後編)
前回が金剛頂経の金剛界大マンダラの形成までのあらましとなる。これから修法マニュアル(儀軌)部門に入るが、修法マニュアル部門は極めて簡単な説明だけに留めておく。なぜなら密教の修法は阿闍梨(師匠)が認めた弟子だけに伝授されるものであり、これを師子相承というが、それ以外のものには教えてはならない、というきつい戒めが密教にはあるからである。だいたい、この金剛頂経の修法マニュアル部門を読んでも、おそらく意味不明であるだろうし、もし流れまでは理解出来ても、説かれている真言や印契は到底マスター出来ない。だから読んだだけではまったく無意味であり、もし万が一、印契や真言を覚えて見よう見まねに修法しても、霊的なレヴェルに達していなければ何の結果も出ないばかりか、悪くすると霊的な禍いを受けることにもなりかねない。それほど密教修法には霊験があるということ。だから修法に関しては、誰であろうとめったやたらに教えてはならない。それが密教なのである。
とは言っても、何でもかんでも教えないことにしてしまったら、それは小乗仏教のようなエリート主義でしかない。密教が大乗仏教であることを標榜するのなら、少なくとも密教に興味のある人には、経典のその内容くらいは解りやすく説明すべきであり、そこに説かれた密教の素晴らしい宇宙観をいっしょに味わうことは、むしろ大乗仏教の精神である衆生済度につながる。その確信のもとに、この「経典を読み解く」シリーズを開始した訳だが、まあ、それはともかく、そんな訳で、儀軌(修法マニュアル)のところは慎重に流れだけを解説することにする。
[勧請作法の解説]
まず、「すべての如来たち」と仮託された我々密教修行者は、永遠不滅に光り輝くダイヤモンドのような悟りの心そのものであり、全宇宙の体現者である金剛薩埵を招くために「百八名勧請(ひゃくはちみょうかんじょう)」を唱える。「百八名勧請」とは、金剛薩埵から始まる十六大菩薩を順番に百八の言葉で賛美することにより、金剛薩埵を勧請(招待)する作法である。そのことによって、金剛薩埵に最勝の悟りの修法の教授を願う。「百八名勧請」は本経の現代語訳に詳しく書いてあるからそちらを参照してください。
[金剛界マンダラの説示の解説]
こうしてすべての如来たち(我々密教修行者たち)の願いを聞き入れた金剛薩埵は、金剛界マンダラの描き方を解き明かす。まず、規則に従ってマンダラの中央に座り、瞑想の中で四方にいる金剛薩埵の大印契女である四波羅蜜菩薩と冥合(つまり性行為)するとイメージしながら金剛薩埵のエネルギーを吸収する。それから立ち上がって傲慢な態度で辺りを歩き回り、『我々こそは金剛薩埵なり』と宣言する。そうしてからマンダラの作成に取り掛かる。この具体的な描き方は現代語訳に記載しているから、そちらを見て欲しい。描く順番としては、まず外郭の線を引いて四つの門を描いた後、中央の中心円に大日如来を描き、その東西南北の小さな円に四波羅蜜菩薩を描き、それから四方四仏、十六大菩薩、内の四供養菩薩、外の四供養菩薩、四摂の菩薩と三十七尊を順番に描いて行く。ただし、経典の金剛界大マンダラにおける三十七尊の発生の順番がこれとは異なっている。大日如来の後が四方四仏であり、その後が十六大菩薩、そして四波羅蜜菩薩、内の四供養菩薩、外の四供養菩薩、四摂の菩薩になっている。この件ははっきり言って不明である。
[金剛阿闍梨がマンダラに入る作法の解説」
マンダラが完成したら、金剛阿闍梨(密教の先生)は作法に従って四波羅蜜菩薩の印契を結んでマンダラに入り、印を解いたら『アク』と唱えて四波羅蜜菩薩との瑜伽(要するに四波羅蜜菩薩との性行為をイメージすること)に入ってそのエネルギーを吸収する。そうしたら金剛薩埵に教誡を賜ることを宣言し、最後に自分の名前を名乗って、金剛杵でもってこの作法を完成させる。それから阿闍梨は薩埵金剛印を結んで指弾(指を鳴らすこと)と拍掌(掌を叩くこと)ですべての如来たちを迎え入れる。その刹那、金剛薩埵に伴われたすべての如来たちは、この金剛界大マンダラに集結する。次に金剛薩埵を迎え入れるために、大印を結んで先ほどの「百八名勧請」を一度だけ唱える。金剛薩埵と一体になる(入我我入)修法を終えて自らが金剛薩埵になったら、次に大羯磨最勝印を結んで『ジャク・ウン・バン・コク』と四摂の菩薩の真言を唱えて四摂の菩薩と瑜伽する。そうしたなら、すべての如来や菩薩、天女たちは金剛界大マンダラから離れられなくなり、みんな阿闍梨の支配下に入るだろう、という・・。
密教の行法の伝授を受けた密教修行者なら、このところの意味は、ああ、なるほど、と何となくでも理解出来るだろう。ただし、そうでなければ何が書いてあるのかサッパリ解らないに違いない。薩埵金剛印も大羯磨金剛印も、師匠から直接伝授を受けていなければ解りようもない。当然である。だから、流れだけを見て欲しい。とにかくこれが阿闍梨の入壇作法ということになる。以下、極めて簡単に流れを説明するだけに留める。
[弟子の入壇作法の解説]
金剛阿闍梨がマンダラにすべての如来や菩薩、天女たちを迎え入れて、金剛薩埵と一体になった後、いよいよ弟子をマンダラに入れる儀式となる。と、その前に、マンダラに入る弟子の心構えとして、全宇宙のあらゆる生きとし生けるものを救済し、すべてに恵みを与え安楽にするために最高の悟りを得ようという決意がなかればならない。「大日経」が説くところの、まさに「三句の法門」である。その決意がなければ、まずマンダラに入ることは出来ない。そこのところ、よろしいですね。あなたにその決意があれば、が前提です。ただし、その決意さえあれば、素質とか能力とか知識とかはまったく関係ない。たとえ大きな罪を犯していてもだいじょうぶ。マンダラを見、そして入るなら、すべての罪から離れることが出来る。またたとえ修行そっちのけで享楽に溺れて欲望だらけのふしだらな生活をしていたとしてもだいじょうぶ。マンダラを見、そして入るなら、すべての願望は叶えられる。またたとえ他の教えを熱心に信仰してマンダラに入ることを恐れる人がいるが、そういう人こそマンダラに入るべきである。なぜなら、マンダラによって正しい教えに導かれ、外道(誤った教え)から離れることが出来るからである。また熱心に仏道修行をしていても、なかなか成果を上げられず悩んでいる人も、マンダラを見、そして入るなら、必ず念願の悟りを得ることが出来る、という。なんとも凄い効力を持つのがマンダラである。皆さんも、マンダラを見る折には、覚悟を決めておいた方がいいだろう。
[四礼(しらい)の解説]
さて、こうして弟子を迎え入れる準備が整った金剛阿闍梨は、まず弟子に四方におられる阿閦如来、宝生如来、観自在王如来、不空成就如来の四仏とその眷族の菩薩たちに礼拝させる。それぞれの仏を讃える真言を唱えながら、五体投地という動作を行わせる。これを「四礼」という。詳細は現代語訳の方に詳しいからそちらを見て欲しい。ただし、真言は[わざと]サンスクリット語原語をカタカナにして書いてある。覚えてもいいが、なるべく使えないように配慮している。その件については後ほど述べるが、これからの解説も、真言や印契は、ただ列記するだけで、その詳細説明はなるべくしないようにする。期待していた方もいると思うが、もし覚えたければ、正式の真言阿闍梨より伝授を受けてください。ただし、紛いものも多くいるのでくれぐれも注意すること。
