「理趣経を読み解く」現代語訳
大楽金剛不空真実三昧耶経
般若波羅蜜多理趣品
大興善寺三蔵沙門大広智不空奉詔訳
<タイトルの分訳>
大楽・・大いなる快楽/無上のエクスタシー
金剛・・(ダイヤモンドのように)堅固で永遠の輝きに満ちた
不空真実・・虚しくない真実/嘘偽りのない真実
三昧耶・・悟りの境地
経・・経文・ブッダの教え
般若波羅蜜多・・悟りに至る智慧の完成
理趣・・真理へ向かう道
品・・章
<タイトルの全訳>
「大いなる快楽に至る、堅固で永遠の輝きに満ちた、嘘偽りのない真実の悟りの境地を示したブッダの教え」
「悟りに至る智慧の完成という、その真理へと向かう道の章」
「大興善寺の三蔵沙門である大広智不空が詔を賜わり訳し奉る」
[本文]
<序説の分訳>
如是我聞・・このように私は聞きました
一時・・ある時
薄伽梵・・世尊(ブッダ)
成就殊勝一切如来・・極めて勝れた悟りに至った全ての如来
金剛加持三昧耶智・・堅固で永遠の光に満ちた霊エネルギーを注がれた悟りの智慧
已得一切如来灌頂宝冠為三界主・・すでに全ての如来のブッダたる証しの宝冠を被った、三界(欲界・色界・無色界)の主
已証一切如来一切智智瑜加自在・・すでにすべての如来の一切智を極め悟りの境地を自由自在に出来る
能作一切如来一切印平等種種事業・・すべての如来のすべての印によって様々なことわりを平等にする能力を持ち
於無尽無余一切衆生界・・すべての生きとし生けるものの世界を余すところ無く
一切意願作業・・すべての願いを叶える
皆悉円満・・ことごとく皆、円満
常恒三世・・永遠に続く過去、現在、未来の三世
一切時身語意業・・すべての瞬間の身体、言葉、意識の活動
金剛大毘盧舎那如来・・堅固で永遠の光に満ちた偉大なる毘盧舎那如来(大日如来)
在余欲界他化自在天王宮中・・欲界の他化自在天王の宮中にある
一切如来常所遊処吉祥称歎・・すべての如来が遊び喜び称歎するところの
大摩尼殿・・大摩尼宝珠の宮殿
種種間錯・・その内部には様々な
鈴鐸繒幡微風揺撃・・金色の風鈴や薄絹の幡がそよ風にさやかに揺れ
珠鬘瓔珞半満月等而為荘厳・・宝珠の髪飾りや煌びやかな黄金の装飾、月を模った鏡などで 豪華に飾られた
与八十俱胝菩薩衆俱所謂・・八十億の菩薩の集団、いわゆる
金剛手菩薩摩訶薩・・金剛薩埵の異名。密教における最高位の菩薩
観自在菩薩摩訶薩・・観世音菩薩の異名。世の救済に特化した菩薩
虚空蔵菩薩摩訶薩・・虚空蔵菩薩。宇宙の叡智を内蔵する菩薩
金剛拳菩薩摩訶薩・・秘密金剛菩薩とも。如来の印契(事業、働き)を完成させる菩薩。胎蔵生曼陀羅では金剛手院、また金剛界曼陀羅では十六大菩薩の一尊
文殊師利菩薩摩訶薩・・文殊菩薩。慈愛の菩薩。未来仏とも称される
纔発心転法輪菩薩摩訶薩・・金剛輪菩薩とも。想いが起これば直ちに法の輪を廻す菩薩
虚空庫菩薩摩訶薩・・無尽の施しを内蔵する菩薩
摧一切魔菩薩摩訶薩・・外に憤怒の形相、内には憐みの心で一切の魔を粉砕する菩薩
与如是等大菩薩衆・・これら大菩薩衆(八大菩薩)を中心にして
恭敬囲繞而為説法・・(大日如来を)取り囲み、恭しく慎み敬う(菩薩衆に向かって)説法 した
初中後善文義巧妙・・(その教えは)初めも善く、中ほども善く、終わりも善く、内容は 極めて素晴らしく、巧妙で
純一円満清浄潔白・・純粋で欠けるところがなく、清らかで穢れないものだった
<序説の全訳>
このように私は聞きました。
ある時、世尊(ブッダ)ーーそれはすなわちーー極めて優れた悟りに至ったすべての如来が、堅固で永遠の光に満ちた悟りの智慧を頭上に灌ぐ(灌頂)ことにより、もはやすべての如来のブッダたる証の宝冠を被って三界(欲界・色界・無色界というすべての世界)の法王となり、さらにすべての如来のあらゆる智慧を極めて悟りの境地を自由に遊び、すべての如来が持つあらゆる作用の力によってすべてを平等にし、あらゆる生きとし生けるものの願いを余すところなく叶え、永遠に続く過去、現在、未来の三世の、その瞬間の身体、言葉、意識の働きをとどこおりなく円滑にするーー堅固で永遠の光に満ちた偉大なる毘盧舎那如来(大日如来)は、欲界の最上界にあたる他化自在天王の宮殿の中の、すべての如来が遊び喜び称歎するところの、種々様々な金色の風鈴や薄絹の幡がそよ風にさやかに揺れ、宝珠の髪飾りや煌びやかな黄金の装飾、月を模った鏡などが豪華絢爛にところ狭しと飾られた大摩尼宝珠殿において、八十億の菩薩衆、いわゆる金剛手菩薩、観自在菩薩、虚空蔵菩薩、金剛拳菩薩、文殊菩薩、纔発心転法輪菩薩、虚空庫菩薩、摧一切魔菩薩というハ大菩薩を代表格とした大集団が、恭しく慎み敬いながら周囲を取り巻く中、説法をされました。その教えは、初めも善く、中ほども善く、終わりも善く、お話の筋道も巧妙で、純粋で統一されていて欠けるところがなく、清らかで穢れなきものでした。
<初段 大楽の法門の分訳>
説一切法清清句文・・あらゆる事象のすべては清らかである、という経句を説く
所謂・・いわゆる
妙滴清清句是菩薩位・・性行為による恍惚感は、清らかであるから菩薩の境地である
欲箭清清句是菩薩位・・愛欲の矢を放つことは、清らかであるから菩薩の境地である
触清清句是菩薩位・・性的な接触は、清らかであるから菩薩の境地である
愛縛清清句是菩薩位・・愛欲による束縛は、清らかであるから菩薩の境地である
一切自在主清清句是菩薩位・・性行為によって得られる解放感や支配感は、清らかであるから菩薩の境地である
見清清句是菩薩位・・愛欲の眼差しを向けることは、清らかであるから菩薩の境地である
適悦清清句是菩薩位・・性的な悦楽感は、清らかであるから菩薩の境地である
愛清清句是菩薩位・・性愛の感情は、清らかであるから菩薩の境地である
慢清清句是菩薩位・・性行為によって慢心する感情は、清らかであるから菩薩の境地である
荘厳清清句是菩薩位・・異性を意識して外観を飾る行為は、清らかであるから菩薩の境地である
意滋沢清清句是菩薩位・・性行為によって満ち足りた気分に浸る感覚は、清らかであるか ら菩薩の境地である
光明清清句是菩薩位・・性行中の光り輝くような感覚(絶頂感)は、清らかであるから菩薩の境地である
身楽清清句是菩薩位・・肉体的快楽は、清らかであるから菩薩の境地である
色清清句是菩薩位・・色欲を齎らす事象は、清らかであるから菩薩の境地である
声清清句是菩薩位・・色欲を齎らす声や音は、清らかであるから菩薩の境地である
香清清句是菩薩位・・色欲を齎らす香は、清らかであるから菩薩の境地である
味清清句是菩薩位・・色欲を齎らす味は、清らかであるから菩薩の境地である
何以故・・それはいかなることか
一切法自性清清故・・あらゆる事象は、その本性に於いて本質的に清らかであるからである
般若波羅蜜多清清・・したがって悟りに至る智慧の完成そのものも清らかなのである
金剛手・・金剛手菩薩よ
若有聞此清清出生句般若理趣・・もしこの「すべては清らかである、という悟りを生み出す真理に至る智慧の経句」を聞くことあらば
乃至菩提道場・・悟りを目指す修行の過程において
一切蓋障・・智慧を封じるすべての障害
及煩悩障・・及び悪しき想いや行為による障害
法障・・誤った教えに影響を受けて正法を疎んじる障害
業障・・前世の因縁による障害
設広積習・・それらが広く深く蓄積しても
必不堕於地獄等趣・・決して地獄などの悪しき世界に落ちることはない
設作重罪消滅不難・・たとえ重き罪を犯そうとも、その罪を消し去ることは難しいことではない
若能受持日日読誦作意思惟・・もし日々、読誦し暗唱し、思い巡らせるならば
即於現生証一切法金剛三昧耶地・・この世は堅固で永遠の輝きに満ちた悟りの世界であることを、たちどころに悟るであろう
於一切法皆得自在・・さらに世界のすべてを自由自在に操り作り上げることが出来
受於無量適悦歓喜・・この上ない快楽と喜びを享受することが出来るであろう
以十六大菩薩生・・これにより、十六大菩薩生という境地に至り
獲得如来執金剛位・・如来並びに執金剛の悟りを得ることが出来るであろう
