威徳山金剛寺 密教の真髄

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「金剛頂経を読み解く」解説(前編)

 [タイトルの説明]

金剛頂経(こんごうちょうきょう)は「十八会(え)十万頌(じゅ)」と言われる膨大な経典群である、とされている。「会(え)」は、「集会(しゅうえ)」の意味であり、仏菩薩を中心に、明王や諸天などの諸尊が集まっている状況を表現している。要するに、曼荼羅(マンダラ)が表現された経典である、という意味で「会(え)」と呼んでいるのである。曼荼羅(マンダラ)については後に詳しく解説するが、「集会(しゅうえ)」は、決して人が集まるなんかの集会(しゅうかい)ではないのでお間違いなく。「頌(じゅ)」はシュローカと呼ばれる定型詩の形式で書かれていることを意味している。詩とはそもそも文章を読むことではなく、言葉に発して唱えるものだから、当時はおそらく師匠を中心に、弟子たちみんなで、それこそ歌うように唱和したことだろう。光景が目に浮かぶようである。

金剛頂経を中国に初めて紹介したのは金剛智であるが、本格的に翻訳したのは金剛智の弟子であり、密教の最大の立役者である不空である。彼がインドから唐に持ち帰り翻訳したのが「十ハ会」のうちの最初の会、つまり初会(しょえ)のうちの第一章である「金剛界品」の金剛界大曼荼羅を説いた部分だけある。後の部分のサンスクリット原本は紛失して無くなってしまったのか、そもそも不空が中国に持ち込んだのは彼が訳出した部分だけだったのかは解らない。で、後に施護が初会金剛頂経(真実摂経ともいう)を全訳したが、チベットには真実摂経のチベット語訳もサンスクリット原本も存在していて、この施護訳はこれらにほぼ対応しているとのこと。

ただし、金剛頂経は「十ハ会十万頌」という膨大な経典群である、というのは、不空が漢訳した「金剛頂瑜伽十八会指帰(こんごうちょうゆがじゅうはちえしいき)」に紹介されているだけで現存するものはなく、そもそも「十ハ会」は存在しなかったのではないかと言われている。あるいは師から弟子へ口伝として継承され、秘匿され、経典としては成文化されなかったのかも知れない。密教には大いにあり得ることである。

いずれにしろ、不空の孫弟子の空海が日本に持ち帰ったのが、不空が漢訳したこの「初会金剛頂経金剛界品第一」の最初の部分である大曼陀羅が説かれた三巻本で、これを我が国では通常、「金剛頂経」と呼んでいる。

さて、我が国で金剛頂経と呼ばれている不空訳の正式名称は「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(こんごうちょういっさいにょらいしんじつしょうだいじょうげんしょうだいきょうおうきょう)」という。とんでもなく長いタイトルである。

「堅固不滅に光り輝くダイヤモンドのような悟りの頂点を極めたすべての如来の真実を集めた、生きとし生けるものをすべて悟りの世界に導くところの、その証を現した修法の遣り方の王たる教えを説いた経典」

という訳になる。これじゃあ返って解りづらくなった、と思われるのはイヤなので、ひとつひとつ見てゆく。

「金剛」は、サンスクリット語「ヴァジュラ」の訳で、ダイヤモンドを意味しているが、ただしダイヤモンドそのものではない。永遠不滅に光り輝くダイヤモンドのような存在のことで、ダイヤモンドはその象徴として仮に引用されたもの。密教においては、最も重要なワードで、経典には頻繁に現れ、形容詞として名詞の頭にくっ付けるのが常套手段。密教の法具は金剛杵や金剛鈴や金剛盤など、金剛を頭に付けたものばかり。そもそも密教はサンスクリット語で「ヴァジュラ・ヤーナ」であり、金剛乗と訳される。それほど金剛は密教そのものを象徴した存在なのだと言える。では、改めて密教における金剛の意味は、と言うと、それはわたしたちの心の本質のことである。心は本来、何ものにも壊されることがなく不滅であり、永遠に光り輝き続ける。それは心がすなわち宇宙そのものだからである。宇宙そのものとは大日如来のことであり、この永遠に輝き渡る光のブッダが、そのままわたしたちの心だと言うことになる。つまり、わたしたちはすでに悟っている存在なのだ。言ってしまえば、金剛とはわたしたちの心の内にある悟りのエネルギーのことである。そう捉えると、密教の本質が見えてくる。解りづらいかも知れないが、このことは本経の解説を通して理解されるようになると思う。「金剛頂」とは、だから「永遠不滅に光り輝く悟りの頂点」と訳すことが出来る。