[覆面・執華の解説]
さて、こうして「四礼」をさせた後、金剛阿闍梨は弟子に赤い衣と上着を着せて赤い紐で目隠しをし、薩埵金剛印を結ばせて、金剛薩埵と自分は平等であるという真言を唱えさせる。これを「覆面」という。まず最初は弟子にマンダラを見せないようにしているのである。それから阿闍梨は印を結んだ弟子の両手に華鬘(頭につける花飾り)を結びつけてから、三昧耶の真言を唱えながらマンダラに入れる。これを「執華」という。
[誓誡・誓水の解説]
こうした細密な儀式を経て、ようやく弟子はマンダラに入ることが出来るのだが、実はこれからが本番である。まず、阿闍梨からの厳しくも思いやりのある訓戒が述べられる。
「今日、あなたはすべての如来たちの仲間になった。だからわたしはあなたにダイヤモンドのように堅固で永遠に光り輝く智慧を思い起こさせるだろう。そしてその智慧によって、あなたはすべての如来たちの悟りの智慧すらも獲得するだろう。ましてそれよりもレヴェルの低い境地ならなおさらである。しかし、あなたはまだマンダラを見ていない人に、そのことを語ってはならない。もし他の人に語ったならば、せっかくの智慧が跡形もなく消え失せてしまうだろう」
次に阿闍梨は、薩埵金剛印を結んで、その印を弟子の頭のテッペンに付け、こう述べる。
「この印は、ダイヤモンドのように堅固不滅の宇宙の本質を示すものである。もしあなたが他の誰かに話したら、この印はあなたの頭を瞬時に粉々に粉砕するだろう」
誰かにマンダラに入るこの儀式のことを話したら、あなたの頭は粉々になります・・。何とも怖い儀式である。これは完全なる秘密儀式であることが理解出来るだろう。それだから密教というのである。こうして弟子に訓戒を述べた後、阿闍梨は用意した水に智慧のエネルギーを注入し、特定の真言を一編唱えながら、その水を弟子に飲ませる。これを「誓水」という。そうしたら次に阿闍梨は弟子にこう伝える。
「今日より以降、わたしはあなたにとっては金剛薩埵である。あなたはわたしがこれをしなさい、と言ったら必ずしなければならない。また、あなたはわたしを軽蔑したり侮ってはならない。あなたがわたしに仕える労を惜しむならば、あなたは死んでから地獄に落ちるだろうが、決してそのようなことがないように」
凄いことを言うものである。いや、経典では、金剛薩埵が阿闍梨にそう言うように指導しているのだが、弟子にとっては、あまりにもキツい要求である。徒弟制度の極みと言うべきか。だからこそ、このマンダラへの入壇儀式において、弟子は阿闍梨に全幅の信頼と限りない敬愛の念を持っていなければならず、そうでなければそもそも入壇儀式を受けてはいけないことになる。一方、阿闍梨は密教修法に完璧に熟達していなければならず、なおかつ自信を持って儀式を遂行出来る最高の密教行者であることが要求される。阿闍梨のプレッシャーの方がむしろ大きい。改めて言うが、それだけ密教の修法は秘密性を伴うものなのである。まただからこそ、信じられないような素晴らしい効験を顕わすのである。そして阿闍梨はさらにこう告げる。
「あなたはここでこのように宣言しなさい。すべての如来たち、わたしにエネルギーを注入したまえ、金剛薩埵はわたしに入りたまえ」と。
[加持護念・投華得仏の解説]
そして阿闍梨は速やかに薩埵金剛印を結んで、次の偈(詩)を説く。
「まさにこの金剛堅固の印こそ、金剛薩埵に他ならない。まさに今、金剛堅固の智慧を汝に至らしめよ」
次に阿闍梨は忿怒拳を結び、弟子が結んでいる薩埵金剛印を崩させ、あらゆるものを悟りに至らしめる大乗の悟りを弟子に解き明かす。すると金剛不滅に光り輝くダイヤモンドのような智慧が弟子に入る。それによって、弟子は他人の心を知り、過去、現在、未来において自分の為すべきことを知り、如来の教えを信じて理解することが出来、苦しみは消え、恐れから離れ、どんな人間の中にいても害されることはなくすべての如来から守られる。また、すべての可能性は彼の目の前に広がる、という。そして弟子は、今までに経験したことのないような心からの喜びと満足に浸る。そのこの上のない悦楽に加え、ある弟子の中には願うことがすべて叶うだろうし、またある弟子の中には、如来たちの本質と同化し宇宙とひとつになる喜びを味わうという。そこで弟子は、再び薩埵金剛印を結び、金剛不滅の悟りを得る真言を唱える。この作法を「加持護念(かじごねん)」という。そうしたら弟子は、手にしていた華鬘(花飾り)を「受けよ、金剛よ」という意味の真言を唱えながら大マンダラに投げ入れる。それが落ちたところが、彼の本尊となる。これを「投華得仏(とうかとくぶつ)」という。そうしたら阿闍梨は、その華を拾って仏を得たことを意味する真言を唱えながら、弟子の頭にその華鬘(花飾り)を結びつける。その華鬘が結びつけられたことによって、弟子はその偉大なる尊格と一体になり、たちどころに悟りを得たものになる、という。
[覆面を解く解説]
そうしたら、阿闍梨は金剛の目を開かせる真言を唱えながら、弟子の覆面を取る。いよいよ金剛界大マンダラとのご対面である。弟子が大マンダラを見たら、阿闍梨はそのマンダラの生成過程を、四摂の菩薩から外の四供養菩薩、内の四供養菩薩、十六大菩薩、四方四仏、大日如来と逆の順番に辿って見せる。指で指しながら説明するということである。おそらくそれは、城壁を護る四摂の菩薩の門から入城し、八供養菩薩、十六大菩薩、四方四仏、四波羅蜜菩薩と次第に楼閣を昇り、最後にその中心にいる最頂楼閣の大日如来に辿り着くというイメージを弟子に持たせることによって、マンダラそのものを体現させようという意図があると思われる。そのことによって、弟子は直ちにすべての如来たちからエネルギーを注入され、そして金剛薩埵は弟子の心臓に安住する。その時、弟子は、金剛薩埵が光り輝くエネルギー球体(光明輪)として現れるなどの不思議な力を発揮するのを見るだろう。弟子はすでに、すべての如来たちよりエネルギーを注入されているから、時には金剛薩埵がその姿を現すのを見るかも知れない。もちろん、如来に至っては、当然、彼の前に姿を現わす。この時より、この弟子はすべての恩恵が与えられるだろう。彼がしようとすることは、すべて彼の意に叶うものとなり、そしてすべての霊験が達成されるだろう。なおかつ、金剛薩埵であることも、如来であることも、思いのままに実現出来るだろう、という。
[瓶(びよう)灌頂の解説]
大マンダラを弟子に見せた阿闍梨は、そこで水瓶に入れた香水を金剛杵によってエネルギーを注入し、灌頂の真言を唱えながら弟子の頭上に降り注ぐ(灌頂する)。
[金剛主灌頂の解説]
次に阿闍梨は、弟子が投華得仏の時に選んだ特定の一尊の印を教えて結ばせ、華鬘(花飾り)をその印に持たせて、このように告げる。
「今日、あなたは諸仏によってめでたく金剛灌頂を授けられた。今、手にしている華は、あなたの仏性そのものである。良き霊験を得るため、この永遠不滅に光り輝くダイアモンドのようなあなたの仏性をしっかり握りしめ持ち続けなさい」
[金剛名灌頂の解説]
次に阿闍梨は、金剛名を授ける真言によって、弟子に金剛名灌頂を行う。この金剛名灌頂で弟子の金剛名が決まることによって、一連の入壇作法は終了する。こうして弟子は、晴れて金剛界大マンダラの一員となったのである。