時薄伽梵・・この時、世尊(大日如来)に対し
一切如来大乗現証三昧耶・・すべての如来が体現した大乗の悟り(すべてのものを救い取る悟り)を得て
一切曼陀羅持金剛勝薩埵・・すべての曼陀羅(悟りの世界)において最も活躍し、堅固で永遠の輝きを獲得した人であり
於三界中調伏無余・・さらに三界(欲界.色界.無色界というすべての世界)に蔓延っている障害を余すところなくこらしめる力を持ち
一切義成就金剛手菩薩摩訶薩・・すべての真理を完成させた金剛手菩薩(金剛薩埵)は、
為欲重顕明此義故・・世尊の唱えた教えをさらに明確なものにしようと、
熙怡微笑左手作金剛慢印・・お顔に笑みをたたえながら、左手に金剛慢の印を結び
右手抽擲本初大金剛作勇進勢・・右手に五鈷杵を持って、勇ましく進む姿勢を見せながら
説大楽不空三昧耶心・・大いなる快楽に至る、虚しからざる悟りの心を(種字に表し)唱えた
ウン 金剛薩埵
<初段 大楽の法門の全訳>
「私は、これから、すべてのものは清らかである、という教句を説く。それはこのようなものである。
性行為による恍惚感は清らかであるから、菩薩の境地である。
愛欲の矢を放つことは清らかであるから、菩薩の境地である。
互いに触れ合い睦み合うことは清らかであるから、菩薩の境地である。
互いに抱きしめ合うことは清らかであるから、菩薩の境地である。
性行為によって得られる征服感は清らかであるから、菩薩の境地である。
愛欲の眼差しで相手を見ることは清らかであるから、菩薩の境地である。
性的な快感は清らかであるから、菩薩の境地である。
性愛の感情は清らかであるから、菩薩の境地である。
性行為によって慢心する感情は清らかであるから、菩薩の境地である。
異性を意識して外観を飾る行為は清らかであるから、菩薩の境地である。
性行為で満ち足りた気分に浸ることは清らかであるから、菩薩の境地である。
性行為中の光り輝くような感覚(絶頂感)は清らかであるから、菩薩の境地である。
肉体の快楽は清らかであるから、菩薩の境地である。
色欲を齎らす事象は清らかであるから、菩薩の境地である。
色欲を齎らす声や音は清らかであるから、菩薩の境地である。
色欲を齎らす香は清らかであるから、菩薩の境地である。
色欲を齎らす味は清らかであるから、菩薩の境地である。
それはいかなることであろうか。あらゆる事象は、その本性に於いて本質的に清らかであるからである。したがって、性愛も菩薩の境地となり、それを説く、悟りに至る智慧の完成も清らかなのである。
金剛手菩薩(金剛薩埵)よ。もしこの『性愛は清らかで菩薩の境地であること示す、悟りの智慧に至る十七の教え』の経句を聞くことあらば、悟りを目指す修行の過程において、智慧を封じるすべての障害、さらに悪しき想いや行為による障害、誤った教えに影響を受けて正法を疎んじる障害、前世の因縁による障害、これらがさらに広く深く蓄積しようとも、決して地獄などの悪しき世界に落ちることはない。またたとえ重き罪を犯そうとも、その罪を消し去ることは難しいことではない。
もし日々、読誦し、暗唱し、常に思い巡らせるのならば、この世が堅固で輝きに満ちた悟りの世界であることを、たちどころに悟るであろう。さらに世界を自由自在に操り作り上げることが出来、この上ない快楽と喜びを享受することが出来るであろう。これにより、十六大菩薩生という境地に至り、如来並びに執金剛の悟リを得ることが出来るのである」
世尊(大日如来)がそうお説きになられた、その時でした。すべての如来が体現した大乗の悟り(あらゆるものを救い取る悟り)を得て、すべての曼陀羅世界(悟りを体現した世界)においてもっとも活躍し、堅固で永遠の輝きを獲得した人であり、さらに三界(欲界・色界・無色界というすべての世界)に蔓延るあらゆる障害を余すところなくこらしめる力を持ち、すべての真理を完成させた金剛手菩薩(金剛薩埵)は、世尊(大日如来)に向かい、その教えをさらに明確にしようと、お顔に笑みをたたえながら、左手に金剛慢の印を結び、右手に五鈷杵を持って、勇ましく邁進する姿勢を見せながら、大いなる快楽に至る、虚しからざる悟りの心を(種字に表し)唱えられたのでした。
ウン 金剛薩埵
<第二段 証悟の法門の分訳>
時薄伽梵毘盧舎那如来・・その時、世尊であられる毘盧舎那如来(大日如来)は
復説一切如来・・再びお説きになられました。すべての如来の
寂静法性現等覚出生般若理趣・・悟りの本質は「一切平等」であり、その(四智如来の)静寂な境地から生み出された叡智こそが、真理に至る唯一の道である
所謂・・それはいわゆる
金剛平等・・金剛のように堅固な平等(大円鏡智:阿閦如来の悟りの智慧)
現等覚以大菩提金剛堅固故・・なぜならそれは、「一切平等」という如来の偉大な悟りの現われが、ダイヤモンドのように堅固不滅であるからである
義平等・・あらゆるものが仏の慈悲によって差別なく恩恵を受ける平等(平等性智:宝生如来 の悟りの智慧)
現等覚以大菩提堤一義理故・・なぜならそれは、「一切平等」という偉大な如来の悟りの現われが、一様にあらゆるものに恩恵を与えるからである
法平等・・あらゆるものに仏の教えが行き渡る平等(妙観察智:阿弥陀如来の悟りの智慧)
現等覚以大菩提自性清清故・・なぜならそれは、「一切平等」という偉大な如来の悟りの現われが清らかであるが故に、すべてに浸透するだからである
一切業平等・・あらゆるものに共通して働く平等(常所作智:不空成就如来の悟りの境地)
現等覚以大菩薩一切分別無分別性故・・なぜならそれは、「一切平等」という偉大な悟りの現れが、その本質に於いて例外なく分け隔てがないからである
金剛手・・金剛手菩薩(金剛薩埵)よ
若有聞此四出生法読誦受持・・もし、四智の如来から生み出された、この「四つの一切平等」の教えを読誦し、常に身に保ち持っているならば、
説使現行無量重罪・・たとえ今ここで数え切れないほどの重い罪を犯したとしても
必能超越一切悪趣・・墜ちるべきあらゆる悪しき世界を遥かに超越し、
乃至当坐菩提道場・・必ずや悟りに向かう道場に座して
速能剋証無上正覚・・速かに最高の悟りを得ることが出来るだろう
時莫迦梵如是説已・・この時、世尊は、この「四つの一切平等の教え」を
欲重顕明此義故・・明確に表現しようと思い
熙怡微笑持智拳印・・お顔に微笑みを浮かべながら、両手で智拳印を結び
説一切法自性平等心・・すべてはその本質において平等である、という悟りの心を(種字に表わし)唱えられたのでした
アーク 大日如来
<第二段 証悟の法門の全訳>
その時でした。世尊であられる大日如来様が、再び説法をなさり始めました。
「すべての如来に共通する悟りの智慧とは何か。それは四智の如来の静寂な境地からそれぞれに生み出された「すべては平等なのだ」という智慧であり、その四つの叡智こそが真理に至る唯一の道なのである。それはどのようなものか。
まず『金剛平等(金剛のように堅固不滅の平等)』である。それは、すべてのものの本質は平等にダイアモンドの如く堅固不滅である、という、あらゆる事象を鏡のように映し出す阿閦如来の智慧(大円鏡智)に他ならない。
次に『義平等(あらゆるものが仏の慈悲によって差別なく恩恵を受ける平等)』である。それは、すべてのものに平等に恩恵を与える、という、宝生如来の智慧(平等性智)に他ならない。
次に『法平等(あらゆるものに仏の教えが行き渡る平等)』である。それは、すべてのものの本質は平等に清らかである、という、あらゆる事象を観察する観自在王如来(阿弥陀如来)の智慧(妙観察智)に他ならない。
次に『業平等(あらゆるものに差別なく働く平等)』である。それは、それぞれの働きに分け隔てはない、という、不空成就如来の智慧(常所作智)に他ならない。
金剛手菩薩(金剛薩埵)よ。もし、四智の如来から生み出された、この『すべては平等である、という智慧の四つの真理』を読誦し、常に身に保ち続けているならば、たとえ今ここで数え切れないほどの重い罪を犯したとしても、地獄などの様々な悪い世界に墜ちることはない。むしろそれを超越して必ずや悟りに向かう道場に座して、速かに最高の悟りを得ることが出来るであろう」