次の「一切如来」は、すべてのブッダのこと。この大宇宙には次元を超えて数え切れないほどのブッダがいる。わたしたちに見えないのは、わたしたちがまだ「悟っている」ことに気づいていないからで、それに気づきさえすれば、すぐにも「一切如来」の一員だ。詰まるところ、すべては大日如来なのだから、「一切如来」は大日如来のことだ、とも言える。大日如来の分身と表現してもいいかも知れない。であるとしたら、この大宇宙に存在するありとあらゆるものは、すべて大日如来ということになる。これに気づくことが、つまり密教的な悟りということ。

次の「真実摂大乗現証」は、この一切如来の「真実を証して現した大乗(の教え)を集めた」となる。「大乗」は「大きな乗り物」の意味で、「大きな船に乗って、みんなでいっしょに悟りの世界(彼岸)に渡りましょう」という大乗仏教のスローガンである。と同時に、密教は紛れもなく大乗仏教なのだ、と主張している側面もある。それは、ともするとそう見られないところが密教には確かにあり、その批判を払拭する意味も込められている、と見るのはあまりにも穿ち過ぎだろうか。「現証」は、その真実の大乗の教えを実証することで、「摂」は「集める」ということ。要するに、一切如来の真実の大乗の教えを実証したものを集めたのが「金剛頂経」である、ということ。

最後の「大教王経」が、実はこの経典の主眼である。「偉大な教えの王である経典」とそのまま訳せばそれまでだが、サンスクリット語で原本は、ここが「カルパ王」となっている。「カルパ」とは儀軌(ぎき)のこと。儀軌(ぎき)とは、曼荼羅(マンダラ)を描く時の心構えだったり、その時の真言や印の結び方だったり、阿闍梨、つまり密教の先生が弟子を曼荼羅(マンダラ)に入れる時の作法だったり、弟子に教える心構えや印や真言や観想、または灌頂(かんじょう)の仕方などなど、いわゆる密教の儀式における修法全般のマニュアルのことである。これはもともとバラモン教のベーダ聖典における儀式の修法マニュアルを意味していたが、密教がそれを取り入れ、密教ならではの独自性を持たせたものである。つまり「金剛頂経」は、儀軌(ぎき)が説かれた経典ということになる。こうした儀軌(ぎき)が説かれた経典をサンスクリット語ではタントラという。タントラは往々にして左道(要するにセクシャルな要素が入った)的な教えであるとして眉を潜められることがあるが、ただし、実際にかなりセクシャルである。具体的に儀軌(ぎき)に説かれているその修法のある面は、ちょっと口外出来ないような内容の部分もある。だから秘密にしなさい、ということで密教なのだ。と単純には言い切れないのが密教の奧深いところなのだが、この点は本経の解説でおいおい明らかにしてゆく。要するに「金剛頂経」は、すべての如来たちの叡智を集めた最上の密教修法のマニュアル本ということになる。