[悉地を成就する智慧の解説]
入壇作法を終えた後、ここからが密教ならではの能力開発の伝授となる。仏菩薩の持つエネルギーを活用して特殊能力を身につける、つまり悉地(しっじ)のマニュアルの伝授である。これを「悉地を成就する智慧」と表現されている。この場合の「智慧」とは、本経の解説でも前に話したように、仏菩薩の能動的な働きのことであり、それを自分のものにする実践法を意味している。だから、今まで以上に慎重に解説して行かなければならない。まずはその基礎的な智慧、つまりどうイメージして瞑想するか、その遣り方や知識、その時の印契や真言が、弟子の求める「仏の恩恵の成就(達成)」、「神通力の成就(達成)」、「真言の霊力の成就(達成)」、「すべての如来の最上の智慧の成就(達成)」という四項目に応じて、それぞれに解き明かされてゆく。これを「四種悉地智(ししゅしっじち)」という。以下がその伝授の模様である。なお、真言は現代語訳を参照のこと。
何が弟子の心の叶うものなのか。仏の恩恵を受ける成就の智慧か。それとも神通力を得る成就の智慧か。それとも言葉の霊力を受ける成就の智慧か。さらにはすべての如来の最上の智慧を成就する智慧なのか。弟子が望むそれらのどれかの智慧が、弟子に授けられるべきである。そこでまず阿闍梨は、最初の仏の恩恵を成就させる智慧と真言を学ばせるようにする。
「地の奥底に隠されている金剛杵の形を、自らの心の中でイメージしなさい。それをイメージしたならば、その人は地中にあるあらゆる隠された蔵を見ることが出来るだろう。金剛杵の形を描いて、それを空中にイメージしなさい。それが落ちたところは、隠された蔵の在りかを指し示しているだろう。智慧のある人は、金剛杵の形を舌の上でイメージしなさい。その舌は『ここに隠された蔵がある』と語るが、それは事実である。自分自身の体を、金剛杵の形そのものであるとイメージしなさい。そのイメージが完全になったところで金剛杵は地面に落ちるだろうが、その場所が隠された蔵の在りかを指し示しているだろう」
次に阿闍梨は弟子に、金剛の神通力を成就させる智慧と真言を学ばせる。
「投華によって結ばれた一尊と入我我入を果たした人は、水が金剛杵の形であると観想したならば、すぐにも水の上を歩き回ることが出来るだろう。同じように入我我入の瞑想状態の中で、自らの正しい姿を思い起こし、それをブッダの姿であると観ずれば、その人はブッダの姿になるだろう。同じように入我我入の瞑想の中で、「我は虚空なり」と観ずれば、その人は人の見えない状態で歩き回ることが出来るだろう。また同じく入我我入の瞑想状態の中で、「我は金剛なり」と観ずれば、その人は意識が上昇してゆく間、虚空をゆくものになるだろう」
次に阿闍梨は弟子に、金剛の真言の霊力を成就させる智慧と真言を学ばせる。
「月の形を描いて、それを天空に昇らせなさい。その状態で自らの手の中に金剛杵をイメージするなら、その人は金剛の真言能力者となるだろう。月の形を描いて、それを天空に昇らせて、その中に金剛宝をイメージしなさい。このイメージによって自らの心を清らかにしたなら、その刹那に空中に浮遊し、望む限りの時間、そこに留まることが出来るだろう。月の形を描いて天空に昇らせ、その月に昇りながら、手にある金剛蓮華を『金剛眼なり』とイメージすれば、その人は自らに真言能力者の地位を与えることになるだろう。虚空に月をイメージし、その中央に座り、手の中に羯磨金剛を持つことによって、彼はたちどころにすべての霊験を発起する真言霊能者となるだろう」
次に阿闍梨は弟子に、すべての如来の最上の霊験(悉地)を完成させる智慧と真言を学ばせる。
「この宇宙の中において、すべては永遠不滅に光り輝いていると瞑想することによって、自分が永遠不滅に光り輝くダイヤモンド(金剛)の体になることが出来たなら、その人はその瞬間に空中に浮遊し、望む限りの時間、そこに留まることが出来るだろう。同様に、宇宙の中において、すべては清らかであるとイメージすると、その人は五つの神通力を獲得するだろう。すべての宇宙は金剛薩埵によって形成されたものである、と堅固に念じ続ける人は、たちどころに金剛薩埵になることが出来るだろう。宇宙はその全体がブッダの映像であると念じる瞑想修行をする人は、ブッダとなることが出来るだろう」
[成就法の解説]
ここから「悉地を成就する智慧」における具体的な成就法の伝授になる。成就法とは、いわゆる超能力開発の修法の達成によって受ける功徳、つまり効能を説いたものである。ただその前に、例によって阿闍梨から何とも怖い呪文を賜らなければならない。呪文の意味はこうである。
「※オーム、金剛薩埵は自ら今や汝の心臓に住したまう。もし汝がこの悟りに至る秘法を他人に漏らすなら、金剛薩埵はその刹那に汝の心臓を破って出て行ってしまうだろう※」
そして次に阿闍梨は弟子にこう念を押す。
「あなたはこの誓いの呪文を決して他人に教えてはならない。もし誓いを破るなら、あなたの身に危険が迫っても、それを回避出来ず、非業の死が待っているし、その身のまま地獄に落ちることになるから、充分に気をつけるように」
「秘密印契智の解説」
さて、阿闍梨から恐ろしい呪法と訓誡を賜ることによって身も心も引き締まった弟子は、いよいよ「悉地を成就する智慧」における秘密の印契を伝授されることになる。具体的にどのように印を結ぶかのレクチャーである。「身口意」の三密の「身」の部分である。阿闍梨が念を押しているように、このことを他人に伝えたり話したりしたら、非業の死を遂げて地獄落ちになるので、くれぐれも気をつけてください。もっとも、この文章を読んだだけでは印は結べないから安心してくださいね。例によって阿闍梨の言葉から始まる。
「投華によって得た一尊との入我我入の境地の中で、あなたは金剛合掌したその掌を、ほとんど聞こえないほど微かに打ちなさい。そうすれば山をも意のままに従わせることが出来るだろう。この金剛拍印は、金剛入の所作を応用して、金剛縛した両手を左右から押し付けるように握り、次に微かに打ち付ける。すると山すらも押し潰すことが出来るだろう。同様に金剛入の所作を応用して、金剛縛した両手を伸ばし、両手の中指を伸ばして打つなら、たちどころに百族の侵攻を抑止することが出来るだろう。金剛入の所作を応用して、微かに両手で拍掌して、金剛縛を解いてすべての指をひとつに合わせるなら、それはすべての苦を破壊する最勝の印となる」
[秘密成就法の解説]
この場合の「悉地を成就する智慧」における秘密の成就法とは、相手の心の中に入り込み、相手を意のままに操り、時には相手を破滅させる恐ろしい性愛呪法である。もっと現代風にアレンジして言えば、催眠術のようなものと理解していい。その真言も説かれているが、割愛する。
「愛欲の心でもって、女性の、あるいは男性の身に入りなさい。心で完全に入ったとイメージしたら、それは現実に相手の身体に等しく隅々まで満ちるだろう」
[大三法羯の四種印の智慧の解説]