と、この時でした。そう説き終わると世尊は、この「四つの平等の教え」を明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべながら、両手で智拳印を結び、すべてはその本質において平等である、という悟りの心を(種字に表し)唱えられたのでした。
アーク 大日如来
<第三段 降伏の法門の分訳>
時調伏難調釈迦牟尼如来・・その時でした。大毘盧舎那如来様は、正しい教えに従わないものを従わせることを意図して、釈迦牟尼如来様のお姿に変わられました
復説一切法平等・・そして、改めて法をお説きになりました。すべての物事は平等であり
最勝出生般若理趣・・善や悪という二元論の概念はそもそも存在しない、それは誤りなのである、それを知ることが最も勝れた悟りの智慧であり、真理に赴く道なのである
所謂・・いわゆる
欲無戯論性故瞋無戯論性・・そもそも欲望そのものは無意味なものではないのだから、その欲望から生まれる怒りの心も決して無意味なものではない
瞋無戯論性故痴無戯論故一切法無戯論性・・怒りの心が無意味なものでないのだから、そこから生まれる愚かな心も決して無意味なものではない
一切法無戯論性故応知般若波羅蜜多無戯論性・・すべての物事には無意味なものはひとつもないのだから、悟りの智慧に向かう真理が無意味であるはずがない
金剛手・・金剛手(金剛薩埵)よ
若有聞此理趣受持読誦・・もしこの真理へ向かう道の教えを聞いて、常に心に留め読誦するならば
設害三界一切有情不堕悪趣・・たとえあらゆる世界の人間を殺害しようとも、地獄等の悪い世界に堕ちることはない
為調伏故・・なぜならそれは、従わぬものを正しい教えに従わせることになるからである
疾証無上正等菩提・・それに気づきさえすれば、たちどころにこの上ない最高の悟りを得る
時金剛手大菩薩・・この時、金剛手大菩薩(金剛薩埵)様は
欲重顕明此義故・・この「あらゆる事象に無意味なものはひとつもない」という教えを明確に表現しようと
持降三世印・・降三世の印を結ぶことによって、自ら降三世明王のお姿に変身し
以蓮華面・・蓮華の花のように美しく愛らしい
微笑而怒顰眉猛視・・微笑みを浮かべながら、眉を顰め怒りの眼差しで睨めつけ
利牙出現住降伏立相・・牙を剥き出しにして仁王立ちになり、どんなことをしても誤った考えを正そうと
説此金剛吽迦羅心・・誰にも打ち砕くことのできない堅固な怒りの心を(種字に表し)お唱えされたのでした
ウン 降三世
<第三段 降伏の法門 全訳>
その時でした。世尊であられる大毘盧舎那如来(大日如来)様は、あらゆる誤った考えのものを正しい教えに強引に導くことを意図して、釈迦牟尼如来(阿閦如来)様のお姿に変身されました。そして、改めて法をお説きになりました。
「すべてのものごとは分け隔てがなく、善や悪などという二元論はそもそも存在しない。それは誤った考えなのである。それに気づくことが最も勝れた悟りの智慧であり、真理に赴く道なのである。それはこのようなものである。
そもそも欲望を良いだの悪いだのと議論すること自体、無意味なことなのだから、そこから生まれる怒りの心も、良いだの悪いだのと判断することは、無意味なことである。
怒りの心を良いだの悪いだのと議論すること自体、無意味なことなのだから、そこから生まれる愚かな心も、良いだの悪いだのと判断することは、無意味なことである。
すべてのものごとを良い悪いで判断するのは無意味なことなのだから、それを説く悟りの智慧に向かう真理が無意味ものであるはずがない。
つまり、煩悩の代表である貪瞋痴は悪いものでも善いものでもない。それを悪いものと決めつけることに意味がないのである。これが誤った考えなのである。
金剛手菩薩(金剛薩埵)よ。もし、この『差別や区別に全く意味がないことを示す四つの智慧』の教えを聞いて読誦し、常に心に刻み込んでいれば、たとえあらゆる世界の生きとし生けるものをすべて皆殺しようとも、地獄などの悪い世界に堕ちることはない。なぜならそれは、誤った考えのものを強引に正すことになるからである。むしろ、それに気づきさえすれば、たちどころにこの上ない最高の悟りを得るのである」
この時でした。世尊の教えを聞いていた大金剛手菩薩(金剛薩埵)様は、その「あらゆるものごとは平等なのだから、差別することには意味がない」という教えを明確に表現しようと、降三世の印を結び、自ら降三世明王のお姿に変身され、蓮華の花のように美しく愛らしい微笑みを浮かべながら、眉を顰め怒りの眼差しで睨めつけ、牙を剥き出しにして仁王立ちになり、どんなことをしても誤った考えを正そうと、誰にも打ち砕くことのできない堅固な怒りの心を(種字に表し)お唱えされたのでした。
ウン 降三世
<第四段 観照の法門の分訳>
時薄伽梵得自性清浄法性如来・・その時、世尊(大日如来)は、あらゆるものは本来清らかであることを顕わすために、自性清浄法性如来(観自在王如来) に変身されました
復説一切法平等・・そして、再び説法されました。あらゆる現象は平等であり
観自在智印出生般若理趣・・それはすべてを自在に観てすべてを救済すること自在な観自在の働きより顕わされた智慧に至る真理への道に他ならない
所謂・・いわゆる
世間一切欲清浄故・・世の中にあるあらゆる欲望は清らかなのだから
即一切瞋清浄・・すなわちあらゆる怒りは清らかなのである
世間一切垢・・世の中のあらゆる心の汚れは
清浄故即一切罪清浄・・清らかなのだから、あらゆる罪は清らかなのである
世間一切法清浄故・・世の中のあらゆる現象は清らかなのだから
即一切有情清浄・・すなわちあらゆる命あるものは清らかなのである
世間一切智智清浄故・・世の中のあらゆる智慧は清らかなのだから
般若波羅蜜多清浄・・悟りに至る智慧は清らかなのである
金剛手・・金剛手よ
若有聞此理趣受持読誦作意思惟・・もしこの「あらゆるものは本来清らかである」という真理を常に身に保ち、読誦し、想い巡らせるのならば
設住諸欲猶如蓮華・・様々な欲望に塗れた世界に居ようが、蓮華の如く
不為塵諸垢所染・・諸々の塵芥(ちりあくた)に染まることはない
疾証無上正等菩提・・すぐさま最高の悟りに至るだろう
時莫迦梵・・この時、世尊(大日如来)は
観自在大菩薩欲重顕明此義故・・観自在大菩薩は、この「あらゆるものは本来清らかである」という教えを明確に表現しようと
熙怡微笑・・お顔に微笑みを浮かべ
作開敷蓮華勢観欲不染・・蓮華の花が咲き誇るような勢いを見せ、あらゆる欲望に染まらない
説一切群生・・すべての命は
種種色心・・様々に彩られた心を持つ
キリーク 観自在
<観照の法門の全訳>
その時、世尊(大日如来)は、あらゆるものは本来清らかであることを顕わすために、自性清浄法性如来(観自在王如来)様に変身されました。そして再び、説法されました。
「あらゆる現象は平等であり、それはすべてを自在に観てすべてを救済すること自在な観自在菩薩の働きにより顕わされた、悟りの智慧に至る真理に他ならない。それはこのようなものである。
世の中にあるあらゆる欲望は清らかなのだから、すなわちあらゆる怒りは清らかなのである。
世の中にあるあらゆる心の汚れは清らかなのだから、すなわちあらゆる罪は清らかなのである。
世の中のあらゆる現象は清らかなのだから、すなわちあらゆる命あるものは清らかなのである。
世の中のあらゆる智慧は清らかなのだから、すなわち悟りに至る智慧は清らかなのである。
金剛手菩薩(金剛薩埵)よ。もしこの『あらゆるものは本来清らかなのである、という四つの智慧』という教えを聞いて、常に身に保ち、読誦し、想いを巡らせるならば、たとえ様々な欲望に塗れた世界に居ようが、蓮華の如く、諸々の塵芥(ちりあくた)に染まることはなく、いずれは最高の悟りに至るであろう」
