威徳山金剛寺 密教の真髄

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「大日経を読み解く」儀軌部門の解説 1

<本経の解説に先がけて>


この「密教経典を読み解く」シリーズでは、「大日経」「金剛頂経」「理趣経」と、真言密教にとって教理の根本となる最も重要な経典について解説してきたが、今回から「大日経」の第二章以降に説かれている儀軌(ぎき)の部分について解説してゆこうと思う。儀軌とは、このシリーズで何度か説明しているが、要するに密教の修法マニュアルのことである。具体的にはマンダラの描き方とその心構え、密教の先生、これを阿闍梨(あじゃり)というが、その阿闍梨がマンダラに入るに際しての印と真言と瞑想という三密の作法や、弟子をマンダラに招き入れる時の入壇作法、その心構えや印や真言の教授、またそれぞれの仏菩薩の印や真言や成就法(効能)などがレクチャーされた、密教の修法における作法の解説部門のことである。極めて端的に言えば、密教の実践部門のこと。「金剛頂経」に関しては、すでに教理部門とその実践部門の現代語訳と解説をしている。だが「大日経」に関しては、教理部門の第一章「入真言門住心品第一(にゅうしんごんもんじゅうしんぼんだいいち)」だけで、第二章からの実践部門は解説を飛ばしていた。なぜならかなり長いからである。

「大日経」は正式名称を「大毘盧舎那成仏神変加持経(だいびるしゃなじょうぶつじんぺんかじきょう)と言い、インド僧である善無畏(サンスクリット名シュバカラシンハ)が漢訳している。まず善無畏という人のことについて少し話しておくと、真言宗では密教を継承して次に伝えた八人の偉大な祖のことを「伝持(でんじ)のハ祖」というが、その第五番目が善無畏である。最後の第八番目は弘法大師空海、つまりお大師さまになる。ちなみに大日如来から金剛薩埵へ、そして最後は空海へ、という「付法(ふほう)の八祖」という伝承も真言宗にはある。この件は本旨から外れるので、ここではこれ以上触れないでおく。とにかく善無畏は真言宗では最も尊ばれている祖のひとりということ。この善無畏が訳した「大毘盧舎那成仏神変加持経」は全七巻。本編の三十一章と補足部分の五章で構成されていて、そのうちの三十一章が六巻に納まり、補足部分の五章が一巻に納まっている。これで全七巻ということ。章のことを仏教の経典では「品(ほん)」と言う。つまり「大日経」は三十一品と補足が五品ということ。そのうちの初品の「入真言門住心品第一」が教理部門であり、すでに述べているように解説済みである。残りの第二品から第三十品までが儀軌部門に相当する。そして補足の五品は、本編に後から付け足した付録のようなもので、だから本編から切り離されている。このことはおいおい詳しく説明するが、そうゆことで「大日経」はかなり長い経典である。これを全部解説するには相当な時間と忍耐と、何よりも浅学のわたしにはかなり骨が折れる作業になる。もちろんそれもあるが、密教は滅多やたらに印や真言を教えてはならない、という厳しい戒めがある。このことは「金剛頂経を読み解く」の解説にも書いたが、師僧から正式な伝授を受けていないものに密教の奥義である三密の修法を教えれば、教えたものも教えられたものも地獄へ落ちる、と恐ろしいことが実際に「金剛頂経」には説かれている。だから印や真言に関する具体的な明記はどうしても避けなければならない。ところが儀軌の部分は印や真言のオンパレードである。当初は真言僧のひとりとして、これを世間の人に公開していいものかどうか悩み、結局、「大日経」の解説に関しては、教理のみが説かれている初品の「入真言門住心品第一」だけにしておくことにした訳である。

だが「大日経」の儀軌の部門にも、素晴らしい教説が説かれているところがたくさんある。そして密教を学ぶには是非とも知っておきたいア字観や五輪思想などの元となる理論が詰め込まれている。この部分だけでも何とか解説しておきたい。そうでないと、片手落ちになる。そうゆう想いから、今回、無謀にも「大日経」の儀軌の部門の解説に挑むことにした。ただし、「金剛頂経を読み解く」でも述べたように、印や真言の具体的な解説は極力省く。なるべく教説のところだけを説明するにとどめる。しかも長い経典なので、かなり簡略化することになる。それでも長丁場になるから、十数回に分けなければならなくなる。と同時に、簡略化を図るために、以前に何度か説明している密教の専門用語、例えば金剛や三昧耶や三密や加持や灌頂などについては、知っていることとして解説を省かせてもらいます。解らなければこのシリーズを読み返して頂くか、自分で調べてみてくださいね。まあ、とりあえず焦らず気長に楽しく書いてゆくので、どうか焦らず気長に楽しく読んで頂ければ幸いである。

<入曼荼羅具縁真言品第二之一の解説>

大日経の第二章にあたる入曼荼羅具縁真言品(にゅうまんだらぐえんしんごんぼん)は、表題の通りマンダラに入る縁起と真言について説かれている。つまりマンダラの描き方を中心に、どのような人がマンダラを描き、またどのような人が密教の先生である阿闍梨(あじゃり)に相応しいか、どんな人をマンダラに招き入れるべきか、さらにそれに関する真言などが説かれた章になる。

まず例によって金剛薩埵が大日如来に教えを請う。金剛薩埵は第一章から大日如来へ問いかける対告衆(聴衆者)の代表である。また経典全体を通して主人公の役割を担っている。そんな重要な立場にある金剛薩埵が、改めて大日如来にこう願い入れた。