「悉地を成就する智慧」のレクチャーが終わると、今度は「大三法羯(だいさんほうかつ)の四種印の智慧」のレクチャーが始まる。「大三法羯(だいさんほうかつ)」とは、前述した大マンダラ、三昧耶マンダラ、法マンダラ、羯磨マンダラを意味し、それぞれの要素を「大印」「三昧耶印」「法印」「羯磨印」の「四種印」と呼ぶ。ただし、それぞれが分離している訳ではなく、それぞれがひとつの部門であると考えた方がいい。すなわち「大印」は金剛界マンダラ三十七尊それぞれと一体になることをイメージする観想部門、「三昧耶印」は三十七尊それぞれの印契部門、「法印」は三十七尊それぞれの真言部門、つまりこれらは「身口意」の三密を意味している。「羯磨印」は印契部門に相当するが、行動原理を意味していて、三十七尊それぞれの働きをイメージしながら結ぶ印契となる。解りづらいかも知れないが、読み進めるうちに理解してくると思う。とにかく「四種印」は前述した「四智」の概念を頭に入れておかなければ読み解けない。読み進めてゆくうちに、金剛頂経がいかに精緻でシステマティックに構成されているか、一層明らかになるだろう。だが、その伝授の前に、またしても阿闍梨から有り難い脅しが入る。
「たとえ誰であろうと、これらの印契に通じていないものには、あなたはたとえひとつたりとも印契を示してはならない。なぜなら、未だ大マンダラを見ていない人々が印契を結んだとしても、霊験など起こる筈がないからである。そうすると、彼らは必ず猜疑心に陥り、無間地獄に落ちるだろう。またあなたは、その罪によって、死んだら最悪の世界に落ちるだろう」
おお、怖い怖い。密教の阿闍梨が気軽に印契を教えられない理由がここにある。教えたところで密教修行のカリキュラムを修了していなければ、それは無駄であるし、何かの能力を期待して何も起こらなければ、それで密教に対する不信感が募る。仮に何かの現象が起こったとして、それが万が一悪いエネルギーのせいであれば危険極まりないことだし、何にしても良いことはひとつもない。SNSなどで素人の人が印の結び方をレクチャーしているものを見かけたことがあるが、自分のためにも辞めた方がいい、と助言したい。それはともかく、経典はまず阿闍梨による「大印」、すなわち観想部門の伝授から始まる。
[一切如来菩薩成就法における大印の智慧の解説]
「心を知ることから初めて、永遠不滅の光明の境地を達成しなさい。自らがブッダの姿になったとイメージして、それを金剛界(マンダラ)に転じ入れなさい」
この修法マニュアルによって、それが達成されたなら、弟子は直ちに智慧と長寿と若さを得て、さらにどこへでも行ける能力を獲得するだろう。また彼にとってブッダとなることも不可能ではない。これが一切如来の悟りの印契である。
[金剛薩埵成就法における大印の智慧の解説」
「自ら金剛薩埵のような誇りに満ちて、金剛杵を振り、金剛慢の印を示すならば、その「身口意」に渡って、あなたは金剛薩埵そのものとなるだろう。この遍行の印を結ぶならば、あなたはすべての愛欲の主となり、安楽を得るだろう。そしてあなたは神通力と長寿と体力と容姿の色気において誰よりも勝れ、それらの点で金剛薩埵と等しくなれるだろう」
「また永遠不滅に光り輝く心と言葉と身体を持って、金剛界マンダラを順番に学び修めるなら、それらの標識や印契に対応した様々な金剛薩埵の偉大な霊験を達成することが出来るだろう。わたしは今、様々な道筋とそれを完成させる方法を説く。またそれを完成させる者たちの大いなる働きを順に説いてゆく。始めは毎日、適正な時間にそれを習い修め、同時に作法に従い加持行に専念すれば、すべてを達成するだろう。それ以降は望むように行ずればよい」
と阿闍梨は言われる。何よりもまず金剛薩埵である。「金剛頂経を読み解く」の解説(中編)でも述べたように、金剛薩埵は全宇宙の悟りの心「菩薩心」そのものであり、金剛そのものであり、大日如来の具現化であり、すべてのものは金剛薩埵をそのエネルギーの源としているのであり、だから金剛薩埵は全宇宙の体現者である。密教修行者にとってはまさに理想の存在であり、悟りを目指すものの目標でもある。だからまず金剛薩埵との入我我入(我がブッダに入り、ブッダが我に入る瞑想法)が重要になる。それが達成されたなら、今度は金剛界大マンダラの諸尊との成就法に移る。それをこれから説く。なお、各真言に関してはここでは明記を避ける。
[大印成就法広大儀軌の解説]
「入我我入の境地の中で、儀軌(修法マニュアル)に従って大印を結んで、目の前に金剛薩埵を出現させなさい。それを智慧の金剛薩埵と見て、自らの体の中に取り込むようにしなさい。行者はその薩埵を鉤で引っ掛け、索で強引に引き入れ、鎖で縛り上げ、鈴の音で癒しながら支配し、体の内に取り入れることが出来るだろう」
「(汝は三昧耶なり)、という心真言(心で念じる真言)を唱え、背後から発光エネルギー球体(月輪)に包み込まれることをイメージしなさい。(汝は三昧耶なり、汝は我なり)という真言を唱えながら。その三昧耶薩埵の印契を、自分自身であるとイメージしなさい。そうすれば真言を唱えることによって、すべての印契を自分のものと出来るだろう。(ジャク ウン バン コク)という心真言を念誦しながら、自分の体にすべてのブッダが入るようにイメージしなさい。心を喜ばせる遣り方によって達成されるのだから、この成就法は、他に比べようもなく偉大である。ここでわたしは、以下のような諸尊の金剛不壊の能力を説くだろう。それに従って、諸仏の力を引き出すことが出来たなら、その者は直ちにブッダである状態に到達するだろう」
[四波羅蜜菩薩の大印の解説]
「薩埵金剛女(金剛波羅蜜菩薩)の印を自分のものに出来たなら、すべての印契女の主人となるだろう。
宝金剛女(法波羅蜜菩薩)の印を自分のものに出来たなら、すべての財宝の持ち主になるだろう。
法金剛女(法波羅蜜菩薩)の印を自分のものに出来たなら、ブッダの真理を手にすることが出来るだろう。
業金剛女(業波羅蜜菩薩)の印を自分のものに出来たなら、金剛不壊の能力を持つことが出来るだろう。
[十六大菩薩の大印の解説]
金剛薩埵は、薩埵金剛印を結ぶことで、自らと一体になれる。
金剛王菩薩の印を結ぶことで、諸仏を己れに引き寄せることが出来る。
金剛愛菩薩(金剛貪愛)の印によって、すべての諸仏を愛欲に浸らせることが出来る。
金剛喜菩薩の印によって、すべての諸仏を喜ばせることが出来る。
金剛宝菩薩の印によって、すべてに仏の灌頂を授けることが出来る。
金剛光菩薩の印によって、すぐさまブッダの光に包まれることが出来る。
金剛幢菩薩の印によって、すべての諸仏と等しく笑うことが出来る。
金剛法菩薩の印によって、すべては清らかであるという真理を自分のものに出来る。
金剛利菩薩の印によって、智慧の利剣を手にし、すべての諸仏の上に立てる。
金剛因菩薩の印によって、法輪を回し衆生済度をする能力が身に付く。
金剛語菩薩の印によって、あらゆるブッダの言葉を使うことが出来る。
金剛業菩薩の印によって、すぐにも衆生済度の働きを手に出来る。
金剛護菩薩の印によって鎧を着れば、金剛不壊の身体となる。
金剛牙菩薩の印によって、あらゆる魔をこらしめ導くことが出来る。
金剛拳菩薩の印によって、あらゆる印契を自分のものに出来る。
[内の四供養の大印の解説]
金剛嬉戯女(金剛嬉菩薩)の印によって、大いなる歓喜を手に入れられる。
金剛鬘女(金剛鬘菩薩)の印によって、すべての諸仏から灌頂を受けられる。