この時でした。世尊がそう説き終わると、観自在菩薩は、この「あらゆるものは本来清らかなのである」という教えを明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ、蓮華の花が咲き誇るように、あらゆる欲望に染まらない勢いを見せながら、すべての命あるものは様々な彩りを持つ、という心を(種字に表し)お唱えになられたのでした。
キリーク 観自在
<第五段 富の法門の分訳>
時薄伽梵一切三界主如来・・この時、世尊(大日如来)は、欲界、色界、無色界というすべての世界の主である一切三界主如来(宝生如来)に変身されました
復説一切如来灌頂智蔵般若理趣・・そして再び法をお説きになりました。すべての如来が
智慧の蔵を開き、すべてのものに灌ぎ与えることは、悟りの智慧に至る真理である
所謂・・いわゆる
以灌頂施故能得三界法王位・・ブッダの叡智を頭上に灌ぎ施すことにより、三界の法王の位に就き
義利施故得一切意願満足・・利益を施すことにより、あらゆる願いを満足させ
以法施故得円満・・教えを施すことにより、滞りなく満たし
一切法・・宇宙のすべてを
資生施故得身口意一切安楽・・命の資(もと)を施すことにより、食べ物に困ることはなくなり、身体も言葉も心もすべて安楽となる
時虚空蔵大菩薩・・この時、虚空蔵菩薩は、
欲重顕明此義故・・この「四つの施しの教え」を明確に表現しようと
熙怡微笑・・お顔に微笑みを浮かべ
以金剛宝鬘自繁其首・・ダイアモンドと宝珠で飾らせた宝冠を、自らの頭に被り
説一切灌頂・・すべての叡智を灌ぎ施す
三昧耶宝心・・悟りの境地は掛け替えのない宝である、という心を唱えた
タラーン 虚空蔵
<第五段 富の法門の全訳>
この時でした。世尊(大日如来)は、欲界、色界、無色界というすべての世界の施しの主である一切三界主如来(宝生如来)に変身されました。そして再び、法をお説きになりました。
「すべての如来が智慧の蔵を開き、すべてのものの頭上に灌ぎ施す行為は、悟りの智慧に至る真理に違いない。それはこのようなものである。
ブッダの智慧を頭上に灌ぎ施すことにより、すべてのものは三界の法王となる。
すべてのブッダの利益を施すことにより、すべてのもののあらゆる願いを満足させる。
すべてのブッダの教えを施すことにより、すべてのものの智慧は宇宙のすべてを滞りなく満たす。
すべての命の資(もと)を施すことにより、すべてのものは飢餓に苦しむことなく、身体も言葉も心もすべて安楽になる。
これが『施しの四つの智慧』であり、悟りの智慧に赴く道なのである」
この時でした。世尊の教えを聞いていた虚空蔵菩薩様は、その「施しの四つの智慧」という教えを明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ、ダイアモンドと宝珠で飾られた豪華な宝冠を自ら頭に被り、すべての叡智を頭上に灌ぎ施すことによる悟りの境地は、掛け替えのない宝である、という心を(種字に表し)お唱えされたのでした。
タラーン 虚空蔵
<第六段 実動の法門の分訳>
時薄伽梵得一切如来智印如来・・その時、世尊は、すべての如来が持つ智慧の活動を司る一切如来智印如来(不空成就如来)に変身されました
復説一切如来智印加持般若理趣・・そしてまた法をお説きになりました。すべての如来の智慧の活動は、悟りに至る智慧の真理への道に力を与えることに他ならない
所謂・・謂く
持一切如来身印即為一切如来身・・すべての如来の身体活動を身につければ、すなわちそれは、すべての如来の身体そのものになる
持一切如来語印即得一切如来法・・すべての如来の言語活動を身につければ、すなわちそれは、すべての如来の真理を説くものとなる
持一切如来心印即証一切如来三摩地・・すべての如来の心の活動を身につければ、すなわちそれは、すべての如来の悟りの境地を持つものとなる。
持一切如来金剛印即成就一切如来身口意業・・すべての如来の堅固不滅に光り輝く活動を身につければ、すべての如来の身体活動、言語活動、精神活動を司り
最勝悉地・・最も勝れた究極の境地を体現出来ることになる
金剛手・・金剛手よ
若有聞此理趣受持・・もしこの「如来の活動を自ら身につける四つの智慧の真理」という教えを聞き、身に保ち
読誦作意思惟・・読誦し、常に想い巡らせるなら
得一切自在一切智智・・すべての可能性と、すべての智慧と
一切事業一切成就・・すべての働きと、すべての成果が我がものになり
得一切身口意・・すべての身体活動、言語活動、精神活動が
金剛性一切悉地・・金剛のように堅固不滅に光り輝き、すべてが完全無欠になり
疾証無上正等菩提・・最高の悟りに到達出来るであろう
時莫迦梵為欲重顕明此義故熙微笑・・この時、世尊はこの教えを明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ
持金剛拳大三昧耶印・・金剛拳菩薩の境地になり、大三昧耶印を結んで
説此一切堅固金剛印・・誰であろうと、金剛のように堅固不滅の活動によって
悉地三昧耶自真実心・・悟りの境地に到達することはまさに真実である、という心を(種字に表し)お唱えされたのでした
アーク 拳菩薩
<第六段 実働の法門の全訳>
この時、世尊(大日如来)は、すべての如来が持つ活動の智慧を司る一切如来智印如来(不空成就如来)に変身され、そしてまた法をお説きになりました。
「すべての如来の智慧の活動は、真理に向かう道に力を与えることに他ならない。それはこのようなものである。
すべての如来の身体活動を身につければ、すなわちそれは、すべての如来の身体そのものとなる。
すべての如来の言語活動を身につければ、すなわちそれは、すべての如来の真理を説くものとなる。
すべての如来の心の活動を身につければ、すなわちそれは、すべての如来の悟りの心そのものとなる。
すべての如来の堅固不滅に光り輝く活動を身につければ、すなわちそれは、すべての如来の身体活動、言語活動、精神活動を司り、最も勝れた究極の境地を体現するものとなる。
金剛手菩薩(金剛薩埵)よ。もし、この『如来の活動を自らのものにする四つの智慧』という教えを聞き、身に保ち、読誦し、常に想い巡らせるならば、すべての可能性と、すべての智慧と、すべての働きと、すべての成果を我がものにし、すべての身体活動、言語活動、精神活動が金剛のように堅固不滅に光り輝き、すべて完全無欠となることで、速やかに最高の悟りに到達するであろう」
その時でした。世尊(大日如来)はそう説き終わると、その教えをより明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ、如来の活動を助ける金剛拳菩薩の境地におなりになり、大三昧耶印を結んで、金剛のように堅固不滅の活動によって、誰であろうと、悟りの境地に達成することは実に真実なのである、という心を(種字に表し)お唱えされたのでした。
アーク 拳菩薩
<第七段 字輪の法門の分訳>
時薄伽梵一切無戯論如来・・この時、世尊(大日如来)は、すべての分別や善悪を評価するくだらない議論から離れた一切無戯論如来に変身され、
復説転字輪般若理趣・・再び説法されました。文殊菩薩の境地である、宇宙の本質としての種字(ひと文字で顕わす仏の智慧)アを始めとした一切の言音を自由自在に操り、生きとし生けるものを導く智慧は、悟りに至る智慧の完成へと向かう道である
所謂・・いわく
諸法空与無自生相応故・・この宇宙のあらゆる現象は実体のないエネルギー空間(空)から生み出されたものだから、そもそもその本質には実体がない。これを『諸法の空』という
諸法無相与無相性相応故・・この宇宙のあらゆる現象は実体がないのだから、そもそもその 本質には定まった形状はない。これを『諸法の無相』という
諸法無願与無願性相応故・・この宇宙のあらゆる現象は定まった形状がないのだから、そもそもその形状のないものに執着して欲しいとか、失いたくないたいとかの願いを抱くことはないこれを『諸法の無願』という
