威徳山金剛寺 密教の真髄

誰でも解る密教講座です。気軽に読んでください。

「大日経を読み解く」儀軌部門の解説 2

今回は、前回から始まった「大日経を読み解く」の儀軌部門の解説の第二弾である。なにしろ長い経典なので、数回に分けざるを得ないが、まあ、気長に楽しく読んでください。今回は、真言密教にとって非常に重要な「ア字観」や「字輪観」の解説になるので、興味のある人には面白いと思う。そうでない人も、密教の本質を知る上で重要な回になるので、できれば見逃さないで読んで欲しい。

<息障品第三の解説>

「息障(そくしょう)」とは、つまり障害を終息させるということ。この第三章はそのことが説かれている。まず例によって大日如来への金剛薩埵の質問から始まる。

『世尊よ、お教えください。マンダラの道場において真言道を修行するものは、どのようにして煩悩などの障害を清め除くのでしょうか。

また真言道の修行者は、そのような障害を起こすことなく修行することが出来るのでしょうか。

そして真言道の修行者は、どのような果報を得ることが出来るのでしょうか』

という金剛薩埵の三つの質問に対し、大日如来はひとつひとつ丁寧に答える。

『執金剛秘密主(金剛薩埵)よ、よく聞きなさい。そもそも煩悩などの悟りへの障害は、自分の心が作り出したものである。それは過去の凝り固まった欲望から生まれたものである。その障害の元を断つには、まず悟ろうとする心(菩提心)を起こしなさい。そして常に不動明王を思い浮かべ、その印契を結ぶことに心掛ければ、障害は取り除かれるであろう。

秘密主よ。こうした錯乱する心の風を防ぐには「ア」字を自分の身体だと思い、そして心は「ア」字そのものであると常に念じることである。

このことは先仏からずっと説かれ続けて来たことなのだが、しかし未来の劣悪な人間は真実の智慧が閉ざされて信じることが出来ず、ともするとこれは仏教の教えではないと疑ってかかるだろう。だがブッダはあらゆる現象の本質は「空」であると説いているのである。であるから、真言行者はよくこのことを肝に銘じて、揺るぎない心で修行に励みなさい』

これが金剛薩埵のひとつ目の質問に対する大日如来の答えである。真言行者の修行を妨げる煩悩などの障害を取り除くにはどうすればいいか。それにはまず菩提心を起こし、そしてあらゆる悪害を打ち砕く呪文の王である不動明王を思い浮かべ、常にその印契を結ぶように心掛けなさい、ということ。もちろん不動明王の真言を唱えることは欠かせない。なぜならその真言は、過去から積み重ねてきた煩悩を徹底的に消滅させるほどの効力があるからである。そしてさらに重要なことは、自らの心も体も「ア」字そのものであると思念し続けること。「ア」字は前述したように、絶えず宇宙のエネルギーを放出するポータル(入口)であり、大日如来そのものを表す種字である。「宇宙はすなわちわたし」である。「宇宙即我」という高次の意識を持ち続けることによって、俗世の煩いや苦しみという煩悩を克服出来る。そう大日如来は回答されている。しかし、悠久の過去から歴代のブッダが説き続けてきたこの貴重な教えも、未来の我々のような真理から遠ざかった無知蒙昧の俗物には理解されることはなく「それは仏教ではない」などと主張する輩が横行するだろう、と予言されている。確かに、密教は釈迦が唱えた教説からかけ離れているから仏教ではない、と主張する一部の仏教学者が現実にいる。特にチベット密教を性愛主義の邪道と論ずる厚顔無恥な連中も多い。ただしそれは未来のことばかりではなく、大日経が説かれた時代のインドにおいてもそうだったのではないだろうか。「金剛頂経を読み解く」の解説でも述べたように、密教はバラモン教の教説や修法を大胆に取り入れ、ヒンドゥー教のシャクティー的要素(性愛のエネルギーによる悟りの実現)やヒンドゥーの神々を取り込んで成立した面がある。その意味では初期の仏教とは大きくかけ離れたものになっている。密教の成立が紀元5〜7世紀であるとすれば、その当時に大日経や金剛頂経などの密教経典を収筆した密教教団は、保守的な仏教教団からも仏教を批判する他宗教からも邪道と批判されたのではないかと多いに推測出来る。だからこそ大日如来はここで、それらの批判に対して反論したのだ。密教の真言や印契は、過去世からブッダがずっと唱え続けてきた正統なものであると。そして大乗仏教の根本理念である「空」は、密教においても根本原理であるから、密教は紛れもなく仏教なのである。だから真言行者は他の批判に惑わされることなく、揺るぎない気持ちで修行に邁進しなさいと、ここの教説はそう解釈すべきだとわたしは思う。