金剛歌女(金剛歌菩薩)の印によって、妖艶な金剛不壊の歌姫を手に出来る。
金剛舞女(金剛舞菩薩)の印によって、すべての諸仏に供養される。
[外の四供養菩薩の大印の説明]
金剛香女(金剛香菩薩)の印によって、世間のものを悦ばせることが出来る。
金剛華女(金剛華菩薩)の印によって、世界を支配する魅力を手に出来る。
金剛燈女(金剛燈菩薩)の印によって、仏眼を開くことが出来る。
金剛塗女(金剛塗菩薩)の印によって、一切の苦を除くことが出来る。
[四摂の菩薩の大印の解説]
金剛鉤菩薩の印によって、すべてのものを鉤で引っ掛けることが出来る。
金剛索菩薩の印によって、すべてのものを索で引き入れることが出来る。
金剛鎖菩薩の印によって、すべてのものを鎖で縛り上げることが出来る。
金剛鈴菩薩の印によって、すべてのものを鈴で喜ばせ、自分の支配下に置くことが出来る。
[一切如来の金剛三昧耶印の智慧の解説]
さて次は「大三法勝」の内の「三昧耶印」、つまり印契部門の修法の段になる。経典の内容を理解するために一通り記述はするが、見よう見まねで使っても意味がないので(おそらくやってみても指がこんがらがるだけ)その点だけは念頭に置いて欲しい。まずは一切如来の三昧耶印の伝授である。
「次は一切如来の金剛三昧耶印の智慧である。両掌を固く合わせて指を伸ばし、交互に交差させるのが金剛合掌である。その指を完全に握り合わせると、それが金剛縛である。すべて金剛縛の観想における三昧耶印は、この印母である金剛縛から始まる。わたしはそれら諸々の観想における三昧耶印を結ぶ仕方を説くだろう。まず金剛縛を結ぶ。薩埵金剛印(金剛縛)を固くして、両掌の中指を合わせて芽が出た時のように立てる。これが大日如来の印となる。次に伸ばした両の中指を、今度は内側に縮めるようにすれば、それは阿閦如来の印となる。両掌の中指と大指(親指)を宝の形にすれば、それは宝生如来の印となる。両掌の中指を蓮華の莟のようにすれば、それは観自在王如来の印となる。同様にして、その両指を完全に内側に向ければ、それは不空成就如来の印となる。
次にわたしは、如来族の三昧耶印の結び方と、その達成した意義と効用を説くだろう。金剛縛にした両掌を月輪の形にして、中指を離し、小指の面を付けないのは、金剛薩埵の印を顕わす。両掌の指先を鉤の形にすれば金剛王菩薩の印。その状態で両掌の各指の先端を合わせれば金剛愛菩薩の印。それから弾指(指を鳴らす)しながら喜びの表情をすれば金剛喜菩薩の印。以上が阿閦如来の眷族である金剛薩埵以外の三菩薩の印契における一連の所作である。
両掌の大指(親指)を立てて、その指の先を合わせて宝形にすれば、それは金剛宝菩薩の印となる。その金剛宝印の状態で、中指と無名指(薬指)と小指を光を放つようによく伸ばせば、それは金剛光菩薩の印となる。その金剛光印の状態で、小指と無名指(薬指)先を合わせて幢のようにすれば、それは金剛幢菩薩の印となる。その金剛幢印を反転させて背中をつけた形が、金剛笑菩薩となる。以上が宝生如来の眷族の三昧耶印である。
金剛縛から両の頭指(人差し指)を合わせて内に曲げるなら、それは金剛法菩薩の印になる。金剛縛から両の中指を剣先のようにすれば、それは金剛利菩薩の印となる。金剛利印の状態から両の無名指(薬指)と小指とをあわせて輪形にすれば、それは金剛印菩薩の印となる。金剛縛から両の大指(親指)を開いて口元に当てれば、それは金剛語菩薩の印となる。以上が観自在王如来の眷族の三昧耶印である。
金剛縛を伏せて開き、小指と親指の面を合わせて内に曲げるなら、それは金剛業菩薩の印となる。この金剛業印の状態で両の頭指(人差し指)を伸ばし先端を尖らせ、そのまま胸に当てれば、それは金剛護菩薩の印となる。金剛縛から両の頭指(人差し指)を伸ばして先を曲げ、両の小指を牙のように開けば、それは金剛牙菩薩の印となる。金剛縛から両の小指を掌の中に入れ、両の頭指(人差し指)を曲げて大指(親指)を押し付ければ、それは金剛拳菩薩の印となる。以上が不空成就如来の眷族の三昧耶印である。
金剛縛から大指(親指)を合わせて胸につければ、それが金剛嬉菩薩の印になり、その印のまま両肘をまっすぐに伸ばせば、それが金剛鬘菩薩の印になる。金剛縛を解いて、指先で口元を散ずれば、それが金剛歌菩薩の印になり、その両手を舞を舞うように頭上に合わせれば、それが金剛舞菩薩の印になる。以上が内の四供養菩薩の三昧耶印である。
金剛縛を下に向けて散ずるなら、それは金剛香菩薩の印になり、合掌して上に散ずるなら、それは金剛華菩薩の印になる。金剛縛で大指(親指)を並べて押し付ければ、それが金剛金剛燈菩薩の印になり、その印を解いて指をよく伸ばすなら、それが金剛塗菩薩の印になる。以上が外の四供養菩薩の三昧耶印となる。
金剛縛から右の頭指(人差し指)を立てて、招くように動かせば、それが金剛鉤菩薩の印になり、金剛縛から両の大指(親指)を結び目のように絡ませれば、それが金剛索菩薩の印になる。金剛縛から大指(親指)と頭指(人差し指)を腕輪のように結べば、それは金剛鎖菩薩の印になり、金剛拳にした両手の頭指(人差し指)を合わせ立てれば、それは金剛鈴菩薩の印になる。以上が四摂の菩薩の三昧耶印である。
[三昧耶印の成就法の解説]
次に、上記の三昧耶印の印契に対する功徳と効能が説かれる。「成就法」とは前述のように修法の成果がどのようなものかを説くことである。それによって修行する目的を明らかにし、修行に励むことが出来るようになる。
「次にわたしは、これから諸尊の三昧耶印を完成させる金剛成就法を、自らの心臓にいる大印とともに金剛薩埵の瞑想に入り、それによって説くだろう。ついでわたしは、三昧耶印の遣り方である、無上なる効用を説くだろう。それによってすぐさま、マンダラ阿闍梨とその弟子たちに霊エネルギーを注入するだろう。
マンダラ阿闍梨が薩埵金剛印を結ぶならば、そこにおいて金剛薩埵と等しいものになるだろう。
金剛鉤招印(金剛王菩薩の印)を結ぶならば、それだけで彼は一切諸仏を招集することが出来るだろう。
欲金剛印(金剛愛菩薩の印)を結ぶならば、彼は悟ったものすら愛欲に浸らせることが出来るだろう。
金剛歓喜印(金剛喜菩薩の印)を結ぶならば、彼はすべての煩悩を克服したものから「素晴らしい」と称讃されるだろう。
宝金剛の印(金剛宝菩薩の印)を結べば、彼は諸仏によって智水を頭に注がれるだろう。
金剛日の印(金剛光菩薩の印)を結ぶならば、彼はブッダに等しい円光を有するものとなるだろう。
金剛幢の印(金剛幢菩薩の印)を結べば、彼はすべての願いを叶えることが出来るだろう。
金剛笑の印(金剛笑菩薩の印)を結べば、彼はすべての諸仏と共に笑うことが出来るだろう。
金剛法の印(金剛法菩薩の印)を結べば、彼は堅固不滅に光り輝く法の菩薩となることが出来るだろう。
金剛剣の印(金剛剣菩薩の印)を結べば、彼はすべての煩悩を断ち切ることが出来るだろう。
金剛輪の印(金剛因菩薩の印)を結べば、彼はマンダラの主催者となるだろう。
金剛語の印[金剛語菩薩の印)を結べば、彼はすべてに輝き渡る不滅の言葉を獲得することが出来るだろう。
羯磨金剛の印(金剛業菩薩の印)を結べば、彼はあらゆる事象に働き掛ける堅固不滅の力を獲得することが出来るだろう。