諸法光明般若波羅蜜多清浄故・・この宇宙のあらゆる現象の本質は、宇宙の根源から降り注ぐ眩い光によって形成されているのだから、従って悟りに至る智慧は清らかなのである。これを『諸法の光明』という
時文師利童真・・その時でした。世尊の説法を聞いていた文殊菩薩は、少年のように純粋な姿そのままに
欲重顕明此義故・・この『宇宙の本質は光そのものであり、実体も形状も執着する対象はない、という智慧に至る四つの真理』をより明確に表現しようと
熙怡微笑・・お顔に微笑みを浮かべ
以自剣揮斫一切如来・・自ら持つ鋭利な剣で、すべての如来も光そのものであり、実体も形状も願うべき対象でもないことを証明するために、その幻影をめった斬りにしながら
以説此般若波羅蜜多最勝心・・この悟りに至る智慧が最も勝れている、という心を(種字に表し)お唱えされたのでした
アン 文殊
<第七段 字輪の法門の全訳>
この時、世尊(大日如来)は、すべての区別や善悪を評価するという、くだらない議論から離れた一切無戯論如来に変身され、再び説法されました。
「文殊菩薩の能力である、宇宙の本質を表す種字(梵字ひと文字で表現するブッダの境地)をはじめとしたあらゆる言音を自由自在に操り、生きとし生けるものを導く智慧は、悟りに至る智慧の完成へと向かう道である。それはこのようなものである。
この宇宙のあらゆる現象は、実体のないエネルギー空間(空)から生み出されたものだから、そもそもその本質は実体がないのである。これを『諸法の空』という。
この宇宙のあらゆる現象は実体のないものだから、そもそもその本質には定まった形状というものはない。これを『諸法の無相』という。
この宇宙のあらゆる現象は定まった形状というものはないのだから、そもそもその形状のないものに執着して、あれが欲しい、これを失いたくない、と願うこと自体がくだらないことである。これを『諸法の無願』という。
この宇宙のあらゆる現象の本質は、宇宙の根源から降り注ぐ眩い光のエネルギーによって形成されているのだから、その悟りに至る智慧は光り輝くように清らかなのである。これを『諸法の光明』という」
その時でした。世尊の説法を聞いていた文殊菩薩は、少年のように純粋無垢なお姿そのままに、この『宇宙の本質は光そのものであり、実体もなければ形状もなく、願うべき対象もない、という悟りの智慧に至る四つの真理』の教えをより明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ、自らが持つ鋭利な剣で、すべての如来も光そのものであり、実体も形状も願うべき対象でもないことを証明するために、その幻影をめった斬りにしながら、この悟りに至る智慧が最も勝れたものである、という心を(種字に表し)お唱えされたのでした。
アン 文殊
<第八段 入大輪の法門の分訳>
時薄伽梵一切如来入大輪如来・・その時でした。世尊(大日如来)は、すべての如来の悟りの境地である、あらゆるものを真理の輪に導く入大輪如来(纔発心転法輪菩薩の如来形) に変身され、
復説入大輪般若理趣・・再び法を説かれました。大きな法の輪にあらゆる生きとし生けるものを導く境地は、まさに悟りの智慧に至る道である
所謂・・いわく
入金剛平等・・金剛平等(金剛のように堅固で輝きに満ちた平等)の輪に入ることは
即入一切如来法輪・・すなわちすべての如来の真理の輪に入ることに他ならない
入義平等・・義平等(すべてのものに施しを与える平等)の輪に入ることは
即入大菩薩輪・・すなわち偉大な菩薩たちの慈悲の輪に入ることに他ならない
入一切法平等・・法平等(すべてのものに真理を教える平等)の輪に入ることは
即入妙法輪・・すなわち宇宙の真理そのものの輪に入ることに他ならない
入一切業平等・・業平等(すべてのものに働きかける平等)の輪に入ることは
即入一切事業輪・・すなわち宇宙の働きそのものの輪に入ることに他ならない
時纔発心転法輪大菩薩・・その時でした。纔発心転法輪大菩薩は
欲重顕明此義故熙怡微笑・・この『あらゆるものを法輪に導き入れる四つの真理 (四種の輪円)』という教えを、より明確に表現しようとお顔に微笑みを浮かべ、
転金剛輪説一切金剛三昧耶心・・金剛輪(八肢を備えた金剛の輪)を右中指でまわしながら、金剛不滅の悟りの心を(種字に表し)お唱えされたのでした
ウン 転法輪
<第八段 入大輪の法門の全訳>
その時でした。世尊(大日如来)は、すべての如来の悟りの境地である、あらゆるものを真理の輪に導く入大輪如来(纔発心転法輪菩薩の如来形)に変身され、再び法を説かれました。
「偉大な法の輪に、あらゆるものを導く境地は、まさに悟りの智慧に至る道である。それはこのようなものである。
金剛平等(金剛のように堅固で輝きに満ちた平等)の輪に入ることは、すなわちすべての如来の永遠不滅の命の輪に入ることに他ならない。
義平等(すべてのものに施しを与える平等)の輪に入ることは、すなわち偉大な菩薩たちの慈悲の輪に入ることに他ならない。
法平等(すべてのものに真理を教える平等)の輪に入ることは、すなわち宇宙の真理そのものの輪に入ることに他ならない。
業平等(すべてのものに働きかける平等)の輪に入ることは、すなわち宇宙の働きそのものの輪に入ることに他ならない」
その時でした。纔発心転法輪菩薩は、この『あらゆるものを法輪に導き入れる四つの真理(四種の輪円)』という教えを、さらに明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ、金剛輪(八肢を備えた金剛の輪)を右中指で回しながら、金剛不滅の悟りの心を(種字に表し)お唱えされたのでした。
ウン 転法輪
<第九段 供養の法門の分訳>
時薄伽梵一切如来種種供養蔵・・この時でした。世尊(大日如来)は、すべての如来を様々に喜ばれる(供養する)広大な儀式の宝庫を持つ
広大儀式如来・・広大儀式如来(虚空庫菩薩の如来形)に変身され
復説一切供養・・再び法を説かれました。この世のあらゆるものを喜ばせる(供養)することは
最勝出生般若理趣・・最も勝れた悟りの智慧に至る道である
所謂・・いわく
発菩提心・・悟ろうとする心を起せば
即為於諸如来広大供養・・それはすなわち多くの如来を限りなく喜ばせることになる
救済一切衆生・・すべての生きとし生けるものを救おうとすれば
即為於諸如来広大供養・・それはすなわち多くの如来を限りなく喜ばせることになる
受持妙典・・希少な仏の教えを自分のものとすれば
即為於諸如来広大供養・・それはすなわち多くの如来を限りなく喜ばせることになる
於般若波羅蜜多・・悟りに至る智慧を
受持読誦自書教他・・心に留め、読誦し、自ら書き写し、他人にも書き写させ
書思惟修習種種供養・・よく思い巡らし、習い修め、折に触れて様々にお祀りするならば
即為於諸如来広大供養・・すなわちそれは多くの如来を限りなく喜ばせることになる
時虚空庫大菩薩・・この時でした。虚空庫菩薩様は
欲重顕明此義故・・この『如来を喜ばせる4つの教え』をより明確に表現しようと
熙怡微笑・・お顔に微笑みを浮かべ
説此一切事業・・すべてこの宇宙の働きは
不空三昧耶一切金剛心・・嘘偽りなく悟りの境地そのものであるという、堅固不滅の心を(種字に表し)お唱えされたのでした
オン 虚空庫
<第九段 供養の法門の全訳>
その時でした。世尊(大日如来)は、すべての如来を喜ばせる(供養する)広大な儀式の宝庫を持つ広大儀式如来(虚空庫菩薩の如来形)に変身され、再び法を説かれました。
「この世のあらゆるものを喜ばせる(供養する)ことは、最も勝れた悟りの智慧に至る道である。それはこのようなものである。
悟ろうとする心を起せば、それはすなわち多くの如来を喜ばせることになる。
すべての生きとし生けるものを救おうとすれば、それはすなわち多くの如来を喜ばせることになる。
希少な仏の教えを自分のものとすれば、それはすなわち多くの如来を喜ばせることになる。
悟りに至る智慧を心に留め、読誦し、自ら書き写し、他人にも書き写させ、よく思い巡らし、習い修め、折に触れて様々にお祀りするならば、それはすなわち多くの如来を喜ばせることになる」