『世尊よ、大いなる慈悲の蔵より生じるマンダラをお説きください。未来の多くの生きとし生けるものを救済し、安楽を与えるために』

その願いを聞き取ると、大日如来は大いなる慈悲の蔵から生じるエネルギーとひとつになる瞑想に入り、体中から無数の如来を出現させ、すべての如来と共に大宇宙を満たし、そして元の身体に戻ると、おもむろに金剛薩埵に語った。

『執金剛秘密主(金剛薩埵)よ。真言行道の師となる阿闍梨(あじゃり)は、まず菩提心(悟ろうとする心)を起こし、勝れた智慧があり、慈悲の心を持ち、様々な技能に熟達し、巧みに智慧の成就(般若波羅蜜多)を修め、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗という三乗に通じ、真言の真実の教えを理解し、生きとし生けるものの心を知り、諸仏諸菩薩を信じ、阿闍梨の資格たる灌頂を受けており、マンダラの図像がしっかり頭に入っており、性格は柔和で、あらゆる執着から離れ、真言行に確信を持って疑わず、瞑想行を極め、悟ろうとする意志が誰よりも堅固でなければならない』

と大日如来さまは言われた。大日如来は、まず最初に真言行の先生である阿闍梨の資質について述べている。これを「阿闍梨の十六徳」という。重要なところなので、以下に明記しておこう。

1・・悟ろうとする心(菩提心)がなければならない

2・・勝れた智慧がなければならない

3・・慈悲の心がなければならない

4・・様々な技能に優れていなければならない

5・・悟りに至る智慧の成就(般若波羅蜜多)の修行を成し遂げていなければならない

6・・小乗の教え(声聞乗・縁覚乗)にも大乗の教えにも通じていなければならない

7・・真言行の深い意味を理解していなければならない

8・・生きとし生けるものの心を知っていなければならない

9・・諸仏諸菩薩を信じ切っていなければならない

10・・阿闍梨の資格を授けられる灌頂を受けていなければならない

11・・マンダラの構造をよく知っていなければならない

12・・性格は柔和でなければならない

13・・あらゆる執着から離れていなければならない

14・・真言行に確信を持っていなければならない

15・・仏と一体になる瞑想(瑜伽)に熟達していなければならない

16・・堅固な菩提心を維持し続けていなければならない

以上が「阿闍梨の十六徳」である。これらの徳を持っていなければ、阿闍梨の資格なんかないよ、と大日如来は言われる。厳しい指摘である。今の阿闍梨にこの徳をすべて備えた人が果たしているだろうか。真言宗の僧侶資格を持っていれば、一応、阿闍梨である。自分も含めてそうなのだが、とてもではないがこれらの徳のひとつでも持っている真言僧が現代にいるとは思えない。よく反省し、なるべく少しでも十六徳に近づけるように努力しよう、そう思って修行に邁進する真言僧が増えてくれることを期待したい。もちろん何よりもまず自分からであるが・・。

続けて大日如来さまはこう申された。

『仏法を受ける資格があって、なおかつ世俗の苦しみを克服している人であり、信仰への理解が強く、努力家であり、深い信仰心を持ち、常に他者の幸せを願う人がいたならば、阿闍梨は自らその人のところへ赴き、こう告げなさい。

「あなたに真言行道の教えを開示します。魔王の軍を打ち負かして悟りを開いた救済者・お釈迦さまのように、あなたは必ず仏の智慧に到達するでしょう」』

大日如来は阿闍梨に対して、そんな素晴らしい資質を持った人を探し出してスカウトしなさいとおっしゃっている。上記のような人材は滅多にいないだろう。だから阿闍梨自らそんな人材を探し出して、真言道に導き入れるべきである、という。いつの時代も、そしてどんな業界も人材確保は重要な課題となる。この当時の密教教団もそうだったのだろう。なにせ阿闍梨先生自ら人材確保に奔走しなければならないのだから。ただ別の側面から見ると、こうして阿闍梨が苦労して探し出すほどの人でなければ弟子にしてはならない、という意味にも取れる。教授も学生も、相当高い精神レヴェルでなければ密教という授業を教えても学んでもいけない、それほど密教は高次元の仏教なのだ、と大日如来は言われたかったのかも知れない。

次に大日如来は、マンダラのあるべき姿について指し示す。

『マンダラを造るには、それに相応しい土地を選ぶこと。花や木々に囲まれた緑豊かな山林、古来より聖人が修行したと言われている土地、楼閣や寺院内の美しい庭、神の霊域などを選ぶこと。その地を汚れや塵を除いてきれいに清掃し、地の神を招いてお守り頂くための偈(詩)を唱えること。

「神々や諸仏や導師がおられる中、こうして地を清め、魔王の軍を打ち破り悟りを得た生きとし生けるものの救済者である釈迦牟尼如来のように、私もまた魔軍を打ち破れますように」と。

秘密主(金剛薩埵)よ。生けるものは智慧から遠ざかり、愚かな愛欲によって真理から目をふさぎ、ただ目先の物事に囚われて善と悪とを区別し、やみくもに利益を求め、この真言道の尊い教えを露ほども知らない。このような哀れな生きとし生けるものを救うため、その生けるもののレヴェルに合わせて、このマンダラの法を説くのである。