なお、真言宗の常用経典である理趣経(りしゅきょう)は、金剛頂経経典群「十八会」の中の第六会「大安楽不空三昧耶真実瑜伽(だいあんらくふくうさんまやしんじつゆが)」を短略化したもので、だから理趣経(りしゅきょう)を理解するためには、まず金剛頂経を理解していなければ話にならない、ということになる。この点は理趣経の解説で詳しく述べるつもりだが、とにかく真言密教にとって、金剛頂経は大日経と並ぶ最重要経典であり、この二経は「両部の大経」としてこの宗派の思想の中核をなしていることは是非とも頭に入れておくべきである。

なおこの金剛頂経の現代語訳の読み下し文は、津田眞一氏の著作「金剛頂経」(東京美術刊)に大いに依拠していることを明記しておかなければならない。様々な訳文や解説文を読んだが、どれも納得出来ずに悩んでいたところ、この津田氏の著作に巡り合い、目から鱗となった。津田氏は不空が初会金剛頂経「金剛界品」の大曼荼羅の儀軌部分を訳した三巻の漢訳本、つまり「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」、すなわち日本で金剛頂経と呼ばれている部分を、チベットに残るサンスクリット原典をベースにして翻訳しているので大変解りやすかったが、それを他の資料を参照しながら自分なりにさらに読み易く改良したのが本作となる。仏教の経典、特に密教経典を読み解くには、それなりに用語を知識として頭に入れ、それだけではなく、瞑想を通した直観を養うことが体験的に必要になる。経典を読むことも修行なのだ、という認識を持って、本作を読んで頂ただければ幸いと思う次第である。

[曼荼羅(マンダラ)の説明]

まず本経の解説をする前に、どうしても説明しておかなければならないのが「曼荼羅(マンダラ)」である。何しろ、金剛頂経は前述したように金剛界大曼荼羅(マンダラ)のマニュアル本だから、そもそも曼荼羅(マンダラ)がなんであるかが解らなければチンプンカンプン状態に陥いる。

そこで「曼荼羅(マンダラ)」とは何かということだが、ひと言で言えば「悟りの宇宙世界」ということ。それをこれから説明してゆこうと思う。「曼荼羅(マンダラ)」はサンスクリット語でもマンダラだから、この言葉の音に漢字を当てはめただけである。これを音写というが、この音写されたものには、曼陀羅とか曼茶羅とかと色々あり、その漢字には意味は全くないので、どれでも好きな漢字を使ってかまわない。漢字にするとなんか意味が深いものであるかのような印象を受けるが、それがそもそもの間違いであり(過去の賢学たちもそれに随分惑わされてきたが)、もっと簡単かつ単純に理解していいものも密教用語にはたくさんある。だから、ここではこれから、漢字を使わずにカタカナで「マンダラ」と書くようにする。で、この「マンダラ」の意味だが、「マンダ」は本質とか真髄ということ。「ラ」は接尾語で「〜を所有する」という意味。直訳すれば、「本質を所有する」ということである。では何の本質を所有するのかと言えば、それが「悟りの宇宙世界」ということになる。「悟りの宇宙世界の本質を表現したもの」が「マンダラ」ということ。ただし、宇宙は宇宙でも我々が見ている宇宙ではなく、我々のような三次元の物質世界にベッタリと張り付いて、煩悩だらけで俯きながら目先のことに一喜一憂しているような凡俗には逆立ちしても見えない、高次元の悟りの宇宙のことである。まず「マンダラ」とはそうゆうものだと理解してください。

ちなみに、前回の『大日経を読み解く』ではあえて説明していなかったが、「大日経」もタントラ、つまり密教修法のマニュアル本である。そのマニュアルに従って描かれたのが「胎蔵界(たいぞうかい)マンダラ」である。正確には「大悲胎蔵生マンダラ」というが、それはこれから説明する「金剛界マンダラ」と一対として、真言密教では「両界マンダラ」と名付けられて最も重要視され、真言密教の修法の中核となっている。と、口で説明してもコンガラガるばかりだから、まず両界マンダラを絵で見てみよう。向かって右が胎蔵生マンダラ、左が金剛界マンダラである。