この時でした。虚空庫菩薩様は、その『如来を喜ばせる四つの教え』をより明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ、すべてこの宇宙の働きは、嘘偽りなく悟りの境地そのものである、という心を(種字に表し)お唱えになられたのでした。
オン 虚空庫
<第十段 忿怒の法門の分訳>
時薄伽梵能調持智拳如来・・その時でした。世尊は間違いを犯している者を打ち破り改心させることを意図して、能調持智拳如来(摧一切魔菩薩の如来形) に変身されました
復説一切調伏智蔵般若理趣・・そして再び法を説かれました。すべての悪しき者を打ち破り悟らせる智慧の蔵は、真理に導く道なのである
所謂・・いわく
一切有情平等故・・すべての生きとし生けるものは平等なのだから
忿怒平等・・あらゆる怒りもみな平等なのである
一切有情調伏故・・すべての生きとし生けるものの誤りは正されるものだから
忿怒調伏・・あらゆる怒りもまた誤りを正すことになるのである
一切有情法性故・・すべての生きとし生けるものの本質は悟りの次元に至っているのだから
忿怒法性・・あらゆる怒りもまた悟りの次元の行為なのである
一切有情金剛性故・・すべての生きとし生けるものは堅固不滅の輝きに満ちているのだから
忿怒金剛性・・あらゆる怒りもまた堅固不滅の輝きに満ちているのである
何以故・・それはいかなることか
一切有情調伏即為菩提・・すべての生きとし生けるものは誤りが正されれば、速やかに悟ることが出来るからである
時摧一切魔大菩薩・・この時でした。摧一切魔大菩薩は
欲重顕明此義故・・この『誤りを正す怒りは悟りへの道という四つの教え』をより明確に表現しようと
熙怡微笑・・お顔に微笑みを浮かべ
以金剛薬叉形持金剛牙・・金剛薬叉明王の姿に変身され、堅固な牙を表す金剛拳の印を結ばれて
恐怖一切如来已・・すべての如来までをも恐怖に陥れながら
説金剛忿怒大笑心・・堅固不滅なる怒りは、そのままに大いなる歓喜であるという心を(種字に表し)お唱えされたのでした
カク 摧一切魔
<第十段 忿怒の法門の全訳>
その時でした。世尊(大日如来)は、間違いを犯している者を打ち破り、仏道に導くことを意図して、能調持智拳如来(摧一切魔菩薩の如来形)に変身されました。そして再び法を説かれたのです。
「すべての生きとし生けるものは平等なのだから、あらゆる怒りもまた平等なのである。
すべての生きとし生けるものは誤りを正されるものだから、あらゆる怒りもまた誤りを正すものである。
すべての生きとし生けるものの本質はすでに悟りに至っているのだから、あらゆる怒りもまた悟りの次元にあるのである。
すべての生きとし生けるものは本来、堅固不滅の輝きに満ちているのだから、あらゆる怒りもまた堅固不滅の輝きに満ちているのである。
これはいかなることか。すべての生きとし生けるものは誤りが正されれば、速やかに最高の悟りに到達出来るからである』
この時でした。摧一切魔菩薩様は、この『誤りを正す怒りは悟りへの道、という四つの教え』をより明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ、金剛薬叉明王のお姿に変身され、堅固な牙を表す金剛拳の印を結ばれて、すべての如来までをも恐怖に陥れながら、堅固不滅なる怒りはそのままに大いなる歓喜であるという心を(種字に表し)お唱えされたのでした。
カク 摧一切魔
<第十一段 普集の法門の分訳>
時薄伽梵一切平等建立如来・・この時でした。世尊(大日如来)は、あらゆるものが平等であることを顕わす曼陀羅の世界を体現する一切平等建立如来(普賢菩薩の如来形)に変身され
復説一切法三昧耶・・再び法を説かれました。宇宙のすべてはすでに悟りの世界(曼陀羅世界)である
最勝出生般若理趣・・それは最も勝れた悟りの智慧に至る真理である
所謂・・謂く
一切平等性故・・あらゆるものは本来、平等であるのだから、
般若波羅蜜多平等性・・悟りの智慧に至る真理は誰もが平等なのである(阿閦如来の智慧)/金剛部(金剛界品)の曼陀羅に象徴される/
一切義利性故・・あらゆるものは本来、平等に恩恵を受けるのだから
般若波羅蜜多義利性・・悟りの智慧に至る真理の恩恵は誰もが平等に受けるのである(宝生如来の智慧)/宝部(降三世品)の曼陀羅に象徴される/
一切法性故・・あらゆるものは本来、清らかなのだから
般若波羅蜜多法性・・悟りの智慧に至る真理は清らかなのである(阿弥陀如来の智慧)/蓮華部(遍調伏品)の曼陀羅に象徴される/
一切事業性故・・あらゆるものは本来、働きという本質をもっているのだから
般若波羅蜜多事業性応知・・悟りの智慧に至る真理は働きという本質をもっている(不空成就如来の智慧)/羯磨部(一切義成就品)の曼陀羅に象徴される/
時金剛手・・その時でした。金剛薩埵様は
入一切如来菩薩・・すべての如来や菩薩の
三昧耶加持三摩地・・悟りのエネルギーを注入され、悟りの境地を体現した
説一切不空三昧耶心・・すべての空からざる悟りの心を(種字に表し)お唱えされたのでした
ウン 普賢
<第十一段 普集の法門の全訳>
その時でした。世尊(大日如来)は、あらゆるものが平等であることを顕わす悟りの世界(曼陀羅)を体現する一切平等建立如来(普賢菩薩の如来形)に変身され、再び法を説かれました。
「宇宙のすべてはすでに悟りの世界(曼陀羅)なのである。そしてそれは最も勝れた悟りの智慧に至る真理なのである。それはいかなることか。
あらゆるものは本来、平等なのだから、悟りに至る智慧の真理(般若波羅蜜多)は、誰に対しても平等の真理となるのである。これは、平等にあらゆるものが堅固不滅に光り輝いているという阿閦如来の智慧(大円鏡智)を示し、なおかつ金剛部(金剛頂経・金剛界品に説かれているところ)の悟りの世界(曼陀羅)を意味している。
あらゆるものは本来、平等に恩恵を受けているのだから、悟りに至る智慧の真理(般若波羅蜜多)は、誰に対しても恩恵を与えるのである。これは、平等にあらゆるものに恩恵を与えるという宝生如来の智慧(平等性智)を示し、なおかつ宝部(金剛頂経・降三世品に説かれているところ)の悟りの世界(曼陀羅)を意味している。
あらゆるものは本来、清らかなのだから、悟りに至る智慧の真理(般若波羅蜜多)は清らかなのである。これは、すべてはそれぞれの個性を持ちながらも一様に清らかであるという阿弥陀如来の智慧(妙観察智)を示し、なおかつ蓮華部(金剛頂経・遍調伏品に説かれているところ)の悟りの世界(曼陀羅)を意味している。
あらゆるものは本来、活動するという本質を持っているのだから、悟りに至る智慧の真理(般若波羅蜜多)はすべてに働きかけるのである。これは、宇宙のすべての活動を司る不空成就如来の智慧(常所作智)を示し、なおかつ羯磨部(金剛頂経・一切義成就品に説かれているところ)の悟りの世界(曼陀羅)を意味している。
これらを知ることが、最も勝れた悟りの智慧なのである」
この時でした。すべての如来や菩薩の悟りとひとつになり、悟りの境地を体現した世界(曼陀羅)にはいられた金剛手菩薩(金剛薩埵)様は、この『四つの曼陀羅の真理』をより明確に表現しようと、すべての空からざる悟りの心を(種字に表し)お唱えされたのでした。
ウン 普賢
<第十二段 有情加持の法門の分訳>
時薄伽梵復説一切有情加持・・この時でした。世尊(大日如来)は、再び法を説かれました。
すべての生きとし生けるものは、互いに宇宙根源のエネルギーを満たし合い、補い合って、本来はひとつなのである
般若理趣・・これが悟りの智慧に至る真理なのである
所謂・・いわく
一切有情如来蔵・・すべての生きとし生けるものは如来になるための無尽の蔵を、その心の内に持っている
以普賢菩薩一切我故・・それは「宇宙はすなわち我」という普賢菩薩の境地に他ならない
一切有情金剛蔵・・すべての生きとし生けるものは堅固不滅の光り輝く無尽の蔵を、その心の内に持っている