秘密主(金剛薩埵)よ。洒水(しゃすい)の真言を唱えながら聖なる霊水を撒いて地を清め、諸仏の姿をイメージしなさい。

中央に、我「大日如来」をイメージで現しなさい。我は白蓮華の上に座り、結った髪に宝冠を被り、様々な色彩の光を周囲に放っている。

次に四方の如来をイメージで現しなさい。東方には宝幢如来(ほうとうにょらい)が、まさに日が昇るように座っている。

南方には開敷華王如来(かいふけおうにょらい)が悟りの華を開き、黄金色の光を放って悪害を退ける瞑想にいる。

北方には天鼓雷音如来(てんくらおんにょらい)が、苦悩を消滅する瞑想にいる。

西方には無尽蔵の光明を放つ無量寿如来(むりょうじゅにょらい)が座っている。

これらの五仏をイメージしながら、マンダラの中心となるその土地を、不動明王あるいは降三世明王の真言によって完全に清らかにしてから、白檀でマンダラを描きなさい。まず第一に大日如来、第二に四方四仏、第三に智慧の母たる虚空蔵菩薩、第四に蓮華手(観自在菩薩)、第五に執金剛、第六に不動明王などのマンダラ諸尊へ順番に香り高い華を供えて思念しながら描きなさい。そうして「慈悲深い諸仏よ、私たちを思い、明日、この地にマンダラの諸尊を降臨させてください」と偈(詩)の形で願いを訴え、ひたすら真言を唱えなさい。

そして真言行者は慈悲の心を起こし、その夜、西側に身を置いて安らかに眠り、その眠りの中で自らの菩提心が清らかであることによって自我から離れ、宇宙とひとつになさい。そうすれば夢の中に大菩薩たちや無数の如来たちが現れ、あなたをこう褒め讃えるだろう。

「汝が描いたマンダラは、実に立派である」と。

次の日より、悟らせるべき人を選びなさい。信心が篤く、仏法僧を敬い、深い智慧を身につけており、修行において飽きることなく努力をし、いつも戒めを守る清らかな心の人なら、十人でも八人でも七人でも、あるいは五人、二人、一人、四人であっても、何人だろうと選び出して灌頂を授けなさい』

いよいよマンダラの図像製作となる。ただし、この段階では、まだイメージで描くマンダラである。まずマンダラを描くのに相応しい土地を選び、徹底的に清め、地の神に祈願した後、祈祷した聖なる水で洒水(散状という木の棒で水を撒くこと)し、洒水の真言を唱える。そうしてから、白蓮華に坐す大日如来を中心とする四方四如来、さらに諸々の諸尊の具体的な姿をイメージし、不動明王や降三世明王の真言を唱えながらそれを白檀で描きなさい、と言われる。これを白墨か白いクレヨンのようなもので描くことだと勘違いしそうだが、そうではなく、白檀は高価なお香であり、この香で供養しながら諸尊をイメージで描きなさい、ということ。こうして心の中でイメージとして描くマンダラを「観想曼荼羅(かんそうまんだら)」というが、完璧にマンダラを心で描き出すには相当な修練が必要となる。マンダラにいるあのたくさんの仏さんたちをすべて頭に入れ、一尊一尊の姿と特徴を掴み切っていなければならないのだから、どう考えても一朝一夕では出来ないことは解るだろう。つまりそれが出来なければ阿闍梨じゃない、ということになる。こうして清らかな土地にマンダラをイメージで描いた阿闍梨はその夜、悟ろうとする強い意志を持って眠れば、その眠りの中で自我から離れ、マンダラという悟りの宇宙とひとつに溶け合う。すると諸仏諸菩薩が夢に現れ、君が描いたマンダラはとっても素敵だよ、と褒めてくれるという。これは嬉しい。あなたも観想マンダラでいいから、ひとつ描いてみたらどうだろう。ただし完璧でなければ逆に仏菩薩からお叱りを受けることになるかも。さて次の日から、阿闍梨の弟子探しが開始される。篤い信仰心を持ち、仏法僧という仏教における三つの宝を敬い、精進努力を怠らず、清らかな心で戒めを守る、そんな素晴らしい素質を持った人がいたならば、何人だろうが構わないから探し出して灌頂を授けなさい、という。灌頂を授けるとは、この場合、マンダラに入壇させる資格を与えることを言う。こうして資格者をスカウトできたらば、次はいよいよ本格的なマンダラの作図作業となる。とその前に、金剛薩埵は大日如来に最も重要な質問をする。

『世尊よ、このマンダラは何と呼ぶのでしょうか』

すると大日如来さまはこうお答えになった。

『金剛主(金剛薩埵)よ、よく聞きなさい。これをマンダラと呼ぶのは、諸仏を生み出して例えようもない甘美な境地を味わうことが出来るからである。さらにこれはありとあらゆる生きとし生けるものの世界を哀れむ慈悲の心を表している。だから「大悲胎蔵生曼荼羅(だいひたいぞうしょうまんだら)」と呼ぶのである。秘密主よ、如来は数えきれない過去より積み上げてきたこの上ない悟りのエネルギーによって、数えきれない徳を持っている。だから如来は大いなる慈悲と大いなる願いを叶える力によって、その心のままに教えを説き示すのである』