見づらいだろうが、雰囲気で確認して欲しい。とりあえず今は、なんか仏さんの絵がたくさん描いてあるなあ、という感覚でいいです。そう、要するに仏さんの絵がたくさん書いてあるのがマンダラだと、最初は思ってもらえばいい。この絵が「悟りの宇宙世界を表現したもの」である。

今度はその構成を見てみよう。「大悲胎蔵生マンダラ(胎蔵生マンダラ)」の「胎蔵」は、母親の胎内のことであり、その胎内から宇宙の根源である大日如来が生まれ、その大日如来が拡散するように悟りの宇宙を形成してゆく。その構造を表現しているのが「胎蔵生マンダラ」ということになる。ビック・バンによって宇宙が形成されてゆくのをイメージをしてもらえばいい。その構造はこうである。

「中台八葉院」には、その中心に大日如来が蓮の華の上に座り、東(上)には宝幢(ほうとう)如来、南(右)には開敷華王(かいふけおう)如来、西(下)には無量寿如来(阿弥陀如来)、北(左)には天鼓雷音(てんくらいおん)如来の四仏が、西南(左斜め下)には普賢菩薩、南東(左斜め上)には文殊菩薩、東北(右斜め上)には観自在菩薩、北西(右斜め下)には弥勒菩薩が、中央の大日如来を囲むように蓮華の花弁の上に座っている。この五仏と四菩薩が胎蔵生マンダラの中心となる。そしてその「中台八葉院」の外側に向かって放射線状に広がるように、各院の中にたくさんの菩薩や手金剛(金剛を持つ菩薩)や明王が整然と描かれ、さらに外金剛部院(四角い外枠の中)には、ヒンドゥ教の神々や恐ろしげな鬼神たちがいる。彼らは仏法を護る護法神として描かれている。見て解るように、このマンダラはお城のような構造をしている。悟りの宇宙世界を[仮に]お城の形で表しているのである。で、当然、悟りの宇宙は凡俗には到底見えない。悟ってなければ見えないんだから、それでは生きとし生けるものを悟りに導くことが出来ない。なにしろこのマンダラは「大悲胎蔵生」なんだから、大日如来が生まれたのは、生きとし生けるものを大きな慈悲によって救うためであり、だから大日如来は、あえて[仮に]その高次元の悟りの宇宙をお城の形で誰にでも見えるように描いて見せた、と思ってもらえばいい。従って、マンダラの中に描かれている諸仏諸菩薩諸明王や天部の神々も、みんな高次のエネルギー体だから姿形はない筈だが、我々のような凡俗にも見えるように[仮に]こうして仏さんの姿で描かれていることになる。

このようにマンダラとは、見えない悟りの宇宙世界をあえて見えるように描いたもの、と言っていい。よく勘違いするのは、キリスト教やユダヤ教やイスラム教という一神教が批判する、神は我々には見えない至高の存在だから、神仏の尊像を崇め奉るのは偶像崇拝だ、という主張だが、少なくともマンダラは、崇め奉るために描かれたのではなく、密教行者が瞑想状態に入り、そのマンダラを儀軌(修法のマニュアル)に従って描くことにより、自らを悟りの宇宙に融合させることを目的としているのである。または、描かれたマンダラを見つめながら瞑想状態に入り、マンダラと一体となることで悟りを開こうとする修行でもある。つまり密教修行のためのアイテムがマンダラだということ。マンダラは密教修行の瞑想アイテムだから、こんなにたくさんの仏さんが描かれていなくとも、少数の仏菩薩でも、たとえ一尊しか描かれていなくとも、それがマニュアル本(タントラ)の儀軌(カルパ)に従って描かれているのなら、すべてマンダラである。ちなみに偶像は英語でアイドルと言い、古くは旧約聖書に記されているが、ヲタクがアイドルちゃんたちを神聖視して崇め奉り、CDやグッズをありがたがって幾つも購入するのは偶像崇拝になるからよろしくない。あくまでも頑張っている彼女たち彼氏たちを応援する気持ちで、あまり入れ込まない方がよろしいのではないか、とは全くの余談である。失礼しました。胎蔵生マンダラの詳しい説明は、機会があれば「大日経」の儀軌部分の解説の折にするので、今回はこのくらいにしたいと思う。