以金剛蔵灌頂故・・それは金剛不滅の光り輝くエネルギーを注ぎ入れる(虚空蔵菩薩の)境地に他ならない
一切有情妙法蔵・・すべての生きとし生けるものは本来清らかであるという無尽の蔵を、その心の内に持っている
能転一切語言故・・それはあらゆる言葉を駆使して真理を説く(観自在菩薩の)境地に他ならない
一切有情羯磨蔵・・すべての生きとし生けるものは宇宙の根源の働きを、その心の内に持っている
能作所作性相応故・・それは宇宙根源の働きがそのまま生きとし生けるものの働きである、という(金剛拳菩薩の)境地に他ならない
時外金剛部・・この時でした。悟りの世界(曼陀羅世界)の外側にいるとされている異教の諸天善神は
欲重顕微笑義故・・この『生きとし生けるものは、みな悟りの蔵を持っている、という四つの教え』をより明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ
作歓喜声・・歓喜の声を上げながら
説金剛自在自真実心・・自分達も堅固不滅の光り輝く宇宙とひとつなのだという真実の心を(種字に表し)お唱えされたのでした
チリ 外金剛部
<第十二段 有情加持の法門の全訳>
その時でした。世尊(大日如来)は、再び法を説かれました。
「すべての生きとし生けるものは、宇宙の根源のエネルギーを満たし合い、補い合っているのであり、本来はひとつなのである。これが悟りの智慧に至る真理なのである。それはいかなることか。
すべての生きとし生けるものは、如来になるための無尽の蔵を、その心の内に持っている。それは『宇宙はすなわち我』という普賢菩薩の境地に他ならない。
すべての生きとし生けるものは、堅固不滅の光り輝く無尽の蔵を持っている。それは金剛不滅の光り輝く無尽のエネルギーを注ぎ入れる(虚空蔵菩薩)の境地に他ならない。
すべての生きとし生けるものは、本来清らかであるという無尽の蔵を、その心の内に持っている。それはあらゆる言葉を駆使して真理を説く(観自在菩薩)の境地に他ならない。
すべての生きとし生けるものは、宇宙の根源の働きを、その心の内に持っている。それは宇宙根源の働きはそのまま生きとし生けるものの働きである、という(金剛拳菩薩)の境地に他ならない」
その時でした。悟りの世界(曼陀羅世界)の外側にいるとされている異教の諸天善神は、この『あらゆる生きとし生けるものはみな悟りの蔵を持っている、という四つの教え』をより明確に表現しようと、お顔に微笑みを浮かべ、歓喜の声を上げながら、自分達も堅固不滅の光り輝く宇宙とひとつなのだ、という心を(種字に表し)お唱えされたのでした。
チリ 外金剛部
<第十三段 七母天の法門の分訳>
爾時七母女天頂礼仏足・・この時、以前は凶悪でしたが、仏の慈悲により仏法守護の立場となった七人の女神達(炎魔天母・童子天母・毘紐天母・惧吠羅天母・帝釈天母・暴悪天母・梵天母)は、大日如来様のおみ足に平伏し礼拝しながら
献鈎招摂入能殺能成・・仏法に従わぬあらゆる者を、強引に引き寄せ(鈎招)、引き寄せた者を導き入れ(摂入)、その悪しき心を抹殺し(能殺)、仏道修行に邁進すればそれを成就させる(能成)ことを誓い
三昧耶真実心・・悟りの境地はまさに真実であるという心を(種字に表し)お唱えされたのでした
ビュ 七母女天
<第十三段 七母天の法門の全訳>
この時、以前は凶悪でしたが、仏の慈悲により仏法守護の立場となった七人の女神達(炎魔天母・童子天母・毘紐天母・惧吠羅天母・帝釈天母・暴悪天母・梵天母)は、大日如来様のおみ足に平伏し礼拝しながら、仏法に従わぬあらゆる者を強引に引き寄せ(鈎招)、引き寄せた者を導き入れ(摂入)、その悪しき心を抹殺し(能殺)、仏道修行に邁進すればそれを成就させる(能成)ことを誓い、悟りの境地はまさに真実である、という心を(種字に表し)お唱えされたのでした。
ビュ 七母女天
<第十四段 兄弟の法門>
爾時末度迦羅天三兄弟等・・この時、三人の異教の最高神である梵天(ブラフマー神)、大自在天(シヴァ神)、那羅延天(ビシュヌ神)は
親礼仏足献自心真言・・親しく大日如来様のおみ足に礼拝し、自らの真の言葉を(種字に表し)お唱えされたのでした
ソハ 三兄弟
<第十四段 兄弟の法門の全訳>
この時、三人の異教の最高神である梵天(ブラフマー神)、大自在天(シヴァ神)、那羅延天(ビシュヌ神)は、親しく大日如来様のおみ足に礼拝し、自らの真の言葉を(種字に表し)お唱えされたのでした。
ソハ 三兄弟
<第十五段 姉妹の法門の分訳>
爾時四姉妹女天・・この時、適悦(ラテイ)、死天妃(マラニー)、猪美妃(ヴァーラヒー)、成就美妃(シッディカーシー)の四人の天女は
献自心真言・・大日如来様に捧げるため、自らの真の言葉を(種字に表し)お唱えされたのでした
カン 四姉妹
<第十五段 姉妹の法門の全訳>
この時、適悦(ラテイ)、死天妃(マラニー)、猪美妃(ヴァーラヒー)、成就美妃(シッディカーシー)の四人の天女は、大日如来様に捧げるために、自らの真の言葉を(種字に表し)お唱えされたのでした。
カン 四姉妹
<第十六段 各具の法門>
時薄伽梵無量無辺究竟如来・・その時でした。世尊(大日如来)は、今まで説かれた、火の打ちどころのないほど完璧で究極の教えに
為欲加持此教令究竟円満故・・強力なエネルギーを注ぎ込もうと、無量無辺究竟如来に変身されました
復説平等金剛出生般若理趣・・そしてまた法を説かれました。このように、悟りに至る智慧の道の教えは、あらゆるものが平等で金剛のように堅固不滅に光り輝いていることを説いているのである
所謂・・いわく
般若波羅蜜多無量故・・悟りに至る智慧の道は数え切れないほど無数に存在しているのであるから
一切如来無量・・それを説くすべての如来は数え切れないほど無数に存在しているのである
般若波羅蜜多無辺故・・悟りに至る智慧の道は途方もなく広大であるのだから
一切如来無辺・・それを説くすべての如来は途方もなく広大なのである
一切法一性故・・すべての真理はただひとつのことを説き明かしているのだから
般若波羅蜜多一性・・悟りに至る智慧の道はただひとつなのである
一切法究竟故・・すべての真理は究極の教えなのだから
般若波羅蜜多究竟・・悟りに至る智慧の道は究極の教えなのである
金剛手・・金剛手(金剛薩埵)よ
若有聞此理趣・・もしこのことわりを聞き
受持読誦思惟其義・・自分のものとして読誦しよく思い巡らせるならば
彼於仏菩薩行・・彼は仏菩薩の修行を完成させ
皆得究竟・・みな究極の悟りを得るのである
<第十六段 各具の法門の全訳>
その時でした。世尊(大日如来)は、今までに説かれた火の打ちどころのない完璧で究極の教えに、強力な生命エネルギーを注ぎ込むために、無量無辺究竟如来に変身されました。そして再び法を説かれました。
「このように、悟りに至る智慧の道の教えは、あらゆるものが平等で金剛のように堅固不滅に光り輝いていることを説いているのである。それはこのようなものである。
悟りに至る智慧の道は、数え切れないほど無数に存在しているのだから、それを説くすべての如来は数え切れないほど無数に存在しているのである。
悟りに至る智慧の道は、途方もなく広大であるから、それを説くすべての如来は途方もなく広大なのである。
すべての真理はただひとつのことを説き明かしているのだから、悟りに至る智慧の道はただひとつなのである。
すべての真理は究極の教えなのだから、悟りに至る智慧の道は究極の教えなのである。
金剛手(金剛薩埵)よ。もしこのことわりを聞き、自分のものとして読誦し、よく思い巡らせれるならば、仏菩薩の修行を完成させ、みな究極の悟りを得るのである」
<第十七段 深秘の法門の分訳>
時莫薄伽梵毘盧舎那・・その時でした。世尊である大日如来様は
得一切秘密法性無戯論如来・・神秘に満ちた全宇宙の真理は、善悪や差別などというくだらない議論を遥かに超越していることを証すために、一切秘密法性無戯論如来に変身されました