さて、ここで改めて大悲胎蔵生マンダラの構成を説明しておこう。以下が大悲胎蔵生マンダラ図である。これは「現図曼荼羅(げんずまんだら)」と呼ばれているもので、空海が唐の都の長安で恵果阿闍梨から授けられたマンダラを正確に継承したものとして、現在も真言宗では最重視されている。空海が恵果より授けられた現図曼荼羅には、金剛界マンダラと大悲胎蔵生マンダラの両界マンダラがあるが、両マンダラとも恵果が弟子によって描かせたもので、その元となるマンダラが存在していたかどうかは不明である。恵果はマンダラ作製にほぼ一生を費やしたと言われるほどマンダラを重要視していた人物で、おそらく彼のオリジナルの部分がかなりこの現図曼荼羅に反映されていると思われる。というのも、大日経の儀軌(ぎき)では記載されていない尊格が多数、この現図曼荼羅に描かれていて、つまり大日経には大雑把な記述しかなかったものを、恵果が大胆にアレンジを加えたのが、この現図曼荼羅ということになる。であるから、以下に解説する大日経のマンダラの儀軌(ぎき)と、現図曼荼羅の構成が食い違うのは当然であり、前もってそういう認識でこれから読み進めて頂きたい。

上が大悲胎蔵生マンダラの全体図である。下がその各院の名称になる。

中央の「中台八葉院」を拡大したものが下になる。

中央:大日如来

東方(上):宝幢如来

南方(右):開敷華王如来

西方(下):無量寿如来

北方(左):天鼓雷音如来

東南(右斜め上):普賢菩薩

南西(右斜め下):文殊菩薩

西北(左斜め下):観音菩薩

北東(左斜め上):弥勒菩薩

さてここから大日如来によるマンダラの具体的な作図の開示が始まる。上のマンダラの構成図を頭に入れながら読み進めてゆこう。

『土地を浄化したなら、その翌日、水瓶(水差し)を妙なる香の水で満たし、降三世明王の真言を唱えながら霊エネルギーを注入した後、人々に濯ぎなさい。そして阿闍梨はその清らかな水を飲ませなさい。なぜならそれは、その人が清らかであるからである。

その夜にマンダラを図画しなさい。阿闍梨は白と赤と黄色と青と黒の五色の糸をもって諸仏に礼拝し、東方から右回りに南方、西方、北方と線を引いて区画し、その各枠に四つの門を作りなさい。その中央に清らかな白蓮華を描きなさい。胎蔵生マンダラのすべては、この白蓮より生じる。その八葉蓮華の中心に大日如来が現れる。全身は黄金に輝き、頭に宝冠を被り、あらゆる生きとし生けるものを救う光を放っている。

その東方(中台八葉院のすぐ上の遍知院)に、一切遍知印(卍)を三角形の中に描きなさい。色は純白で、その回りは光の炎に包まれている』

[遍知院の構成]

「遍知院(へんちいん)」はすべての如来の智慧の母体を表し、中央の一切遍知印(一切如来知印)は明らかに女性の膣をイメージしている。従って「遍知院」は「仏母院」とも呼ばれている。東から日が昇るように、大日如来の悟りの母体が顕現され、全宇宙を照らす様子が描かれている。なお、この一切遍知印の上部左右に小さく描かれているのは、お釈迦さまに改宗させられて仏弟子となった元拝火教徒のカシュヤパ三兄弟のうちの長男と三男で、左が長男のウルヴィルヴァー・カシュヤパ(優楼頻羅迦葉・うるびんらかしょう)、右が三男のガヤー・カシュヤパ(伽耶迦葉・がやかしょう)。これは火の神アグニを信奉していた異教徒がブッダの智慧の炎によって改心したことを象徴している。

中央:一切遍知印(一切如来知印)※大日如来の智慧が膣として顕現した形を顕している

左端:七俱胝仏母(准胝観音)※七千万のブッダの母の意味。ヒンドゥー教の狂暴な女神ドゥルガーが改心して仏法守護の母神となったとされている。

左から2番目:仏眼仏母※全宇宙を見つめるブッダの眼の意味。ブッダの智慧を生み出す第三の眼。お釈迦さまの生母マーヤー夫人が仏格化した尊。

右端:大勇猛菩薩※大いなる勇猛心を持って衆生を導く菩薩

右から2番目:普賢延命菩薩※衆生の延命長寿を司る普賢菩薩の変化形

『その北方(中台八葉院のすぐ左側の蓮華部院)には観自在菩薩(観音菩薩)がいる。微笑みながら白蓮華に座り、髪の中には無量寿如来(阿弥陀如来)がいる。その右の多羅尊(ターラー菩薩)は中年の女性の姿をしている。合掌して青い蓮を持ち、純白の衣を着けている。またそこに大勢至菩薩を描きなさい。さらに馬頭観音を描きなさい。それは凄まじい威力のある持明王(真言を持つもの)であり、体は朝日が昇るように輝き、その身を白蓮で飾っている。髪は燃え盛る炎であり、怒りの表情で牙を剥き出し、爪は鋭く、頭には野獣(馬)の首がある。これらは皆、観音菩薩の眷属である』

[蓮華部院の構成]

「蓮華部院」は観音菩薩の仲間たちで構成されている。下の図では二十一尊も描かれているが、大日経ではそのうちの観音菩薩、多羅菩薩、勢至菩薩、馬頭観音菩薩の四尊のみの記述がある。世間の泥に染まってしまっている衆生(生きとし生けるもの)に、本来はみな清らかであることを悟らせる慈悲の菩薩集団である。なお、蓮華部の菩薩の間に小さく不規則に描かれている合計15の尊は、各菩薩に奉仕する侍女(性パートナー)である。ここでは記述されている四尊と、比較的よく知られている菩薩を上げておく。