<普通真言蔵品第四の解説>

さて、前章の金剛薩埵の、真言行者は煩悩などの障害を起こすことなく修行ができるものなのか、という二つ目の質問に対する大日如来の答えが、この「普通真言蔵品(ふつうしんごんぞうほん)」にある。「普通」は「あまねく通じる」ということで、どのような状況にも対応出来るという意味。そんな便利な真言をストック(蔵)したのがこの第四章ということになる。

まず金剛薩埵を筆頭とする執金剛(堅固不滅の悟れる心を持つもの)たちと、普賢菩薩を筆頭とする菩薩たちが、大日如来に、この大悲胎蔵生マンダラにあまねく通じるところの、宇宙のすべてを清らかにする真言を説くことを要請する。すると大日如来は、

「善きものらよ。生きとし生けるものの世界を浄化する秘密の真言の語句を解き明かしなさい」と許可を与える。

大日如来の許可を得た執金剛と菩薩たちは、さっそくそれぞれの真言を唱え始める。と、これが「普通真言蔵品第四」の内容であるが、ここには胎蔵生マンダラに描かれている執金剛や菩薩、さらに天部の神々を含めた、実に全121種類の真言が記載されている。従って、とても書ききれないので、思い切って割愛することをご容赦願いたい。真言も印契も、正式な伝授を受けてから覚えてください、というのが密教の鉄則である。

ただ、そうかと言ってまったく真言を無視するという訳にはいかない。そこでこの大日経の儀軌(ぎき)にも再三登場している有名な不動明王の真言だけは押さえておくことにする。

ナウマクサーマンダ ヴァーザラダン センダ マーカロシャーダー ソワタヤ ウン タラキャ カンマン

である。あくまでも呪文なので意味を問うことに意味はないが「不動明王の強烈な呪文の効力によって、あらゆる害悪を粉砕したまえ」的なことだと覚えておけばいい。なお、大日経の儀軌(ぎき)には、最後のところが「ウン タラキャ カンマン」になっている。あれ?「ウン タラタ カンマン」じゃないの・・と思った人もいるだろうが、正確に梵字を読むと「キャ」が正解であり、先学の中には「キャ」と唱えるべきであると主張した方もいる。まあ、どちらでも良いとは思うが、試しに「キャ」と唱えてみるといい。人によってはその効果が絶大になるかも知れない、とは余談である。

<世間成就品第五の解説>

「世の中のみんなが悟りを開く」というタイトルが付いたこの第五章では、第三章での金剛薩埵の、真言行を修行すると、どんな果報があるのでしようか、という三つ目の質問の回答が与えられている。

『秘密主(金剛薩埵)よ。真言行を修行すれば、このような結果を得ることが出来るであろう。真言の字と字、句と句は相応して固く結び合っている。だから心を込めて念じなさい。
第一に、字は菩提心(悟ろうとする心)を表現している。第二に、発声は世俗の様々な場所で唱えられ、その真言の言葉を思うところに本尊が現れる。第三に、真言の句はまさに諸仏の勝れた聖句であると知らなければならない。

行者は自分自身が円浄の月輪(発光エネルギー球体)の中にいるとイメージしなさい。そしてその球体の中に真言の文字と句を明らかに観じながら、自らの「命」を清めなさい。「命」とは「風(気息=呼吸)」のことである。想いは吐く息吸う息に対応して出入りする』

