寺院紹介
『すべての平安は幼くして逝った姉の手の”温もり”から始まった』
建立者 山田英男
威徳山金剛寺建立の想い
建立者 山田英男
- 人間誰しも仏の存在をふと身近に感じる時があるものです。多忙な日常、競争社会に身をおく日々・・・めったに無いのですが、悠久の中になにかの”お陰“で生かされてる、と感じた人も多いと思います。
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- 昭和14年生まれの私にとって、4,5歳の幼児体験は太平洋戦争の真っただ中、空襲の中を逃げ回っていた記憶しかありません。
- それも、そうはっきりとした記憶ではないのですが、警報が鳴り防空壕に逃げ込む時姉に手を引かれていた「暖かかった手の温もり」だけが、やけに鮮明に記憶に残っています。
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- その姉が山口県の親戚の家へ疎開に行く途上、広島を通過中あの忌まわしい原爆の犠牲になって亡くなったことを知ったのはずっと後のことでした。
戦後の混乱期、そして復興期・・・。
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- 不幸にして家業の木材商が倒産。進学をあきらめ、家を再建するため必死で働きました。
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- やがて宝塚に山田鉄工建設(現・山田建設工業)を興し、日本が高度成長期に入ろうとする頃、「自分たちは無事でそれなりに幸せになったが、思えば美智子(姉)は可哀想な事をした」と両親が涙を流しながら想い出を語ったのでした。
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- 私は姉のことを忘れていた事に愕然としました。聞けば、その時私も一緒に山口の田舎に行く予定だったそうです。その直後、熱を出し姉が一人で旅立ったと言います。
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- 何も知らず、花も見ず、10歳の蕾のまま、遺体も遺品も定かでなく、旅行者のため廣島の、原爆被災者名簿にも記載が無かったのです。私は遠い幼い記憶の中から、姉の思い出を呼び戻すとともに、必死にその痕跡を探し求めました。
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- 多くの方々のご支援を得て、その後奇跡的にわずかばかりの遺品を見つけることが出来ました。また、被災者名簿にも載せてもらえる事になりました。
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- 「幼い姉の魂も求めていたんだなあ」との想いが、やがて勧めてくれる人があり、大阪郊外の能勢に威徳山金剛寺を建立、そこにささやかながらも姉の慰霊碑を建てることが出来ました。すべて姉の手のぬくもりの記憶が導いてくれたものだと思っています。
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- その後、両親も仏籍に入り、その墓も金剛寺に収めさせていただいています。
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- 私はいまも折に触れ、事業上の選択に迫られた時、岐路に迷った時、金剛寺に来て、ご本尊の大日如来像の手を合わせる事にしています。
- そうすると心が安まり、永遠の流れの中にいる自分を感じ、平常心を持つことが出来るのです。世俗の中にいて、仏の世界とは遠い日常の中にいて、「この静ひつは何だろう」と感謝の気持ちが自然と芽生えます。
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- すべての平安は幼くして逝った姉の手の”温もり“から始まったのです。皆さんにもこの平安をいささかでも感じてもらえれば、ともに祈り、安らぎを感じてもらえれば、私の望外の”幸せ“と考えております。
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- 合掌
寺院概要
当山は、高祖弘法大師空海を開祖と仰ぐ真言密教の根本道場 として開山されたお寺です。

寺院名 |
真言宗単立本山 威徳山金剛寺 |
住所 |
〒563-0113 大阪府豊能郡能勢町倉垣136番地 |
電話番号 |
072-737-1439 |
アクセス |
●能勢道の駅(栗の里)より車で約15分(10km)
●能勢電鉄「妙見口駅」より車で約10分(7km)
●阪急バス「加村バス停留所」より徒歩で約2分(220m) |
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