右の上から二番目:大勢至菩薩

右の上から四番目:観自在菩薩(観音菩薩)

右の上から五番目:多羅菩薩

右の一番下:馬頭観音菩薩

中の一番上:大随求菩薩

中の上から四番目:如意輪観音菩薩

左の上から四番目:不空羂索観音菩薩

『その南方(中台八葉院のすぐ右側の金剛手院)には、すべての願いを聞き届けることの出来る金剛を持つ知恵者である菩薩たちがいる。その下方には、大きな障害を凄まじい威力で粉砕する降三世明王がいる。三つの眼を持ち、四本の牙を剥き出しにして、体の色は夏の雨雲のように黒く、生きとし生けるものを護るために千の手に様々な武器を持っている』

[金剛手院の構造]

大日経には記述されていないが、「金剛手院」のメインは金剛薩埵である。つまり金剛薩埵を主尊とする「金剛を持つ菩薩」の合計21尊で構成された集合体が金剛手院ということ。金剛とは、ダイヤモンドのように光り輝く永遠不滅の悟りの心のエネルギー。そしてブッダの教えに従わないものをこらしめ、強引に従わせる強烈なパワーの象徴でもある。その金剛を手にする菩薩が集合したのが金剛手院。なお、この金剛手院の菩薩の間に小さく不規則に描かれている11尊は、各菩薩の侍女や供養の菩薩たちである。

右の上から四番目:金剛牙菩薩(摧一切魔菩薩)

中の上から六番目:金剛鏁菩薩

左の上から二番目:金剛鉤女菩薩

左の上から四番目:金剛薩埵

左の上から六番目:金剛拳菩薩

左の一番下:降三世明王

『さらに西方(中台八葉院の下方の持明院)には、数え切れないほどの持金剛(金剛杵を持つ者)を描きなさい。その西南方に位置する不動明王は、剣と羂索(けんじゃく)を持ち、髪を左肩に垂らして恐ろしげな表情をし、全身を猛火に包み、岩の上に立つ。西北の隅には勝三世明王がいる』

[持明院の構成]

「明(みょう)」とは呪文を意味している。「知識」や「学問」という意味の「ビドゥヤー」が言葉の呪力として解され、日本流に言うと「言霊(ことだま)」に転化された。呪文とはマントラ(真言)やダラーニー(陀羅尼)を含めた霊的な言葉全体を言う。つまり明王とは、呪文の王のことであり、言葉の呪力のエネルギーが顕現化した存在ということになる。だからあらゆる悪害を粉砕する凄まじい威力を持っているのである。その明王を中心としたのが「持明院(じみょういん)」ということになる。ただし、その中央には般若菩薩が座っている。般若菩薩は智慧の菩薩であり、また般若波羅蜜多経を象徴する菩薩でもある。つまり「空」の智慧を言葉の呪力(明)で表現する尊格として「持明院」の中央に座っているのである。

一番右:不動明王

右から二番目:抜折羅吽迦羅菩薩(降三世明王の異名)

中央:般若菩薩

左から二番:大威徳明王

一番左:勝三世明王

『次に第二院(中台八葉院から二番目の枠)の東方(遍知院の上の釈迦院))に釈迦如来を描きなさい。身体に三十二相を備え、袈裟を着て白蓮に座っている。その右に遍知眼(仏眼仏母)がいる。また、左方に白傘蓋(はくさんがい)や最勝仏頂(さいしょうぶっちょう)などの五仏頂如来を描きなさい』

[釈迦院の構成]

釈迦院(しゃかいん)はお釈迦さまを中尊とする院である。従ってお釈迦さまの効能を表す仏尊や仏弟子が合計39尊、配置されている。中央の釈迦如来を囲む門の四隅には虚空蔵菩薩、観自在菩薩、無能勝金剛(むのうしょうこんごう)、無能勝妃(むのうしょうひ)の「釈迦の四持尊」が小さく描かれている。上段の左右には「釈迦の十大弟子」が、下段の左右には額に隠されているブッダの本源のエネルギーである仏頂尊(ぶっちょうそん)が八尊描かれている。これを「八仏頂」という。

『最外印(外金剛部院)の東の隅には火天アグニを描きなさい。火焔の中で胸に三角の印があり、珠と水瓶を持っている。その左方の閻魔王(冥界の王マヤ)は棒を持ち、水牛に座って、刀を持つ羅刹(鬼神)や縛り縄を持つ龍を従えている。東方には須弥山(世界の中心の山)の頂にいる帝釈天(インドラ神)を、その左方に太陽神スールヤなどの日天たちを置く。西方には諸々の地神や、河の女神サラスヴァティー(弁才天)とヴィシュヌ神(毘紐天)と風神ヴァーユと月神チャンドラ、西の両側には龍王のアーナンダ(難陀)とウパナンダ(跋難陀)を描きなさい』

[外金剛部院の構成]