と、まず大日如来は、真言の重要性について説いている。真言行の修行にとって一番大切なのは真言である、ということ。それが悟りを達成(成就)させる秘訣である、と説かれている。真言の一文字一文字は悟りの心の表現であり、どんな場所においても真言を発声すれば、そこにたちどころに本尊が現れる。真言の句はまさにすべてのブッダの最も勝れた霊言である。だから心を込めて唱えなければならない、と説く。その上で大日如来は、真言と自らを一体化する瞑想のやり方を教示する。まず自らが清らかで眩い月輪(がちりん)の中にいるとイメージする。「金剛頂経を読み解く」の解説でも述べたように、この月輪は球状の無色透明な発光エネルギー体である。それはインド古来より説かれている「微細身(びさいしん)」のことであり、粗大身(そだいしん)である身体を取り巻く目に見えない微細な身体を指す。身体の周囲にもともと存在しているものであり、神智学的にはエーテル体とかアストラル体とか、またそれらの総体を意味し、ヨーガ論ではチャクラ(輪状の気の集積器官)やナーディー(気脈)を意味している。なにしろ目に見えないものだから諸説が入り乱れていて訳が解らなくなるが、要するに身体を構成するエネルギー場のことと理解すればいい。よく仏像や仏画で、仏さんの頭の後ろに光の輪(光背)がついているものがあるが、それがブッダのエネルギー場を象徴的に表現したものになる。現代ではオーラなんて言い方が流行っているが、そうゆうものだと理解してもいいだろう。このオーラである発光エネルギー球体の中に自分がいると意識する。それがあなたの宇宙ということ。あなたがあなたの宇宙を形成していると意識することで、宇宙のエネルギーを取り込むことになる。そうゆう瞑想をしなさいということ。

さらにあなたのエネルギー場であるその発光球体の中に、真言の一文字一文字とその句が現れ出るようにイメージしなさい、という。これは真言密教の瞑想法のひとつである「字輪観(じりんかん)」に相当する。様々な梵字を発光エネルギー球体(月輪)の中に浮かび上がらせ、その文字と自分自身を冥合させる瞑想法である。梵字は宇宙のエネルギーの様々な在り方を示していて、それがそのまま自分のエネルギーであると気づく、そのための瞑想と言っていい。そしてその「字輪観」を修するに当たって重要なことは、自分の「命」が清められてゆくようにイメージすること。「命」とは、呼吸すること。この呼吸を「風」と表現しているのは、インド哲学に由来する。いわゆる気息(プラーナ)のことを言う。吸う息吐く息そのものが「命」であり、この「命」が清められてゆくようなイメージで呼吸しなさいということである。ここでは、あらゆる瞑想においては欠かせない呼吸法を説いている。呼吸法のひとつの例として、まず鼻から大きくお腹いっぱいに息を吸い、今度は口からゆっくりと少しずつ吐き出す。新鮮な空気を取り入れ、そして体内の汚れた空気を吐き出すように、つまり身も心も浄化されてゆくような意識で何度も繰り返し行う。それが瞑想状態に入るための呼吸法である。ただし呼吸法には数種類あり、各々のアドバイザーから直接レクチャーを受けることをお勧めする。「想い」はその呼吸によって出入りしているのだ、というのは、雑念を捨て、呼吸そのものに精神を集中しなさい、ということ。それが呼吸法のコツである、と説いているのである。

『そのように(呼吸法によって)浄化することが出来たなら、行者はひと月間、真言を唱えることに専念しなさい。そうすれば真言の一言一句を自分のものに出来るだろう。

次の月には、その心に保持した真言に対して、塗香や花などを供えなさい。悟りを達成させるためには、こうして自らの心を供養することが必要になる。そうすれば真言はすべての恐れを除くものとなるだろう。

次に行者は、その真言を堅固に心に宿したまま、山の峰や牧場、河川の交わるところ、街の四つ角、神の祠(ほこら)、静謐な室内などにつとめてマンダラを描きなさい。そしてその場所を、光り輝く悟りのエネルギーに満ちた「家」と定めて、熱心に真言行の修行に励みなさい。

そうすれば、夜半や日の出の時刻に、智慧者には「フーム(オーム)」の声がどこからともなく聞こえてきたり、太鼓の音が虚空に鳴り響いたり、あるいは地が鳴動するのを聞くだろう。それらが悟りの徴候であると知れば、彼は悟りを達成することも意のままであることに気づくだろう。

諸仏はそれを修行の成果だと説いている。この真言行によって必ずブッダとなることが出来る。だから常に真言を唱え続けなさい。このことは遠き過去から現代に至るまでのあらゆるブッダが説き続けているのだから、深く心に留めおくように』