金剛鎧の印(金剛鎧菩薩の印)を結べば、彼の身体は金剛不滅となるだろう。
金剛牙の印(金剛牙菩薩の印)を結べば、彼はあらゆる悪しき魔を粉砕することが出来るだろう。
金剛拳の印(金剛拳菩薩の印)を結べば、彼はすべての印契を支配することが出来るだろう。
金剛嬉女の印(金剛嬉菩薩の印)を結べば、あらゆる喜悦を手にし、金剛鬘女の印(金剛鬘菩薩の印)を結べば、あらゆる豪華さを得られ、金剛歌女の印(金剛歌菩薩の印)を結べば、その言葉は常に明瞭となり、金剛舞女の印(金剛舞菩薩の印)を結べば、あらゆる供養を得られる。
金剛香女の印(金剛香菩薩の印)を結べば、世間を喜ばせることが出来るだろうし、金剛華女の印を結べば、美しく飾り立てる容姿となることが出来るだろうし、金剛燈女の印(金剛燈菩薩の印)を結べば、世間は清らかになるだろうし、金剛塗女の印(金剛塗菩薩の印)を結べば、天妙の香を放つことが出来るだろう。
金剛鉤の印(金剛鉤菩薩の印)は、あらゆるものを引き寄せ、金剛索の印(金剛索菩薩の印)は、あらゆるものを引き入れ、金剛鎖の印(金剛鎖菩薩の印)は、あらゆるものを縛り上げ、金剛鈴の印(金剛鈴菩薩の印)は、あらゆるものを癒して支配するだろう。
[法印の解説]
次に、上記の三昧耶印(印契部門)の法印(真言部門)が説かれている。なお、ここでは真言は明示せず、意味だけを書く。
{金剛智よ}という真言は、諸仏の金剛界を堅固にする。わたしはさらにマニュアルに従って諸尊の真言を説く。
{我は三昧耶なり}という真言を発音(ほっとん)するなら、その人はすべての印契女の主となるだろう(金剛薩埵)。
{汝は導け}という真言を発音(ほっとん)するなら、その人は諸仏を鉤で招き入れるだろう(金剛王菩薩)。
{ああ、楽よ}という真言を発音(ほっとん)するなら、その人は諸仏すらも愛欲の虜にするだろう(金剛愛菩薩)。
{善きかな、善きかな}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人は諸仏を「素晴らしい」と喜ばせることが出来るだろう(金剛喜菩薩)。
{汝は極めて大いなるものなり}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人はすべての諸仏によって智水を頭に灌がれる(金剛宝菩薩)。
{容色の輝きあるものよ}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人は法の威光に照らされるだろう(金剛光菩薩)。
利益の獲得があるものよ}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人はすべての願いを叶えることが出来るだろう(金剛幢菩薩)。
{ははははは}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人はすべての諸仏といっしょに笑うことが出来るだろう(金剛笑菩薩)。
{一切作者よ}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人はすべての諸仏によってあらゆる罪業を清められるだろう(金剛法菩薩)。
{よく苦を断ずるものよ}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人はすべての苦しみを切断することが出来るだろう(金剛利菩薩)。
{ブッダの菩提は}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人はマンダラの主催者となることが出来るだろう(金剛因菩薩)。
{こだまよ}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人は諸仏とともに論談することが出来るだろう(金剛語菩薩)。
{汝は完全なる支配者という真言を発音(ほっとん)すれば、その人はすべてのものに対して支配力を行使出来るだろう(金剛業菩薩)、
{汝は畏れなきものなり}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人はその瞬間に畏れなきものになるだろう(金剛護菩薩)。
{怨敵を啖え}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人はすべての怨敵を啖うだろう(金剛牙菩薩)。
{一切の悉地が}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人はすべてのの効験を顕わすことが出来るだろう(金剛拳菩薩)。
{大いなる歓喜}という真言を発音{ほっとん}するならば、その人は天妙の歓喜をもたらし(金剛嬉菩薩)、{色っぽく美しい女よ}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人は同様の歓喜をもたらすだろう(金剛鬘菩薩)。{耳にとって悦ばしき女は}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人は楽をもたらすであろうし(金剛歌菩薩)、{一切供養女は}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人はとても供養されるだろう(金剛舞菩薩)。
{悦ばしめる女よ}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人は心を喜ばしめ(金剛香菩薩)、{果報をもたらす女よ}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人は果報を得られるだろう(金剛華菩薩)。{最上威光の女よ}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人は偉大なる威光を輝かせ(金剛燈菩薩)、{良き香ある女よ}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人は香あるものとなるだろう(金剛塗菩薩)。
{来れジャク}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人は大いなる鉤招そのものとなり(金剛鉤菩薩)、{アーヒ ウン ウン}という真言を発音(ほっとん)すれば、その人は引入するものとなるだろう(金剛索菩薩)。{へー 鎖よ バン}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人は大いなる鎖となり(金剛鎖菩薩)、(鈴は アク アク}という真言を発音(ほっとん)するならば、その人はよく鈴の音を鳴らすものになるだろう(金剛鈴菩薩)。
[羯磨印の解説]
さて次は、働きの部門である「羯磨印」を説くことになる。これも独立したものではなく、「大印(観想部門)」「三昧耶印(印契部門)」「法印(真言部門)」と続くマンダラの修法であり、一連の流れのひとつを意味している。働きの部門といっても、何を説いているかと言えば印契である。ただ、相手に対して働きかける要素が強い印契というか、金剛拳をベースにした比較的動きのある印契が多い印象を受ける。いずれにしろ、「わたしは羯磨印によって仏の働きそのものを体現している」という意識で修法することが肝要となる。