さて、次は肝心の金剛界マンダラの説明に移る。金剛界マンダラは次の通りである。

胎蔵生マンダラとは、だいぶ趣きが違うのが解るだろう。以下にその構成を記しておく。

このように、金剛界マンダラは九分割されていて、各部屋それぞれに名前が付けられている。最後に「会(え)」がついているのは、前述したように仏さんたちの「集会(しゅうえ)」を意味していて、つまりひとつずつが独立したマンダラであることを示している。従ってこれを全体で「金剛界九会マンダラ」とも呼ぶ。

これらは初会金剛頂経の第一章の「金剛界品」と第ニ章の「降三世品」に説かれた儀軌に従って描かれたもので(前述のように理趣会は別だが)、独立してはいるがみなすべて関連したマンダラなのである。その関連性は、中央の成身会(じょうしんね)から下の三昧耶会(さんまやえ)へ、三昧耶会から左の微細会(みさいえ)へ、微細会から上の供養会(くようえ)へ、供養会から上の四印会(しいんえ)へ、四印会から右の一印会(いちいんえ)へ、一印会から右の理趣会(りしゅえ)へ、理趣会から下の降三世会(ごうさんぜえ)へ、降三世会から下の降三世三昧耶会(ごうさんぜさんまやえ)へというように、中心から「のの字」を描くようになっている。これは何かと言えば、大日如来が我々を悟らせるために、高次元から低次元に向かって変化しながら次第に下降してゆくプロセスを描いている、と言われている。これを「下降門」という。また逆に、降三世三昧耶会から正反対のルートを辿って成身会に行き着くというパターンもある。これは我々が修行によって低次元から大日如来の高次元に上昇してゆくプロセスである。これを「上向門」という。つまり密教修行者が、大日如来の宇宙である高次元世界から我々の次元の世界へ、逆に我々の次元の世界から大日如来の高次元宇宙世界へ、という下降と上向の両方のプロセスを交互に辿りながら瞑想修行をする、そのためのアイテムとして描かれたのが金剛界マンダラということになる。決して美術鑑賞用だったりインテリアに使うものではないので、その点はくれぐれもお間違いのないように。

そしてこの九会マンダラの中心にある成身会(じょうしんね)こそ、不空訳「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」の儀軌に説かれた金剛界大マンダラである。すなわち初会金剛頂経の中核を成しているのが、この金剛界大マンダラであり、他の八つのマンダラはその変化形態と言っていい。そして、この金剛界大マンダラの構造を理解していなければ、金剛頂経を読み解くことは出来ないということになる。そこで、この成身会(じょうしんね)こと金剛界大マンダラを解説しよう。