真言を常に唱え続け、それを深く心に落とし込み、それを絶えず大切に供養する気持ちでマンダラを描き、怠らず修行に邁進すれば、やがて夜半や日の出の時刻に「オーム」という聖音が聞こえたり、太鼓が鳴り響いたり、地が鳴動するのを感じて、それが悟りの徴候だと理解するようになるだろう。まさに真言行によってブッダとなることが出来るのである。これはどの時代のブッダも説いていることだから、あなたはそれを信じて常に真言を唱え続けなさい、と大日如来は教え諭している。真言や、真言を中心とした瞑想行がいかに重要であるかを説いた章が、この第五章となる。どっぷりと真言に浸ることで、悟りを達成することも不可能ではなくなる。ただしそれはプロの真言行者に限らず、在家の人間でも可能なのだ。「世間成就品」の意図はそこにある。あなたも真言(マントラ)を唱え続けてみてはどうだろう。きっと日常生活の中で何かの変化を感じることが出来るかも知れない。

<悉地出現品第六の解説>

悉地(しっち)とは、サンスクリット語シッディーの音写で「完成」とか「成就」を意味している。この場合は「悟りの達成」ということで、それが出現することを説いた章になる。まずは見てみよう。

『その時です。大日如来さまは、すべての生きとし生けるものの願いを叶えるために、過去、現在、未来に渡る数え切れない教えの中でも絶対的な真理である最上の智慧をお説きになりました。それはこのようなものです。

いわゆる虚空(宇宙)は一切の汚れがなく、そして自らで自らを生み出すエネルギーそのものである。であるからこそ、すべてに渡って様々な智慧を授けることが出来るのである。つまり宇宙のあらゆるものは本来「空」すなわち「なにもないこと(エネルギーそのもの)」なのだから、すべては清らかであり、あらゆるものは差異なく平等であるということ、それこそが最上の智慧であるということである。ただし、一般世俗においては、悪い原因から悪い結果が生まれるという法則性は根深く残り、そのカルマの概念から離れることは難しい。そのために如来は、悠久の時間をかけ、心の赴くままに無上の果報(悟りに至らしめる智慧)を生きとし生けるものに与え続けているのである。

執金剛の諸君らよ、明らかに聞き、そしてよく思い巡らせなさい。我は今から真言道における悉地(悟りの達成)について解き明かす。真言道を修行するものの中で、すべての生きとし生けるものを悟りに導こうという菩薩の道を志すものは、速やかに真言の悟りを達成することが出来るだろう。もし行者がマンダラを見、その尊格から承認を受け、真言を完全に自分のものとし、さらに悟ろうとする心(菩提心)を起こせば、絶対的な信解力(信じることによってすべてを可能にする力)を獲得し、慈悲の心を発現し、あらゆる邪な欲望から離れることが出来るだろう』

大日経には、以下数パターンの悟りの達成の文言が説かれている。要するにここでは、金剛を持つもの、すなわち真言道の修行者は、まず菩薩の慈悲の心を持つことが肝要であり、なおかつマンダラを見て感得し、「投華得仏」の儀式で縁を結んだ一尊から承認を得られた上において(結縁灌頂)悟ろうとする心(菩提心)を発現し、どんな状況でも信仰の力を失わず、世俗的な欲望に惑わされず修行に打ち込んでいれば、必ず悟りを得られるよ、との大日如来の教訓を説いていることになる。

『執金剛の諸君よ。自身の心に描き出すマンダラ(鏡曼荼羅)の大蓮華王座(中台八葉院の蓮華座)に座りながら深い瞑想状態に入ることによって、無数の光に包まれた有髪冠(うはつかん)の如来の姿が現れる。それは我、大日如来である。あらぬものに欲望を抱いたり、物事を差別して見るという悪しき心から離れて、静かに本来の心に立ち返り、よく思い巡らしながら真言を唱え続けなさい。まず最初の一か月には十万回(一ラクシャ)を唱えなさい。第二の月には、諸尊に塗香や花をお供えして、あらゆる生き物に施しをするよう心がけなさい。第三の月には食を慎み、栄養を抑えなさい。そうすると瞑想においてのイメージが自由自在になる。そして生けるものに一切の災いがなく安楽であることを願って苦悩の毒を除き、飢え苦しむ世界にいるもの(餓鬼)にも飲食を与えて満足させ、地獄に堕ちたものの、その苦しみからも解放されるよう、そう念じ続けなさい。

自己の功徳からもたらされる力と、如来の加護の力と、宇宙のエネルギーの力の三種類の力が注ぎ込まれた真言がこれである。心の奥底の真実の言葉として唱え続けなさい。

ナウマク サラバタタギャテイビャク ビジンバ ボッケイビャク サバタ ケン ウドギャテイ ソハラケイマン ギャギャナウケン ソワカ※一切諸仏に帰依します。すべての法に。すべての時に。空(くう)に。進め。振動せよ。水よ。虚空よ。空(くう)よ。※