胎蔵生マンダラの大外枠にある外金剛部院(げこんごうぶいん)には、仏に帰順して仏法を守護するヒンドゥー教の神々などが配置されている。大日経の儀軌(ぎき)では、他の院より先に外金剛部の神々の名を挙げているが、その意図は不明である。上記の神の他にも十二宮や宿曜星など星座の神々、鬼神や阿修羅など、合計すると202ほどの数の神々が描かれている。なお、外金剛部院はその尊数があまりにも多く、図で解説するには構成上、無理を生じるのでここでは省かせて頂く。

『次に第三院(釈迦院の上)の文殊院には、この上なき幸いを齎らす文殊菩薩(マンジュシュリー)を描きなさい。その体は鬱金色(濃い黄色)で、五つに髪を束ね(髻:もとどり)、その上に冠を被り、左手に青い蓮華を持ち、白蓮華に座っている』

[文殊院の解説]

「文殊院(もんじゅいん)」には、文殊菩薩を中尊として、門内には観自在菩薩(左上)と普賢菩薩(右上)が、左右の下には対面護門という門衛が小さく描かれている。その門の左側には文殊菩薩の眷属である八大童子のうちの三童子と月光菩薩、妙音菩薩、左端には音楽神であり香の神である乾闥婆(ガンダルヴァ)とその周りを囲むように小さく四人の妹達、アジター、アパラージター、ジャヤー、ビジャヤーが描かれ、門の右側には八大童子のうちの五童女と鉤召使者達が描かれている。計25尊。

『右方(金剛手院の右側の除蓋障院)には、如意宝珠を持つ除一切蓋障菩薩(じょいっさいがいしょうぼさつ)と施一切無畏菩薩(せいっさいむいぼさつ)と除一切悪趣菩薩(じょいっさいあくしゅぼさつ)などの八菩薩を描きなさい』

[除蓋障院(じょがいしょういん)の構成]

「除蓋障(じょがいしょう)」とは、障害という蓋(ふた)を除くということで、生きとし生けるものの煩悩や苦しみを取り除いてくれる菩薩たちの院。除蓋障菩薩(上から五番目)を中尊として、合計9尊で構成されている。

『また北方(蓮華部院の左側の地蔵院)には、地蔵菩薩を描きなさい。この菩薩には宝掌(ほうしょう)、宝手(ほうしゅ)、持地(じち)、宝印手(ほういんしゅ)、堅意(けんい)などの菩薩たちが従っている』

[地蔵院の構成]

地蔵菩薩は地下に膨大な宝の蔵を内蔵し、大地にしっかり根差して生きとし生けるものをすぐ近くで救済する菩薩である。上から五番目の地蔵菩薩を中尊として、計9尊の眷属の菩薩が配置されている。

『また龍の方角(西方:持明院の下の虚空蔵院)に虚空蔵菩薩を描きなさい。白衣を着て炎の光を発する刀を持ち、多くの眷属を従えている。

以上が大悲胎蔵生マンダラの諸尊の配置である』

[虚空蔵院の構成]

虚空蔵菩薩(サンスクリット名アーカーシャ・ガルバ)は、広大無辺の智慧の蔵を内包する菩薩であり、大宇宙のあらゆる知識を蓄える、いわば宇宙の記憶データ管理システム。我々に直観力を与えると同時に、様々な智慧の恩恵を齎らす菩薩である。虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱える「虚空蔵菩薩求聞持法(こくうぞうぼさつぐもんじほう)」は、記憶力を増大させる効力があるとされ、弘法大師空海もこれを修したことで有名である。この虚空蔵菩薩を主尊とする「虚空蔵院」は、上下二段あるうちの上段に、菩薩の修行徳目である「十波羅蜜(じゅうはらみつ)」を尊格化した十波羅蜜菩薩が並び、左下段には観自在(観世音)菩薩の変化形の菩薩たち、左端に大きく描かれているのは二体の飛天を従えた千手千眼観世音菩薩(せんじゅせんがんかんぜおんぼさつ)である。これらは虚空蔵菩薩の智慧を表現している。右下段には虚空蔵菩薩の眷属菩薩が五尊、そして右端に大きく描かれているのが二体の飛天を従えた一百八臂金剛蔵王菩薩(いっぴゃくはっぴこんごうざおうぼさつ)である。百八の腕に金剛を持つ菩薩で、左端の千手千眼観世音菩薩と対極して智慧の門を表している。合計26尊。

なお、大日経の儀軌(ぎき)には記述されていないが、虚空蔵院の下には「蘇悉地院(そしつじいん)」が置かれている。上の絵の一番下の一列である。蘇悉地(そしつじ)とは、サンスクリット語ス・シッディーの音写で、「勝れた悟りの完成」という意味。十一面観世音菩薩や、孔雀明王の菩薩形である孔雀王母菩薩など、利他行を完成させる菩薩の院と言われている。

以上が大悲胎蔵生マンダラの構成である。大日経の儀軌(ぎき)には、かなりアバウトな記述しかないものを、ここまで精緻なマンダラ図として完成させた恵果の功績は大きいが、しかし総数およそ400尊という膨大な尊格を描くにあたって、なぜこの院にこの尊がいるのか、その意味がよく解らないものも多く、また重複や矛盾を孕んでいる部分も多い。だからといって、この現図マンダラの評価を下げるのはあまりにおこがましい。マンダラは「悟りの宇宙世界」である。永遠に流動変化する大宇宙の創造エネルギーを表現したものである。それを表現するには悟りの境地に至ったものでなければ成し得ない。恵果阿闍梨がまさにその人であり、その師である不空三蔵も、善無畏三蔵も、もちろん弘法大師もその人である。我々のような未だ低次元の汚泥の中で溺れ喘いでいる凡俗には、マンダラを創造する智慧もなければ、ましてやそれを批判するレヴェルにもない。まず偉大な先人が感得した「悟りの宇宙世界」をそのまま自分の心の世界として受け入れ、マンダラと一体になることを目指し努力すること、それが我々が次の世代に「悟りの輪」を繋げることになると、わたしはそう思っている。