{五智如来}

1・・・大日如来※ 

2・・・阿閦如来※ 

3・・・宝生如来※ 

4・・・観自在王如来(阿弥陀如来)※

5・・・不空成就如来※

{十六大菩薩}

<阿閦如来の四親近菩薩>

6・・・金剛薩埵※ 

7・・・金剛王菩薩※ 

8・・・金剛喜菩薩※ 

9・・・金剛愛菩薩※

<宝生如来の四親近菩薩>

10・・金剛宝菩薩※

11・・金剛光菩薩※ 

12・・金剛幢菩薩※ 

13・・金剛笑菩薩※

<観自在王如来の四親近菩薩>

14・・金剛法菩薩※

15・・金剛利菩薩※ 

16・・金剛因菩薩※ 

17・・金剛語菩薩※

<不空成就如来の四親近菩薩>

18・・金剛業菩薩※ 

19・・金剛護菩薩※ 

20・・金剛牙菩薩※ 

21・・金剛印菩薩※

{四波羅蜜菩薩}

22・・金剛波羅蜜菩薩※

23・・宝波羅蜜菩薩※ 

24・・法波羅蜜菩薩※ 

25・・業波羅蜜菩薩※

{八供養菩薩}

<内(ない)の四供養菩薩>

26・・金剛嬉菩薩※

27・・金剛鬘菩薩※ 

28・・金剛歌菩薩※ 

29・・金剛舞菩薩※

<外(げ)の四供養菩薩>

30・・金剛香菩薩※

31・・金剛華菩薩※ 

32・・金剛燈菩薩※ 

33・・金剛塗菩薩※

{四摂の菩薩}

34・・金剛鉤菩薩※ 

35・・金剛索菩薩※ 

36・・金剛鎖菩薩※ 

37・・金剛鈴菩薩※

以上が金剛界大マンダラ三十七尊の配置である。なお、大きな円の外側の四隅には、西南(左斜め下)には火天、南東(左斜め上)には水天、東北(右斜め上)には風天、北西(右斜め下)には地天がそれぞれ配され、また四角い内枠の「外(げ)の四供養菩薩」と「四摂の菩薩」の間には、具体的な形では描かれていないが、賢劫千仏(けんごうせんぶつ)という無数のブッダがひしめき合っている。ただ、賢劫千仏のところが菩薩になったりするケースもあるので、この部分は不確定と見ていい。そして一番外枠には、東西南北に合計二十の神々がいる。まあ、とりあえず、金剛界大マンダラには、都合千六十七もの尊格がおられることになる。

ただし、上記の三十七尊以外は金剛頂経には記されておらず、天部の神々や賢劫千仏の描き足しは何かの伝統によるものなのか、製作者のアレンジなのか、単なるデザインなのか、はたまた密教行者が瞑想によって天から啓示を受けたものなのか、それは不明である。ともかく何よりも重要なのは三十七尊であり、これらの尊は金剛頂経の全体を構成するメイン・キャストになる。つまり大日如来がどのようにして、またどのような手続きを踏んで金剛界大マンダラを形成してゆくのか、それを明示するのが三十七尊ということである。だから、この金剛界大マンダラの配置図を頭に入れておかないと、金剛頂経を読み込むことは出来なくなるかも。

そして、本経の解説に行く前に、どうしても説明しておかなければならない重要なことがある。それは「四種マンダラ」という概念である。この解説文の冒頭で、マンダラは仏さんがたくさん描かれている絵だと、とりあえず言ったが、しかしそうではないマンダラも実は存在する。マンダラには、「大マンダラ」、「三昧耶(さんまや)マンダラ」、「法マンダラ」、「羯磨(かつま)マンダラ」の四種類が存在していて、「大マンダラ」は上の写真のように仏さんの姿が描かれたマンダラである。わたしたちがよく目にする一般的なマンダラが大マンダラと覚えておけばいい。

「三昧耶マンダラ」は、その仏さん特有の心の働きを、持ち物や印契(手を組み合わせて仏を表現すること)で象徴して描いたマンダラのことである。金剛界九会マンダラの「三昧耶会」は、上の絵の大マンダラ(成身会)を三昧耶形(さんまやぎょう)で表現したもので、仏さんの配置は大マンダラ(成身会)と全く変わらない。また「降三世会」と「降三世三昧耶会」の関係も同じである。ではまず「三昧耶」とは何か、ということであるが、実はその言葉にはいろんな意味を持たせていて、ひと言で説明するのは難しい。ただし、わたしの見解では「菩提心」を表しているのは間違いない。『大日経を読み解く』でも説明したように、「菩提心」は「悟りに至る心」あるいは「悟れる心」という意味であり、それはまたすべての如来が心に持つ悟りのエネルギーでもある。そしてそのエネルギーは普賢菩薩のエネルギーである。なぜかと言えば、普賢菩薩の真言と三昧耶戒真言は全く同じ「オン サンマヤ サトバン」だから。昔はなぜ普賢菩薩の真言と三昧耶戒真言が同じなのかが解らなかったが、金剛頂経を読み込んでみた時、その疑問は氷解した。この件は本経の解説のところで詳しく話すことになるが、「三昧耶マンダラ」とは、すべての如来や菩薩の心にある悟りのエネルギーを「三昧耶形」という形に象徴させて描いたマンダラである、とここでは定義しておくことにする。