行者は満月の日に、山の峰、牧場、森林、川の中洲、四つ辻の木の下などで、この真言を唱えなさい。すると行者の患いや災いは伏せられ、心に迷いはなくなるだろう。

真言によって生じるもの、それを悉地(悟りの達成)という。本来、原因は生まれることはなく、だから結果も生まれない。悟りの世界においては、因果という法則は存在しないのである。真言行者よ、まさに知るべきである。悟りの宇宙世界では、すべてが「空」なのである。真言行による悟りの達成という成果は、だから善悪というカルマ(因業)を超越しているのである。こうして「すべては姿形のないエネルギーそのものである」という境地に至れば、悟りは自ずと心に生まれてくるのである。

その時です。大日如来さまは、煩悩魔と、妄執をもたらす五蘊魔と、死魔と、天魔という四つの障害(四魔)を払い除ける堅固不滅の真言をお説きになりました。

ナウマクサーマンダ ボダナン アビラウンケン ※一切諸仏に帰依します。地。水。火。風。空。※』

飽くことなくひたすら真言を唱え続け、それを心に刻み込み、一文字一文字がブッダの悟りであると想念し、慈悲の心であらゆる生き物を救うことを誓い、心のマンダラとひとつになる瞑想に励めば、必ず悟りを得られる、と大日如来は説く。悟りの宇宙世界は姿も形もないエネルギーそのものである。つまり「空」である。すべてが「空」なのだから、因果の法則も輪廻転生をもたらすカルマもない。あるのは悟りが達成されたという真実のみである。そうこの「悉地出現品」では結論付けている。

なお、最後の真言は「地水火風空(ちすいかふうくう)」の「五大」を表し、これは万物の構成要素を自然界の五つの原理に分けて捉えるインドの伝統的な哲学に由来している。そして、この「地水火風空」すなわち「アビラウンケン」こそ、胎蔵界大日如来の真言なのである。「五大」という宇宙の森羅万象そのものを総体とするのが大日如来だからである。密教において、この「五大」は実に重要なので、是非とも覚えておこう。さて、これで「悉地出現品」はおしまいかと思ったら、実はまだ続きがある。それは「ア」字についてである。

『秘密主(金剛薩埵)よ。「ア」字は最も勝れた大地の法輪である。真言行において菩薩の道をゆく修行者は、「ア」字を自分自身であると思うと同時に、すべてが同等に「ア」字そのものであると思いなさい。路傍の石も玉石とまったく変わらない、そう見るこで、様々な罪業や貪瞋痴という煩悩から離れ、すべてが清らかであるという境地に達しなさい。

座って「ア」字を観ながら、例えばそれが耳(耳根)にあると思い、そう念じて一か月も過ぎれば耳は清らか(耳根清浄)になり、何を聞いても穢れを受けることはなくなる。他の六根も同じである(六根清浄)。

秘密主(金剛薩埵)よ。真言行において菩薩の道をゆく修行者は、生きとし生けるものすべての心に寄り添い、彼らのすべてを喜ばせなさい。如来が悟りの達成(悉地)を授けるのは、真言行をおいて他にない。まさに悟りなさい』

「ア」字を観る、とは「ア字観」のことである。ア字観については別の章で詳しいからそちらに譲るが、まさに「ア」字は密教の根幹であると言える。なぜなら大日如来そのものだからである。大宇宙の生成エネルギーであり、宇宙そのものが「ア」字である。ここでは大地の法輪という表現を使っているが、それは宇宙の根源でありポータル(入口)であることを指し示している。宇宙とひとつになる、ということは「ア」字とひとつになること。そして宇宙のありとあらゆるものとひとつになることである。だから道端の石ころも高価な宝石もみな同じ。一切平等であり、すべては純粋無垢なのだ。その清らかな境地に至って菩薩道に邁進すれば、必ず悟りは開ける。真言行者よ、励みなさい、と大日如来は申される。さて、あなたはどうだろうか。改めて下にア字観の瞑想に使う画を載せておく。よく見つめてみると良いかも知れない。