さて、だいぶ長い余談になったが、この次から「入曼荼羅具縁品第二」の第二幕が始まる。第一幕は、最初のところで説明したように、マンダラの作製を中心とした阿闍梨の心構え、またどんな人をマンダラに入れるべきか、つまりどんな人を真言行道の弟子にするべきかの教え等を中心にしたものだったが、果たして第二幕はどんな教説なのか、ワクワクしながら見てゆこう。

<入曼荼羅具縁真言品第二之余の解説>

「余」とは、余りということだが、いわゆる入曼荼羅具縁真言品第二の付録的な部分になる。ただし見逃してはいけない、梵字に関する重要な教えが説かれている。では、さっそく解説に入ろう。

『その時、大日如来さまは、速やかにすべての如来たちと一体になって生きとし生けるものを救済する瞑想(一切如来速疾力三昧)にお入りになり、再び執金剛秘密主(金剛薩埵)にこうお告げになりました。

秘密主(金剛薩埵)よ。我は昔、悟りの道場において様々な魔を退け、彼らを改心させること(調伏)によって、生きとし生けるものの恐れを除いた。すべてのものは本来、[エネルギーそのものであるから]永遠不滅であることを悟り、言葉による理解を超越して、生まれ変わり死に変わりするという宿命(輪廻界)を脱却した。そして「空」とは「なにもないこと」であると知り、この如来の智慧によってすべての無知の闇を消し去ることが出来た。六つの悪しき世界(六道)に生まれ変わり死に変わりする輪廻という考えは、実はただの妄想に過ぎず、仏の姿もまた妄想でしかない。これがまず一番重要な真実であり、それらのことを教え諭し世の生けるものを救うために、我はエネルギーを注入(加持)した文字(大日如来の生命エネルギーを吹き込まれた文字=呪力を秘めた聖なる文字)を、今ここに解き明かすものである。

秘密主(金剛薩埵)よ。世間で言われている因果応報の原理(原因と結果の法則)や、カルマ(業)が生まれたり滅したりするという法則は、みな他の神、すなわち(ヒンドゥー教の)主神であるブラフマー神(梵天)やシヴァ神(自在天)の教えである。それは俗世レヴェルの教説である。

秘密主よ。梵字(呪力を秘めた聖なる文字)は、(バラモン教の)インドラ神(帝釈天)の教えから始まっている。例えば「オーム」や「フーム」などは仏の智慧を表す言葉であり、「ナマス」や「スヴァーハー」などは瞑想状態を表現する言葉である』

こうして大日如来は梵字の意味を解き明かし始める。梵字とはいわゆるサンスクリット語の文字のことで、インドにおいて聖語とされている文字である。紀元前2000年前後にインドに侵攻したアーリア人によって形成されたバラモン教は、その聖典をヴェーダと言い、それは紀元前1500年前後から数世紀に渡って説き記されてきた。そのヴェーダに使われていた文字がサンスクリット文字である。だから大日如来はここで、梵字の始まりをバラモン教の主神であるインドラ神(帝釈天)の教えであると説いているのである。我が国では、この梵字を悉曇(しったん)文字と呼ぶことがあるが、これは紀元6世紀から9世紀に中インドで流行ったブラフミー文字(ブラフマン神が作った聖なる文字という意味)が、中国大陸を経由して日本にもたらされたもので、それは「シッディー」すなわち「完成」を意味し「悟りを完成させる聖なる文字」として、特に密教では神聖視されている。漢訳仏典では真言や陀羅尼や種字(梵字一文字でブッダの悟りを表すこと)を音写、つまり音を漢字に当てはめたものだったが、現在の日本密教では、真言や陀羅尼や種字は悉曇文字で書くのが正規とされていて、それほど悉曇文字は聖なる文字として崇められていることになる。この文字は複雑な経緯を辿って日本にもたらされていて、また日本においても改変され、さらに伝授によって書き方がそれぞれ違うため、普通の語学を学ぶように単純にはいかない。これも密教の奥深いところ、と言うべきかも知れない。

それはともかく、大日如来は梵字の説明に入る前に、とても重要なことを語っている。自分は昔、魔を退けて悟りを開き、それによってあらゆる恐れを克服した。それはどうゆうことか。あらゆるものは本来、エネルギーそのものであるから、実体や形状は心が作り出した現象に過ぎず、つまり幻影なのである。魔も恐怖も幻影であり、だから恐るものは何もない。そもそも宇宙はエネルギーそのものであるのだから、「空」すなわち「なにもない」のであり、従って六道輪廻の教説も因果の法則も業のあるなしも、それは世俗を教化するための神さまレヴェルの仮の教えであり、それらはすべて妄想に過ぎない。そしてブッダの姿を見ることもまた妄想なのである。これがあらゆる無知の暗闇を消し去る如来の真実の智慧なのである、と要するにこういうことを大日如来は説かれたのである。大日経の第一章の教理部門である「入真言門住心品」には、このことが微に入り細に渡り説かれているので、まず「入真言門住心品」の解説から読んで欲しいのだが、あなたもわたしも如来さまも、みんな生命エネルギーそのものなのだから、そこには何の違いもない。だからブッダのお姿を崇め奉ることも本来は必要ない。なぜならブッダはエネルギーそのもので、もともと姿などないのだから。むしろあなたもわたしもみんなブッダなんだから、最も崇め愛さなければならないのはあなた自身であり、それと同時にこの宇宙のいっさいがっさいのすべてのものなのだ。それがすなわちブッダの智慧なのである。要約すると、こういう教えを大日経は説いているのである。そしてその密教の悟りにとって重要なのが梵字(悉曇文字)ということ。