「法マンダラ」は、言葉のマンダラである。仏さんそれぞれが持つ固有の言葉の力、すなわち真言の力を絵で表現したのが「法マンダラ」ということ。じゃあ、どうやって言葉を絵にするかとなると、やはり何かの形で象徴しなければならない。そこで考え出されたのが、金剛杵という法具の中に仏さんを入れてしまうことだった。金剛杵を言葉と仮定して、その言葉には仏さんの真言の力があることを象徴的に表現しようとした。なぜなら金剛は、悟りのエネルギーそのものだから。九会マンダラの微細会は、この「法マンダラ」の法則を受け継いでいるが、ただし金剛杵は仏さんが背負う形で描かれている。他にも仏さんが金剛杵を持っている形のものもあるが、弘法大師空海は、四種マンダラのうちの「法マンダラ」を、梵字ひと文字でその仏を象徴する、それを種字(しゅじ)と言うが、この種字によって描いたものとした。従って日本の場合、「法マンダラ」は種字で現されたものが多い。これを「種字マンダラ」という。なるほど言葉のマンダラなら、文字で描く方が理に適っている。さすが我らのお大師さまである。

最後の「羯磨(かつま)マンダラ」は、仏の活動を表現したマンダラである。羯磨はサンスクリット語の「カルマン」の音写。動きとか働きを意味している。この「カルマン」は「業」とも漢訳される。その場合は「カルマ」になる。仏の活動をどうやってマンダラにするか、ということだが、絵ではなく仏像として立体的に表現する方法が編み出された。二次元から三次元の転換である。なるほど仏像なら今にも動きそうな臨場感がある。日本の寺院には「立体マンダラ」という言い方で安置しているところもある。ただしチベット密教では、九会マンダラの微細会のように仏が金剛杵を背負うように描かれているのをそう呼んでいる。以上が四種マンダラの説明である。

じゃあ、なぜわざわざマンダラを四種類も分けなければいけないのか、という声が聞こえて来そうだが、それは「三密」の教理をマンダラで表そうとしたからである。「三密」は「大日経を読み解く」の解説でもさんざん話したように、ブッダの身体活動、言語活動、精神活動という三つの働きのことを言い、「身口意」とか「身語心」とか「身語意」とかと表現される。そのブッダの「身口意」と自らの「身口意」をひとつにして、具体的には手に印契を結び、口で真言を唱え、心でブッダとひとつになるイメージを抱くことによって、ブッダの霊エネルギーを自らに取り込み、悟りを開くことのみならず、高次の能力を得ようとする行を「三密加持」、または「三密瑜伽行」という、と話した。で、それをマンダラに応用しようとしたのが「四種マンダラ」の成立である。「三昧耶マンダラ」は心の働きとして、「法マンダラ」は言葉の働きとして、「羯磨マンダラ」は体の働きとして、行者はマンダラという悟りの世界とそのまま冥合するために、描いたり、図像の前で瞑想したりと、それらをアイテムとして使用したのだろう。なお、「大マンダラ」はこのブッダの「身口意」の全部の活動能力を持っているから「大マンダラ」と呼ぶ。マンダラは瞑想用アイテムである。まずそれを認識することがポイントになるだろう。さて、この長い長いマンダラの説明を踏まえた上で、いよいよ本経の解説に移ろうと思う。

「金剛頂経を読み解く」解説(前編)

【終】

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