<成就悉地品第七の解説>

「悟りを完成させる」という表題のこの章では、前章に続いて「ア」字のことが説かれている。

『大日如来さまは執金剛たちに向かって、「幸いなるかな堅固不滅の悟れる心の持ち主よ、汝らの眼はすでに開かれている」と賛美し、そして金剛薩埵にこう告げられました。

菩薩の心がマンダラである。みなすべて、心から生まれるのである。心の底から喜ぶことが、すなわち本来の清らかな心なのである。真言はそこから発現して、広大な果報を招くのである。

かの蓮華処(中台ハ葉院の蓮華座)をイメージしなさい。そこには八つの花弁があり、マンダラの諸尊を生み出す蕊(しべ)がある。その蓮華が「ア」字である。それは眩い光を発して宇宙のすべてを輝かせているために、あたかも一千の電光を合わせたかのようにブッダがそこからその姿を現わすのである。ブッダが深い瞑想にあって円鏡(発光エネルギー球体)の中に座り、あらゆるところに姿を現わすのは、それは清らかな水に映る月がすべての生きとし生けるものの前に現れるようなものである。

その蓮華座にある「ア」字の上に大空点(空を表す点)を打ち、「アン」字としなさい。それは水晶や月や雷光のように純粋無垢で穢れなく、なおかつすべてのものの拠りどころとなるべき宇宙そのものの姿になる。様々な真言の悟りが様々な形として現われ、最上の快楽と煩悩から離れた清らかな境地を得て、そして如来の言葉を体得することが出来るだろう。{この後、「ア」字から発生する数種類の種字の功徳が説かれる}

このように「ア」字は、すべての仏菩薩の生きとし生けるものを救済する蔵の宝庫である。正しい悟りを目指して菩薩の道を行くものは、未だに己れの悟りに執着している修行者(縁覚:小乗仏教の修行者)などのところに赴き、真の悟りを広めなさい。この「ア」字の功徳は、すべてのブッダがそれぞれの仏国土において、みな同じく説かれているものである。であるから菩薩は、あらゆる手段を駆使して悟りに導く智慧(一切種智)と如来の真実の智慧(一切智)を得ることが出来るだろう』

この章では、「ア」字がすべての発生源であることを説いている。中台ハ葉院の蓮華座に座っているのは大日如来であるが、それは「ア」字によって表現される。この「ア」字から、あらゆるものが生まれる。ちょうど雄しべから舞った花粉が雌しべに受粉して実が成るように、「ア」字の生成エネルギーが分散してマンダラの諸尊が生み出される。ただしそれは諸尊に限らず、あなたもわたしも宇宙にあるすべてのものがそうである。なぜなら、あなたもわたしもマンダラ(悟りの宇宙世界)にいるからである。そのマンダラを心に持つものが菩薩であると言う。菩薩の心はマンダラであり、だからあらゆるものを生み出す。そして徹底的に清らかで幸せな世界という果実を創造する。その根源にあるのが「ア」字ということである。ただし「ア」字は生成エネルギーだから、実体も形状もない。つまり「空」である。「空」だから変幻自在である。様々なエネルギーに変換し、様々なものを造り出す。それを「字輪(じりん)」という。「ア」字は無数の種字に変換され、宇宙に拡散する。こうして波紋のように種字というエネルギーが広がって、宇宙のありとあらゆるものを形成してゆく。その過程を瞑想するのが「字輪観」である。「字輪観」のやり方は様々あるが、まず「ア」字をベースにして、それが「アン」字や「バン」字や「ラ」字や「ラン」字や「カン」字や「ウン」字などに変化してゆくようにイメージする。それぞれの個性のエネルギーがそれぞれの個性を形作って宇宙を成り立たせている。それを瞑想するのが「字輪観」である。興味のある人は、直接指導者にレクチャーを受けてください。くれぐれも自己流でしないように。それはさておき、この「成就悉地品」は、字輪の功徳について説いている。菩薩は慈悲の心で、未だに慈悲の心を持たずにひとりだけで悟ろうと修行しているもの(縁覚)のところにも行って、教え諭してあげなさい。それも菩薩の修行のひとつ。そうすれば様々な人を様々なやり方で悟らせる智慧、いわゆる方便智が身につき、結果的に如来の最上の智慧(一切智)を得ることが出来るだろう、と説いている。