「次に羯磨印を結ぶことによって相手を縛る所作がある。
金剛拳を強く握って、それによって引き込もうとするならば、両手を使いなさい。それを両手の金剛印にして縛りなさい。まず左手の人差し指を立て、その指を右手の金剛拳が握る。覚勝印(智拳印のこと)と名付けられたその印は、ブッダの悟りを顕わす(大日如来)。阿閦如来の印は地触印であり、宝生如来の印は施願印であり、観音菩薩王如来の印は定印であり、不空成就如来の印は施無畏印である。次にわたしは羯磨印を略した形で説く。金剛薩埵以下の諸尊に働きをもたらすその羯磨印を。左手で金剛慢の印を結び、右手で金剛杵を振って勢いを示すのが金剛薩埵の羯磨印。両手で金剛拳にするのは灌頂の印であり、それは金剛宝菩薩の羯磨印。心に光明を著すのが金剛光菩薩の羯磨印。両手の金剛拳を口元に遣るのが金剛笑菩薩の羯磨印。左手に水瓶を持ち、右手で輝かせるのは金剛法菩薩の羯磨印。かがり火を回して輪のようにするのは金剛因菩薩の羯磨印。両手の金剛拳を口元で前に開くのは金剛語菩薩の羯磨印。両手の金剛拳を舞うように回して、頬のところで解いて頭上に置くのは金剛業菩薩の羯磨印。甲冑の印は金剛護菩薩の羯磨印。両手の金剛拳の小指を曲げて牙のようにするのが金剛牙の羯磨印。両手の金剛拳を胸の前で押すのが金剛拳菩薩の羯磨印。金剛慢の印を結んで懐かせつつ礼拝するのが金剛嬉菩薩の羯磨印。華鬘を両手に繋げるのが金剛鬘菩薩の羯磨印。両手の金剛拳を口元で開くのが金剛歌菩薩の羯磨印。両手を舞踏のように旋回するのが金剛舞菩薩の羯磨印。金剛拳を基礎にして、香華燈塗の各供養女の羯磨印を結びなさい。すべての如来たちを供養するために供養女の印が規定されているのだから。両手の金剛拳から、人差し指同士を絡めて、小指を鉤のように立てれば、金剛鉤菩薩の羯磨印。左の肘を腰に当てて、右の手に羂索を持てば、金剛索菩薩の羯磨印。両手の人差し指を鉤のように引っ掛け合うと、金剛鎖菩薩の羯磨印。金剛拳にした状態で、背中合わせにすれば、金剛鈴菩薩の羯磨印である。
[羯磨印の成就法]
今度はこの羯磨印の功徳、効能が説かれる。
「そこでわたしは、それら諸尊の印の成就法を説く。それらを結ぶことの功徳は、それら諸尊の永遠不滅に光り輝くダイヤモンドのような働きが、実際に可能になったことに等しいものである。まず、ダイヤモンドのように堅固不滅に光り輝くすべてのものからなる金剛杵を、心臓の上にイメージしなさい。次に述べるのは、羯磨印を結ぶことによる様々な働きであるが、それは諸尊に応じて多様にある。
智拳印を結ぶなら、行者は仏智を証すことが出来る(大日如来)。
阿閦の印を結べば、心は不動のものになるだろう(阿閦如来)。
宝生の印を結べば、他者を引き入れることが出来るだろう(宝生如来)。
正法輪印を結べば、法の輪を回すことが出来るだろう(観自在王如来)。
施無畏印を結べば、速かに生きとし生けるものの畏れを除くことが出来るだろう(不空成就如来)。
金剛慢印を結ぶことで、金剛薩埵の安楽の境地を得ることが出来るだろう(金剛薩埵)。
金剛鉤印を結ぶことで、すぐにも如来を召集出来るだろう(金剛王菩薩)。
金剛箭印を結ぶことで、金剛貴妃すらも自分を愛することが出来るだろう(金剛愛菩薩)。
金剛喜印を結ぶことで、すべての優れたるものから「素晴らしい」と賞嘆されるだろう(金剛喜菩薩)。
大金剛摩尼印を結ぶことで、行者は講師から灌頂されるだろう(金剛宝菩薩)。
金剛日の印を結ぶことで、彼は太陽のように光り輝くだろう(金剛光菩薩)。
金剛幢印を結ぶことで、彼は宝の雨を降らせることが出来るだろう(金剛幢菩薩)。
金剛微笑印を結ぶことで、彼はいつでも諸仏と共に笑うことが出来るだろう(金剛笑菩薩)。
金剛開華印を結ぶことで、彼は金剛不壊の法を会得することが出来るだろう(金剛法菩薩)。
金剛剣印を結ぶことで、すべての苦を断ち切ることが出来るだろう(金剛利菩薩)。
金剛輪印を結ぶことで、法の輪を回すことが出来るだろう(金剛因菩薩)。
金剛語印を結ぶことで、すべてのブッダの言葉を自分のものに出来るだろう(金剛語菩薩)。
金剛舞供養祭上印を結ぶことで、諸仏すらも支配出来るだろう(金剛業菩薩)。
金剛甲印を結ぶことで、その身を金剛のように堅固に出来るだろう(金剛護菩薩)。
金剛牙印を結ぶことで、堅固なものも降参させることが出来るだろう(金剛牙菩薩)。
金剛拳によってすべてを奪い、また堅固不滅の効験を得ることが出来るだろう(金剛拳菩薩)。
金剛嬉印は歓喜をもたらすだろう(金剛嬉菩薩)。
金剛鬘印は色気をもたらすだろう(金剛鬘菩薩)。
金剛歌印は歌唱力をもたらすだろう(金剛歌菩薩)。
金剛舞印は舞踏の能力をもたらすだろう(金剛舞菩薩)。
焼香印は喜びをもたらし(金剛香菩薩)、華印は美しさをもたらし(金剛華菩薩)、燈印は光をもたらし(金剛燈菩薩)、塗印は自らを良い匂いにする(金剛塗菩薩)。
金剛鉤印を結ぶことで、あらゆるものを鉤で引き寄せ(金剛鉤菩薩)、金剛索印を結ぶことで、あらゆる羂索で引き入れ(金剛索菩薩)、金剛鎖印を結ぶことで、あらゆるものを縛り上げ(金剛鎖菩薩)、金剛鈴印を結ぶことで、あらゆるものを感動できる(金剛鈴菩薩)だろう。
[諸儀則の解説]
{一切の印に共通する結縛の儀則の解説}
最後に、その他の修法マニュアルの伝授である。これを「諸儀則」という。このコーナーは、金剛界マンダラに限らず、あらゆるマンダラに共通する三密の修法を説いている。まず、すべての印に共通する結縛のマニュアルがある。印の結縛とは、結んだ印の功徳や効力を持続させるための印契並びに真言である。詳しくは本経の現代語訳を見て欲しい。
{共通の成就法の儀則の解説}
これは上記の結縛の印に対する功徳や効力を説いたものである。この部分も現代語訳を見て欲しい。ただし、これも読んだだけで伝授を受けていなければ意味不明だと思う。それが密教の修法です。
{悉地広大儀軌の解説}
今度は4パターンの超能力開発、すなわち「四種悉地」を完成させる修法マニュアルが説かれている。すでに「四種悉地」の伝授の説明は儀軌の前半部分で終えているのに、あえてこの後半でまた「四種悉地」を持ち出す意図は、この「諸儀則」のコーナーが今まで説いてきた修法マニュアルの集大成であることを意味している。そういう意識で現代語訳の方を読んでください。
{大乗現証百字真言の解説}
「大乗現証」とは、この経典のタイトルでもある「すべての生きとし生けるものを悟りに導くことを実証する」ということ。そのための百字に及ぶ真言とその効能が説かれている。この百字の真言は、霊験の効力が落ちたように感じた時とか、また三密修行が嫌になって辞めたくなった時とかに、その霊験の力を持続させる働きがある、と説かれている。ただし真言は、あくまでもサンスクリット語である。だから真言に関しては、例によってここでは訳文のみを明記することにする。
「次は、すべての印に共通する、自らの身・語・意をダイヤモンドのように堅固不滅に光り輝かせる広大なる儀軌(マニュアル)を説く。もし印契のエネルギーが弱くなったように感じたり、あるいは嫌になって辞めたくなったりしたら、次のような心真言を唱えることで、自らの身・語・意を堅固にすることが出来る。