復説最勝無初中後・・そして再び法を説かれました。初めもなく中ほどもなく終わりもない無始無終の最も勝れた
大楽金剛不空三摩耶・・大いなる快楽そのものの嘘偽りのない悟りの境地は
金剛法性般若理趣・・ダイアモンドのように永遠不滅であるという宇宙の本質を説く、悟りの智慧に至る道なのである
所謂・・いわく
菩薩摩訶薩大欲最勝成就故・・菩薩は最も勝れた大いなる欲望を完成させるが故に
得大楽最勝成就・・最も勝れた大いなる快楽を完成させるのである
菩薩摩訶薩得大楽最勝成就故・・菩薩は最も勝れた大いなる快楽を完成させるが故に
即得一切如来大菩提最勝成就・・たちどころにすべての如来の最も勝れた悟りの境地に到達するのである
菩薩摩訶薩得一切如来大菩提最勝成就故・・菩薩はすべての如来の最も勝れた悟りの境地に到達するが故に
即得一切如来摧大力魔最勝成就・・たちどころにすべての如来が持つ、最も勝れた魔を粉砕する力を発揮するのである
菩薩摩訶薩得一切如来摧大力魔最勝成就故・・菩薩はすべての如来が持つ、最も勝れた魔を粉砕する力を発揮するが故に
即得遍三界自在主成就・・たちどころに全宇宙を遍く自由にする王の位に就くことが出来るのである
菩薩摩訶薩得遍三界自在主成就故・・菩薩は全宇宙を遍く自由にする王の位に就くことが出来るか故に
即得浄除無余界一切有情住着流転・・たちどころに、迷いの世界を止めどなく流転するすべての生きとし生けるものの汚れを清め
以大精進常処生死・・大いなる努力を持って、常に生死の運命に晒されている生けるものに
救摂一切利益安楽最勝究竟皆悉成就・・あらゆる恩恵と安楽を与え、最も勝れた究極の境地に至らしめるのである
何以故・・これはいかなることであろうか。偈を持って説く。
菩薩勝恵者・・菩薩は勝れた智慧を持ち
乃至尽生死・・生死流転を克服し
恒作衆生利・・常に衆生を利するなり
而不趣涅槃・・涅槃に赴くことをせず
般若及方便・・智慧と巧みな方法と
智度悉加持・・不思議な力で度するなり
諸法及諸有・・世の現(うつつ)や世の様(さま)は
一切皆清浄・・すべて清らかなりとして
欲等調世間・・欲すらこの世を整えて
令得浄除故・・清らかにするがゆえ
有頂及悪趣・・優れたものもまた悪も
調伏尽諸有・・あらゆるものを打ち砕く
如蓮体本染・・蓮華の如くその体
不為垢所染・・垢に染ることはなく
諸欲性亦然・・あらゆる欲もまた然り
不染利群生・・染まらずすべてを利するなり
大欲得清浄・・大いなる欲清らかに
大安楽富饒・・富と安心(あんじん)多かりき
三界得自在・・すべての世界を自在にし
能作堅固利・・堅固にすべてを利するなり
金剛手・・金剛手(金剛薩埵)よ
若有聞此本初般若理趣・・もし、この教えの根本である「悟りに至る智慧への道」という真理を聞き
日日晨朝或誦或聴・・日々早朝に読誦し或はよくその読経を聴くことあらば
彼獲一切安楽悦意・・その者はあらゆる安楽と悦楽を得て
大楽金剛不空三昧究竟悉地現世・・現世において、大いなる快楽に至る、金剛のように堅固で嘘偽りのない究極の境地を完成させ
獲得一切法自在悦楽・・宇宙を自由自在に操る楽しさを満喫しながら
以十六大菩提生・・十六大菩提生(十六の菩薩を生み出す能力)を自らのものとし
得於如来執金剛位・・如来並びに執金剛(永遠不滅の存在)の悟りを獲得するであろう
ウン 五秘密
<第十七段 深秘の法門の全訳>
その時でした。世尊であられる大日如来様は、神秘に満ちた全宇宙の真理は、善悪を判断するなどといういうくだらない議論を遥かに超越していることを証すために、一切秘密法性無戯論如来に変身されました。そして再び法を説かれました。
「始まりもなく、中間もなく、終わりもない無始無終の最も勝れた、大いなる快楽そのものの嘘偽りのない悟りの境地は、金剛不滅に光り輝く宇宙の本質である。その境地に赴くことこそ、悟りの智慧に至る道なのである。その真理を説こう。
菩薩は最も勝れた大いなる欲望を達成するが故に、最も勝れた大いなる快楽を達成するのである。
菩薩は最も勝れた大いなる快楽を達成するが故に、たちどころにすべての如来の最も勝れた悟りの境地に到達するのである。
菩薩はすべての如来の最も勝れた悟りの境地に到達するが故に、たちどころにすべての如来が持つ、最も勝れた魔を粉砕する力を発揮するのである。
菩薩はすべての如来が持つ、最も勝れた魔を粉砕する力を発揮するが故に、たちどころに全宇宙を遍く自在に操り造る創造主の位に就くことが出来るのである。
菩薩は全宇宙を自在に操り造る創造主の位に就くことが出来るが故に、たちどころに迷いの世界を止めどなく流転する、すべての生けるものを浄化し、大いなる努力を持って、常に生死の運命に晒されている生けるものに、あらゆる恩恵と安楽を与え、最も勝れた究極の境地に至らしめるのである。
これはいかなることであろうか。偈(詩)を持って説こう。
菩薩は勝れた智慧を持ち
生死流転を克服し
常に衆生を利するなり
涅槃に赴くことをせず
智慧と巧みな方法と
不思議な力で度するなり
世の現(うつつ)や世の様(さま)は
すべて清らかなりとして
欲すらこの世を整えて
清らかにするがゆえ
優れたものもまた悪も
あらゆるものを打ち砕く
蓮華の如くその体
垢に染ることはなく
あらゆる欲もまた然り
染まらずすべてを利するなり
大いなる欲清らかに
富と安心(あんじん)多かりき
すべての世界を自在にし
堅固にすべてを利するなり
金剛手(金剛薩埵)よ。もしこの教えの根本である「悟りに至る智慧への道」という真理を聞き、日々早朝に読誦し或はよくその読経を聴くことあらば、その者はあらゆる安楽と悦楽を得て、この現世において、大いなる快楽に至る金剛のように堅固で嘘偽りのない悟りの境地に到達し、宇宙を自由自在に操る楽しさを満喫しながら、十六大菩提生(十六大菩薩を生み出す能力)を自らのものとし、如来並びに執金剛(永遠不滅の存在)の悟りを獲得するであろう」
ウン 五秘密
<流通分の分訳>
爾時一切如来及持金剛菩薩摩訶薩等皆来集会・・この時、この場に集っていたすべての如来や金剛不滅の意志を持つ菩薩らはみな
欲令此法不空無礙速成就故・・この教えが虚しく妨げられず、すぐにも達成されるように願って
咸共称賛金剛手言・・みな共に金剛手菩薩(金剛薩埵)を称讃する言葉を唱えました
善哉善哉大薩埵・・善きかな、善きかな、大になる修行者(金剛薩埵)よ
善哉善哉大安楽・・善きかな、善きかな、大いなる安楽よ
善哉善哉摩訶衍・・善きかな、善きかな、大乗の教えよ
善哉善哉大智恵・・善きかな、善きかな、大いなる智慧よ
善能演説此法教・・まことによくこの法を説いてくださった
金剛修多羅加持・・この経文には金剛のように堅固不滅の力あり
持此最勝教王者・・最も勝れたこの教えを持てば至高の王者となり
一切諸魔不能壊・・打ち砕けない魔はもはやない
得仏菩薩最勝位・・仏菩薩の最勝の位を得て
於諸悉地当不久・・あらゆる悟りの境地に至ることも遠からず
一切如来及菩薩・・すべての如来や菩薩は
共作如是勝説已・・共にこの勝れた教えを説き終わり
為令持者悉成就・・この教えを保つものことごとく悟らしめようと意を共にし
皆大歓喜信受行・・みなで大いに歓喜したのでした
<流通分の全訳>
この時でした。この場に集っていた、すべての如来や金剛不滅の意志を持つ菩薩たちは、この教えが虚しく妨げられず、すぐにも達成されることを願って、みな共に金剛手菩薩(金剛薩埵)を称讃する言葉を唱えました。
善きかな、善きかな、大いなる修行者(金剛薩埵)よ
善きかな、善きかな、大いなる安楽よ
善きかな、善きかな、大いなる智慧よ
まことによくこの法を説いてくださった
この教文には堅固不滅の力あり
最も勝れたこの教えを持てば至高の王者となり
打ち砕けない魔はもはやない
仏菩薩の最勝の位を得て
あらゆる悟りの境地に至ることも遠からず
こうしてこの勝れた教えを説き終わったすべての如来や菩薩は、この経典(般若理趣経)を保つものことごとくを悟りに至らしめようと意を共にし、みなで大いに歓喜したのでした。
[完]