以下、大日如来が例を挙げている梵字を解説しよう。なにせ自筆なので下手クソなのはご了承ください。まず「オーム」であるが、これは日本では「オン」と発音する。真言の冒頭につけるのが常道で、意味そのものはない。唱える時は、宇宙のエネルギーを取り込むようなイメージを持てばいい。

次が「フーム」である。日本では「ウン」と発音する。真言の最後につける場合があり、エネルギーを強く閉じ込めるイメージで唱えると良い。

次の「ナマス」は日本では「ノウマク」と発音する。不動明王真言の冒頭で唱える。明王は呪文の王であるから、言葉によって呪力を引き出すようなイメージで唱えると良い。

次の「スヴァーハー」は日本では「ソワカ」と発音する。真言の最後につける場合が多い。特に観音菩薩の真言の最後にあり、柔らかく優しく包み込むイメージで唱えると良い。

以上が「オーム」「フーム」「ナマス」「スヴァーハー」という梵字の解説であるが、実はこの後に大日如来は34字もの梵字の解説をしている。キリがないのでここでは割愛するが、ただ、真言宗にとって最も重要な梵字である「ア」字だけはどうしても説明しておかなければならない。以下が「ア」字である。大日如来はこの「ア」字を、大宇宙のありとあらゆるものの本源であり、すべてを生み出す永遠不滅の生命エネルギーのポータル(入口)であると説かれている。要するに「ア」字は大日如来のことを指していて、つまりこの「ア」字が大日如来の種字ということになる。

次に大日如来は、マンダラの供養の仕方について説く。供える花は白蓮、黄蓮華、紅蓮、青蓮華、茉莉花(まつりか)など。香には沈香、松香、白檀など。乳酪、砂糖餅、果物などの供物を捧げ、香油で満たした灯火を並べて、香水を入れた水瓶を置き、諸尊にきれいな布を献じるなど、実に細かな指示を出している。それほどマンダラは敬うべきものだということ。そしてこのようにマンダラを供養した後、入門する弟子に浄水を注ぎ、塗香と花を与える。そうしたら阿闍梨は法界生印(ほうかいしょういん)という印を結び、その後に法輪印を結んで、弟子に金剛を持つものたる資格を与えるためのエネルギーを注入(加持)する。次に諸仏に対してこの儀式を行うことを請願し、布を三度たたんで弟子の顔を覆い、梵字の「ラ」字をその額に書く。こうして準備が整ったら、弟子をマンダラの前に立たせ、手にしていた花をマンダラに向かって投げさせる。それが落ちたところが彼の本尊となる。いわゆる投華得仏の儀式である。それが終わったら、弟子をマンダラの外金剛部の二大竜王(アーナンダとウパナンダ)の門の間に立たせ、諸仏と縁を結ぶための灌頂の儀式を執り行う。今でいうところの結縁灌頂(けちえんかんじょう)である。

こうした一連の入壇作法を終えた後に、阿闍梨による護摩(ごま)の祈祷が始まる。マンダラの中に炉を掘って護摩壇を作り、阿闍梨の右側に護摩の法具を置き、左側に弟子を蹲踞(そんきょ:腰を落として立て膝にした座り方)させる。阿闍梨は香水(こうずい)で周囲を洒水(しゃすい:散枝で撒くこと)し、招き入れる火光尊(不動明王など)をイメージしながら次の真言を唱える。

ノウマクサーマンダ ボダナン アギャノウエイ ソワカ(十方諸仏に帰依し、火を供え奉る)

その後、阿闍梨は弟子の手を取りながら護摩を焚く。というのが大日経の説く護摩祈祷の作法である。だいぶ簡略されているし、現代の護摩祈祷とはかなりの違いがある。マンダラの中に護摩壇を作ったり、そもそも弟子の手を取りながら護摩を焚くなど、現代ではありえない。おそらく当初は極めて素朴な儀式だったのだろう。護摩はもともとバラモン教の「フーマ」という火によって神々に供物を捧げる儀式で、それを密教が採用したもの。野外で行うのが通常であり、即席に炉を掘り、簡素に修法していたのだと思われる。複雑化した現代の護摩よりもシンプルに想いが伝わるように感じるのはわたしだけだろうか。それはともかく、この護摩の作法の説明で「入曼荼羅具縁真言品第二」が終了する。阿闍梨の資質から始まり、弟子の選び方、マンダラの作成手順、梵字の解説、弟子をマンダラに招き入れる作法、そして護摩祈祷と、この第二章は密教の基本を多岐に渡り説明している重要な箇所である。ぜひとも何度も読み返して理解を深めて欲しい。

「大日経を読み解く」儀軌部門の解説 1

<終了>

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