※オーム 金剛薩埵よ。我をして三昧耶を護らしめよ。金剛薩埵として我が傍らにとどまれ。我にとって堅固であれ。我にとって喜ばしきものであれ。我にとって我に染められたものであれ。我にとってよく我を盛り立てるものであれ。そして、すべての効験を我に与えよ。そして、すべての働きにおいて、我に心の幸福をもたらせ。フーム ハハハ ホー。世尊よ。一切如来金剛よ。我を棄てることなかれ。大三昧耶薩埵よ。アーハ※
「この真言を唱えれば、たとえ無間地獄に堕ちるような悪事を働こうとも、すべての如来をあざむこうとも、正法を破壊するものであっても、このような悪事をなすものであっても、すべての如来の印契を成就することが出来るから、それによってその身・語・意は金剛薩埵のように堅固になり、まさに彼の一生の中で望むがままのすべての効験、堅固不滅に光り輝くダイヤモンドのような効験、あるいは金剛薩埵の効験を獲得するだろう、とは、すべての如来の集合エネルギーである金剛薩埵が仰せられたことである」
{解印と供養と發遣の儀則の解説}
さて、金剛頂経のマニュアル部門の最後は、行法がすべて終了した時に印契のパワーを解く「解印(げいん)」の作法と、その時にする諸仏への供養と、諸仏を讃える讃歌(四智梵語)、そして招き入れたすべての如来たちを仏界へ返す發遣(魂抜き)という一連の所作に関するマニュアルである。ついにこれで物凄く長かったマニュアル部門が終わる。
「次に、すべての印契を説く広大な儀軌(マニュアル)がある。まず最初に、おのおのの印契の効力を、次のような真言によって解きなさい。
※金剛よ、ムフ※
ついで心臓より現れた金剛宝の印を、自らの灌頂所に安置して、智水を灌ぐ儀式を行い、両手の人差し指で華鬘の印によって、その金剛宝の印に華鬘を掛ける動作をしながら、次のような心真言を唱えつつ、甲冑の印を結びなさい。
※オーム 金剛宝よ。すべての印契を我に灌頂せよ。甲冑によって我を堅固にせよ※
ついで被甲の印を解いて、華鬘の印も解いてから、改めて合掌し、次のような心真言によって喜ばせなさい。
※金剛歓喜よ ホーホ※
この所作によって、印を解くにも、また結ぶ時も、印契を喜ばせることが出来る。それによって行者の身・語・意は金剛のように堅固になり、さらには金剛薩埵の状態と同じになる。一度でもこの心真言を唱えたなら、金剛薩埵と等しいものになり、そして彼は望むがままに、安楽の境地を達成する。それは金剛手(金剛薩埵)の言葉である。金剛薩埵を始めとする成就法の作法において、いつでもこの心呪を唱えるならば、すべての修法を完成することが出来る。そしてそれが、心呪や印契や真言や明(ダラ二)のうち、心に叶った正しい道筋に従って行うなら、マニュアルの中で説なえられているものであるにせよ、あるいは自分の発想で自由にするにせよ、どんな場合でも必ず達成する。次に供養のための秘密の印契を結びつつ、四種秘密供養を行うべきである。すなわち、次のような金剛讃歌(四智梵語のこと)を歌いながら・・。
※オーム 金剛薩埵を受け入れることによって、この上なき金剛の宝を我に与えよ。そして諸々の金剛法の詠歌によって、汝は金剛の働きを成すものであれ※
次に、内のマンダラ(イメージによって描き出すマンダラ)においてもまた、この金剛讃歌を歌い、金剛舞を舞い、両掌を合わせて器の形にして、普供養の印を結び、焼香などによって供養しなさい。それから外のマンダラ(実際にマンダラを描くこと)において、焼香などの様々な供養をして、各自の所定の位置に着きなさい。そうしたら各自、でき得る限りの全力を尽くして供養しなさい。すべての如来に向けて敬白(ブッダを尊敬する文書)を読み、焼香などによって自分が良いと思えるまで供養し、そうして如来たちが道場に入って来たなら、自分の出来る範囲で美味しい食べ物や楽しみ、あるいは大マンダラを描くにあたっての宝具などによって満足させなさい。そうしたなら、金剛薩埵に等しい阿闍梨は、その人にすべての如来の霊験の達成をもたらす誓いの言葉を授けるだろう。
「これはすべてのブッダの身体である。それは今、我、金剛薩埵の手にあり。汝は常に、この金剛手(金剛薩埵)の誓いの言葉を忘れずに心に持っているべし。
※オーム 一切如来の霊験を達成する堅固不滅の悟りの境地よ。確立せよ。我はまさに汝を持せん。金剛薩埵よ。ヒ ヒ ヒ ヒ フーム※」
それから阿闍梨は、その壇に臨んだすべてのものに、これは誰にも語ってはならない、という誓いの心呪を説くだろう。
次に阿闍梨は、この道場に入って来たすべての如来たちを發遣(魂を抜く作法)をして、次のようなブッダを尊敬する文書(敬白)を読みなさい。そして薩埵金剛印を結んで、上に向けてそれを解き、次のような心呪を唱えなさい。
※オーム あなた方によってすべての功徳が成されたり。望むところの霊験が与えられたり。ブッダの世界に一旦は帰りたまえ。再び来て頂くために。金剛薩埵よ ムフ※
すべてのマンダラ作法において、このようにすべきである。様々な悟りの境地に至る最勝の作法においても、マニュアルには同じように説かれている」
[総論]
以上で「金剛頂経」の解説は終了となる。実に難解な経典であることがお解りだろう。特に修法マニュアル(儀軌)の部分は難しい。というより、訳が分からなくて読む気もしなくなったのではないかと思う。実際、修法マニュアルのところは、肝心な部分をワザと入れずに書かれている節があり、とても素人が気軽に読んで分かるレヴェルではない。いや、密教の僧侶でも伝授を受けていなければ読み解けないところばかりである。それをあえて読み解こうとするなど、本当は無謀も甚だしいと自分でも思う。しかし、「大日経」と「金剛頂経」という真言密教の二大根本経典を読んだことも見たこともないという真言僧が多いのは嘆かわしいというより他なく、それならその内容に少しでも触れて、高祖弘法大師が何を求めて唐に渡り、そして何を教え広めようとしたのか、密教の根本経典を通して改めて実感することは何よりも必須ではないかと、そんな決意を持って書き記した。従って、密教に興味がある人はもちろんだが、若い真言僧の諸君にはぜひ一度、目を通して頂ければ幸いと思っている。そのために、思い切って密教用語を大胆に現代風にアレンジしてみた。加持を「エネルギーを注入すること」とか、月輪を「発光エネルギー球体」とか、大日如来を「全宇宙のエネルギーそのもの」とか、学者や伝統を重んじる仏教界からするととんでもない訳であると批判するだろうが、そんなことはどうでもいい。私が、私の宇宙の中でイメージし、構築したマンダラ世界である。どうイメージするかは人によって千差万別、誰もが自分の宇宙を持っているのであり、それは誰一人同じものはない。あなたがあなたのイメージであなたの宇宙を創造しているのである。あなたが宇宙の創造主であり、大日如来そのもの、そしてその体現者である金剛薩埵なのだ。それに気づくことが密教の悟りということ。まずそれが密教の真髄であることを知って欲しい、という狙いも本作にはある。その趣旨が少しでも伝われば幸いである。
「金剛頂経を読み解く」解説(後編)
【終】