<転字輪曼荼羅行品第八の解説>

転字輪曼荼羅行(てんじりんまんだらぎょう)とは、字輪が転じてマンダラとなってゆく、ということ。従って、改めて字輪について説いた章ということになる。

『その時です。大日如来さまは、あらゆる世界で開かれている悟った者の集まり(集会:しゅうえ)を観察して、その者たちに大慈大悲の想いを傾けながら、妙なる味覚の雨を降らせる瞑想(甘露王三昧)に入られました。そして過去、現在、未来に渡るすべての障害を打ち破る強力な明妃(真言)を唱えられました。

タニャタギャギャナウサンメイ アハラチサンメイ サラバタタギャタサーマンダドギャテイ ギャギャナウサンマバララキシャ デイ ソワカ※虚空と等しく、無と等しく、一切の如来と等しく入る道。虚空。最善。守護※

それから大日如来はこう告げられました。

「善きものたちよ。今唱えた明妃(真言)は、如来と無二の関係にある。ブッダの加護と偉大な菩薩の名においてこの明妃(真言)を唱え、生きとし生けるものを煩悩の束縛から解放し、あらゆる苦しみを取り除きなさい」

そして大日如来さまは、ブッダは本来、生まれることも滅することない、と想念しながら、自分自身と金剛を持つもの達にその想念のエネルギーを注入して、こう告げられました。

「善きものたちよ。よく聞きなさい。この字輪マンダラの教えの道を行く菩薩修行者は、ブッダの能力を体現し、そしてその身そのものもブッダとなり、あらゆるところにその姿を現わすことが出来るようになるだろう」

さらに大日如来さまは告げられました。

「我はすべての源であり、すべての拠りどころである」と。

その時でした。大日如来さまの体中から無数の「ア」字が出現し、すべての在家・出家の修行者を悟りに導きながら、そうして大日如来さまは「ア」字の真言を唱えられたのです。

ナウマクサーマンダ ボダナン ア

「善きものたちよ。この「ア」字には、すべての如来のエネルギーが注ぎ込まれている。真言道において菩薩の修行をするものは、ブッダの能力を発揮してどこにでも姿を現わし、「ア」字を転じてあらゆるものに教えを広めるだろう。

そのゆえに秘密主(金剛薩埵)よ。ブッダを見て供養し、菩提心を起こして悟りを目指し、菩薩たちと集い、生きとし生けるものを幸せにしたいと望み、悟りを達成させて無上の智慧を得たいと願うならば、「ア字の観想」を修得しなさい』

「ア」字は自分であり、「ア」字はすべてである。すべては「ア」字から始まり、それは形を変えて無数に拡散し、宇宙のすべてを創造する。「ア」字がこうして波紋のように広がることを字輪という。その字輪によって創造された悟りの宇宙世界を「字輪マンダラ」という。悟りを得ようと願う修行者は、この「ア」字を観想しなさい、と大日如来は言われる。「ア」字を観想するとは、いわゆる「ア字観」のことである。その瞑想の仕方は『「金剛頂経を読み解く」解説<前編>』ですでに詳しく説明しているので、そちらを参考にしてください。ただし「ア字観」も、マスターから直接レクチャーを受けた方がいい。動画サイトなどを見て、それこそ見よう見まねに行うのは危険な部分がある。瞑想で無防備になった意識に悪いエネルギーが入り込むこともあり、それを判断出来るのが指導者だからである。何よりも、悟りたいという心「菩提心」を起因として、他者を哀れみ慈しむ「大悲」を常に心に保ち、そして様々な手段で他者を救済するという「方便」を最終目的とする決意を持つこと。大日経のメイン・テーマである、いわゆる「三句の法門」を忘れずに胸に秘め、真剣な気持ちで瞑想に臨まなければならない。「ア字観」も仏道修行であることをしっかり認識しながら、なおかつ楽しく学べばいいと思う。

なおこの後、阿闍梨は「ア」字を心に堅持してお経を読みながらマンダラを巡り、すべての如来に礼拝した後、弟子を迎え入れ、四大菩薩(中台八葉院の普賢、文殊、観音、弥勒の四菩薩)のエネルギーを注入した水瓶(すいびょう)で、普賢菩薩の真言を唱えながら弟子の頭に聖水を注ぎ、灌頂しなさい、と説かれている。その灌頂を受ければ、弟子はたちまち髪が金色に光り、中台八葉院の白蓮華に座って如来と等しくなるだろう、という。いずれにしろ、何よりもまず「ア」字が根本であることが、この章では特に強調されている。

「大日経を読み解く」儀軌部門の解説 2

<終了>

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